第14話 見送り

 美羽に晩飯を作ってもらった次の日。家の近くまで帰って来ると、玄関前で淡い栗色の髪が揺れているのが見えた。

 季節的に日が暮れるのが早くなってきており、美羽に会う時間も早いため空は真っ赤な夕焼けだ。

 その茜色の光の中だからか、元々色素が薄い髪は金色に輝いているように見える。


(綺麗だな。……でも、どうして中に入らないんだ?)


 美しい光景に見惚れつつも疑問を解消する為に玄関に行くと、自転車の音で判断したのか美羽がくるんと振り返った。

 その顔は不安に彩られており、普段の柔らかい雰囲気は引っ込んでいる。


「お疲れ様。どうしたんだ?」


 自転車を止めて話し掛ければ、美羽は瞳をあちこちにさ迷わせながら口を開く。


「お疲れ様。えっと、入っていいのかなって」

「いいも何も、その為に鍵を渡したんだが」

「誰もいないのに入るのはどうしても気が引けちゃって……」

「そんなの気にすんな。ほら、入ってくれ」


 美羽の性格であれば、どうしても遠慮してしまうのだろう。

 ここで言い合っても仕方ないので、鍵を開けて美羽を招き入れる。


「お邪魔します」

「これからは先に入っていいからな」

「分かった。じゃあそうさせてもらうね」

「そうしてくれ。……ああそれと、家の前で待ってる時に誰かに会わなかったか?」

「ううん。誰にも会わなかったよ」

「ならいいんだ」


 唐突な悠斗の質問に美羽が小首を傾げた。

 その様子だと何も問題なさそうなので、美羽が靴を脱ぐ為に買い物袋を下した所を狙い、袋を奪い去る。


「あ……。ごめんね」

「謝らなくていいって」


 顔を曇らせた美羽に気にするなと笑み、荷物を冷蔵庫の前まで持って行った。

 自分で片付けたいという美羽に後はお願いし、リビングの扉に手を掛ける。


「これから着替えてランニングに行くから、ゆっくりしてくれ。テレビとか遠慮しないで見ていいからな」

「うん。ありがとう」


 リビングを後にし、自室でスポーツウェアに着替える。ヘアバンドで髪を上げれば準備は終わりだ。

 準備を終えて一階へ。流石に一声掛けてから行くべきだろうとリビングをのぞく。

 どうやら美羽は学校の課題をしているようで、机に教科書とプリントを広げていた。


「行ってくる」

「あ、待って。芦原くん、お風呂を使っていい?」

「いいぞ、好きに使ってくれ。着替えはるか?」


 学校帰りで汗を掻いたからか美羽が提案してきた。今日は時間があるので軽くシャワーを浴びたいのだろう。

 これまでよりも遠慮しなくなった美羽を微笑ましく思いつつも提案すると、首を横に振られた。


「大丈夫」

「分かった。じゃあ三十分くらいで帰ってくる」

「うん」


 頷きつつ美羽はペンを動かす手を止めて立ち上がる。

 今すぐにシャワーを浴びたいのだろうかと首を捻っていると、美羽が目の前まで来た。

 悠斗がここにいると邪魔になるので、きびすを返して玄関に向かう。

 てっきり美羽は風呂場に向かうと思っていたのだが、悠斗とは別のスリッパの音がすぐ後ろから聞こえてきている。

 どうしたのかと思いながらもいちいち口を出すものではないと判断し、ランニングシューズに履き替えるべく屈んだ。


「行ってらっしゃい」


 靴を履いて顔を上げた瞬間、悠斗を送り出す可憐な声が聞こえて勢いよく振り向いた。

 まさか美羽にそう言われるとは思わず、花が咲くような柔和な表情を向けられていた事も相まって完全に固まってしまう。

 なのに心臓だけはどくどくと激しく鼓動し、頬に熱を送り出している。

 頬の赤みを見られたくなくてそっぽを向くと、美羽がコテンと小首を傾げた。


「どうしたの?」

「……いや、まさかそんな事を言われるとは思わなかったから」

「普通、こういう時は見送るものでしょ? そうでなくとも私は芦原くんに招待されてるんだから、送るのは当たり前だよ」

「そうか?」

「うん。私を信用してくれてる人が外に行くのに、何も言わないのはありえないよ」


 はしばみ色の瞳は澄んでいて、そこにはひたすらに悠斗への信頼が込められているように思える。

 その目に見つめられるのが気恥ずかしくなり、美羽に向き合っていられず背を向けた。


「……行ってくる」

「気を付けてね」


 家族以外にこんな風に送られた事など一度もなく、背中がむずむずする。

 心臓の活発な動きをランニングの為に変えるべく悠斗は走り出した。





「ただいま……」


 帰宅の挨拶を家に響かせると、ぱたぱたと軽いスリッパの音が近づいてくる。

 音の主は悠斗のぐったりとした様子を見て目を見開いた。


「妙に帰ってくるの早かったし、どうしてそんなに疲れてるの?」

たまには全力を出したい気分だったんだよ……」


 先程の光景を忘れようと必死に走った結果、ペースが崩れてしまった。

 公園を過ぎてからは以前のようにクールダウンでスピードを落としたものの、結局こうして疲れ果てている。

 これほど汗だくになるのなら事前に風呂の準備をしておけば良かった。

 シャワーだけでもいいのですぐに風呂に入りたいが、美羽が料理を作っている最中に入るのは申し訳なさすぎるので耐えなければ。

 正直には話せず言い訳にもなっていない言葉で誤魔化すと、納得のいかなさそうに美羽が首を傾げつつトレイに乗ったコップを差し出してくる。


「はぁ……。とりあえず、これ飲んで」

「ありがとう」


 激しい運動の後なので冷たいお茶は非常に有難い。一気飲みをして喉を潤し、大きく息を吐いた。

 とりあえず着替えるべきだろうと二階へ向かう悠斗の背中に声が掛かる。


「もうすぐお風呂沸くから、すぐに入ってね」

「は?」


 美羽はシャワーを浴びたかったはずなのに、どうして風呂にお湯を張っているのだろうか。

 使うのは許可したし、使い方も分かるだろう。それでも美羽の行動に疑問を覚える。


「なんで沸かしてるんだ?」

「だって使うって言ったでしょ?」

「使っていいとは言ったけど、シャワーを浴びたいんじゃないのか?」

「え?」


 何を言っているのか分からない、という風に美羽がきょとんとする。

 どうやら悠斗達の間で認識の違いが起きているようだ。


「違うよ? 芦原くんが帰ってきてからすぐにお風呂に入れるように準備しようと思ったの」

「でも使うって言ってただろ」

「勝手にお湯を張るのは流石に駄目だと思うし、そうなったらああいう言い方をするしかないでしょ」

「ああ、そういう……」


 悠斗の為に風呂の準備をする、というような言い方を美羽はしない。

 そうなると、ああいう言い方になるのは仕方のない事だ。

 美羽の気遣いに頬が緩むが、美羽はそれでいいのだろうかと眉を寄せる。


「東雲が料理を作ってくれてるのに、俺だけリラックスするのは申し訳ないな」

「そんな事気にしないでいいよ。そんな汗だくだと、着替えるよりかお風呂に入った方が楽だと思う」

「でも……」

「いいからいいから。ほら、早く準備して」

「あ、ああ」


 結局、急かされるように風呂に入らされた。





 風呂から上がると美羽は晩飯の準備をしており、昨日と同じく手伝いを断られたものの、それほど待つことなく料理が出来上がった。

 テーブルの上にあるのは飴色に焼きあがった豚肉の生姜焼きだ。

 たっぷりのキャベツに昨日と同じ味噌汁と、激しい運動をした悠斗の腹を良い匂いが容赦なく刺激してくる。

 出来立てのご飯をすぐに食べたい気持ちはあるが、ここはぐっと我慢して美羽の帰り支度を待つ。


「玄関まで送るよ」


 帰る準備を終えたのを確認して声を掛けると、美羽の顔に苦笑が浮かんだ。


「大丈夫、送らなくてもいいよ」

「そういう訳にはいかない。料理を作ってくれた人を送りもせずに飯を食べるなんて最低だ。せめて玄関までは送らせてくれ」

「でも……」

「いいんだって。この家に住んでる人が来てくれた人を見送るのは当たり前だろ?」

「……分かった」


 悠斗の言葉を否定出来ず、美羽がほんのりと恨みがまし気な視線を悠斗に向けて玄関に向かう。

 本来であれば家まで送りたいが、それは出来ない。せめてものお礼として、靴を履き終えた美羽に笑いかけた。


「晩飯、ありがとな。味わって食べるよ」

「うん、ありがとね」


 美羽が玄関を開けて外に出る。そのまま扉を閉めるかと思ったのだが、期待するような、すがるような目を向けられた。


「明日からは勝手に家に入っていいんだよね?」

「もちろん。遠慮なく入ってくれ」

「ふふ。なら悪戯し放題だね」


 美羽が首を傾げながら柔らかく笑む。

 はしばみ色の瞳が面白そうなものを見つけたかのように細まるが、少しも怖くはない。

 

「俺のランニング中に東雲が家に居るんだから、そんな事今更だろうが」

「むぅ……。それもそうだね」

「ちなみに何をするつもりなんだ?」

「……あれ? 思いつかないや」

「駄目じゃねえか」


 悪さをしようとしても出来ない美羽に、我慢が出来ず笑みが零れる。


「そういう東雲だから鍵を渡したんだよ」

「何か馬鹿にされてる気がするんだけど」

「いやいや、それが美点なんだって」

「……こうなったら本当に何か悪戯しようかな」


 じっとりとした目を向けられたが、根っからの善人である美羽の悪戯など些細なもののはずだ。

 むしろ、どんな事をするのか楽しみですらある。


「期待してる。それじゃあまた明日な」

「……いじわる。また明日ね」


 美羽がそっぽを向くように悠斗から背を向けて歩き出す。

 その背中が見えなくなるまで見送り、今日の晩飯も美味しいだろうと胸を弾ませながらリビングへと引き返すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る