第13話 料理の腕前

 カチャカチャとキッチンで最近聞いていない、食器や調理器具が触れ合う音がする。

 両親はたまに帰ってきてはいるものの、理由は悠斗の様子を見に来るのと、家の細かい場所を掃除するからだ。

 なのでキッチンを使わず外食になる事が多く、妙な違和感がある。

 その音を鳴らしているのが母親ではなく最近仲を深めた女性。しかもかなりの美少女なのだから、余計にそう感じるのだろう。

 そして美羽は悠斗の手を借りる事なく、順調に料理をしている。

 焦った声が聞こえて来ない事からも、以前料理は得意と言っていたのは本当のようだ。

 とはいえそれを確かめるのは出来上がってからであり、やる事のない悠斗は浴槽に湯を張り終えてテレビをぼんやりと見ている。


「意外とキッチンは整頓してるよね」

「偶に両親が帰ってきて掃除するからな。俺も出来るだけ汚さないように注意してるし」

「汚さないようにって言うか、汚すような事なんて起きないよね」


 作業が落ち着いたのか、キッチンから聞こえてきた美羽のからかうような声にひっそりと苦笑する。


「そういう事だ」

「でも、お米があるのは良かったよ。運ぶの大変だし」

「そうそう腐るようなものでもないからな。これでも一人暮らしをし始めた時に飯くらいは炊いてたんだぞ?」


 米は随分前に買った物だが、腐っていなくて本当に良かった。

 悠斗とて両親を送り出す時に何もしなかった訳ではない。両親に心配を掛けさせないようにと料理の練習はした。

 しかし、自分で作るよりも買った方が楽だという結論になっただけだ。

 結果として料理ではなく掃除だけが出来るようになったが、それはそれで家をある程度清潔に保てるので良い事だろう。

 何も出来ないほど酷くはないと冗談めかして告げると、くすりと小さな笑みが聞こえてきた。


「本当に? 洗剤とか入れてない?」

「そんな事しないって。だから手伝おうかと思ったんだけどな」

「いいよ。私がやりたくてやってる事なんだから、ゆっくりしてて」

「分かった」


 自分が食べる料理を完全に任せているのは心苦しいが、美羽がそう言うのであれば作業を手伝うのは駄目だろう。

 一応無理をしていたり、くたくたになっているのなら料理をさせないつもりだ。

 しかし聞こえて来るのは普段と同じかそれ以上に明るく弾んだ声なので、なんだかんだで楽しんでいるらしい。

 他人の為の調理を楽しむなど優しすぎるだろうと思いつつ、魚の焼ける良い匂いが漂い出してから皿を出すくらいはすべきだとキッチンに向かう。

 だが、美羽がムッと唇を尖らせて悠斗を見上げた。


「芦原くんは何もしなくていいの。あっちで大人しくしてなさい」

「……ハイ」


 子供に言い聞かせるように最後の手伝いも却下され、肩を落としながら撤退する悠斗だった。





「おお……」


 テーブルの上にはこれぞ和食、と言わんばかりの料理が並べられている。

 主菜は昨日リクエストした秋刀魚さんまの塩焼きで、端には大根おろし。副菜にはほうれん草のごまえだ。

 しっかり味噌汁まであるので、完璧と言っていいだろう。

 悠斗の最近の食生活では考えられなかった輝かんばかりの料理を前に、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。


「そんなに驚く物かな。普通でしょ?」

「コンビニ弁当とカップ麺ばかり食べてた俺に言うか?」


 美羽は当然の事のようなフラットな表情を浮かべているが、これは悠斗にとってご馳走ちそうだ。

 良い匂いのする品々を前に深く頭を下げる。


「……本当に、ありがとな」

「大げさだよ。それに味が合うか分からないし」

「大げさなんかじゃない。この見た目からして美味そうだし、味も期待してる」


 料理の中には見た目は良くても味が駄目という物もあるらしいが、これがそうだとは思えない。

 味も完璧だろうと告げると、美羽がほんのりと頬を赤らめて悩ましそうな顔になる。


「そんなにハードルを上げないでよ……」

「これは上がるのも仕方ないだろ。早速食べてもいいか?」

「もちろん。その為に作ったんだから、召し上がれ」

「それじゃあ、いただきます」


 しっかりと手を合わせ、まずは副菜に箸を伸ばす。ほうれん草を噛むと、コンビニでは味わえない、何とも表現し難い深い味がした。


「ん……」


 コンビニ飯ではどうしてもこういう野菜は摂り辛い。

 サラダはあるが、あれはほとんどがレタスだ。もちろん探せばこういう野菜も摂れるとは思うものの、面倒くさいので探さなかった。

 これだけでも炊けたばかりの艶のある白米の甘さと合わさり箸が進む。

 一度落ち着く為に今度は味噌汁へ。

 学校で定食を頼むと付いて来るので久しぶりではないが、口に含むと温かな味が広がった。


「ふぅ……」


 悠斗の舌は肥えていないので、どこが、何が違うとは分からない。しかし、不思議と落ち着く温かさが悠斗の体を満たす。

 口の中をリセットし、いよいよメインディッシュだ。

 しっかりと焼けている秋刀魚に箸を入れると、ほろりと崩れ白い身が出てきた。

 それを小皿の醤油に少しだけつけ、口に運ぶ。

 ふわふわの秋刀魚を噛み締めれば、この時期で旬だからかじゅわっと油が出てきた。


(……これは、凄いな)


 いわゆる外はパリッと、中はふわっとした絶妙な焼き具合。くど過ぎず、秋刀魚の味を引き出すような塩加減。

 これで箸が進まなければ、何をおかずにして食べるのだろうか。

 もはや手は止まらず、がっつくようにして食べていく。


「えっと、美味しい?」


 食べるのに夢中になっていると、戸惑うような声が聞こえてきた。

 美羽の存在すら忘れていた事に申し訳なさを覚えつつ顔を上げれば、はしばみ色の瞳が不安そうに揺れている。

 先日悠斗を見返すと言っていたが、やはり不安なのだろう。

 一度箸を止め、美羽としっかり視線を合わせた。


「……悪い、集中してた。凄く美味しいぞ」


 これほどの物を料理してくれた人に対して、言葉の一つも寄越よこさないのは失礼に当たる。

 真っ直ぐに感想を伝えると美羽の顔が安堵あんどに彩られた。


「良かったぁ……」

「そこまで心配しなくていいと思うんだが。これ、金取れるぞ。……いやまあ、払ってるんだけど」

「言い過ぎだよ。秋刀魚は焼いただけだし、ほうれん草も和えただけ、味噌汁も出汁から取ってないから」

「それでもだ。滅茶苦茶美味しいって」

「そ、そう……」


 心からの賞賛の言葉を送れば、美羽が恥ずかしそうに瞳を伏せた。

 そんな姿も可愛らしいなと思いつつ、再び意識を食事に戻す。

 あまりにも美味しすぎて無言で食べ続ける悠斗を、美羽は静かにジッと見つめていた。





「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 晩飯を綺麗に平らげ、ホッと一息ついた。

 お腹と気持ちは幸福に満たされている。


「本当に美味しかった。疑って悪かったな」


 以前、美羽の姿からは料理が出来るとは思えないと弄った事を素直に反省する。

 文句無しのご馳走を食べる事が出来たのだ。これからは冗談でも弄れはしない。


「いいよ。芦原くんにちゃんと分かってもらえたからね」

「これだけ出来たらそりゃあ自信満々に言えるな。……はぁ、美味かった」

「そ、そんなに?」


 ぽつりと零した言葉に、美羽は頬を朱に染めて首を傾げる。


「ああ。こんなに美味しい物をこれからも食べられると思うと贅沢過ぎる」

「……褒め過ぎだよ」

「むしろ足りないくらいだ。ちなみに、母さんより美味しいからな。ありがとう」


 悠斗の母も料理は出来るし美味しいのだが、美羽の物はワンランク上に思える。

 時間を潰せる場所を提供するだけでこれほどの晩飯をいただけるのは、割に合わないのではないか。

 せめてもの感謝を伝えると、美羽は頬を真っ赤に染めてぷるぷると震えだした。


「そこまでなんだ……」

「感想が足りないならまだ言えるが?」

「もう大丈夫だから! ……えっと、芦原くんの好きな物と苦手な物は何?」

 

 まだまだ褒める事が出来るのだが、美羽が勢いよく首を振って話題を変えた。

 おそらく、これからも作るので好物等を知りたいのだろう。


「そうだな……。魚料理が好きだ」

「……意外。男の子の好きな食べ物ってお肉だと思ったんだけど」

「もちろん肉も好きだぞ。でも、コンビニ飯って肉が多いから、魚を食べる機会があんまり無いんだよ」

「最近はコンビニでも魚料理のパックがあるでしょ? お弁当でもあると思うんだけど」

「あれ、それなりに美味しいだけなんだよなぁ……」


 コンビニでも魚料理はあるし、美味しいとも思う。だが、あれこれ食べてもいまいち好きになれなかったのだ。

 その点、美羽の料理は完璧と言っても良いだろう。

 あれほど食事に夢中になったのは本当に久しぶりだ。


「ちなみに嫌いな物はない。そこは気にしないで大丈夫だ」

「ん、分かったよ。でも毎日魚も飽きるし、明日は肉料理にしようかな」

「そうだな。それで頼む」


 悠斗としても流石に毎日魚は遠慮したいし、美羽の腕前なら肉料理も期待出来る。

 明日の晩が楽しみだと頬を緩ませた。


「任せて。何か食べたい物があったら遠慮なく言ってね?」

「ああ。……にしても、俺だけ食べるのが申し訳なくなるな」


 この家で作るのは悠斗の分だけだ。

 一人先に食べるのは心苦しいが、かといって一緒に食べる訳にもいかないだろう。あくまでこれは美羽の時間潰しなのだから。

 美羽もそれを分かっているので、ふわりと微笑んで首を振った。


「気にしないで。出来立てを食べてもらえるのが、作った側としては一番嬉しい事だから。それにじっと見られるのも嫌だろうし、明日からは作ったら帰るよ」


 本当は送りたいが、悠斗が食べ終わるまで待ってもらうのも気が引ける。唇を噛んで本心を押し込めた。

 ただ、せめてものお礼として出来る限りの事はしたい。


「そうか。なら、今日だけでも送るよ」

「お願いしようかな。……あ、片付け忘れてた」


 既に一度送っているからか、美羽は素直に悠斗の提案を呑んで席を立った。

 しかし、食べ終えた皿の事を思いついたようで顔を曇らせる。


「俺が帰ってきてからやるよ。皿洗いくらい出来るから」

「じゃあお任せするね」

「……何か変じゃないか?」

「ふふっ、そうだね」


 悠斗の家なのに美羽に皿洗いを任された事がおかしくて、二人で笑い合った。

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