第11話 これから

 美羽をなだめて一時間。十九時半頃になるととっくに日は暮れており、雨が止んだからか鈴虫が鳴き始めた。

 しかし先月よりか勢いをなくしているので、おそらく一、二週間もすれば聞こえなくなるはずだ。

 流石にこれ以上はお邪魔出来ないと、美羽が生乾きだろう制服に身を包んで玄関に立つ。

 料理の件は今日は何も食材が無いので明日からとなった。


「改めて、ありがとう。それと明日は覚悟してね?」

「期待してる。という事で送るよ」


 美羽は玄関で別れるつもりのようだが、それでは悠斗が納得出来ない。

 雨宿りという目的はあれど、女性を家に招待しておいて送るのが玄関までという薄情者ではないつもりだ。

 だからこそ、美羽が着替えている最中に外出用のパーカーとジーンズに着替えたのだから。

 靴を履こうとすると、美羽の顔に戸惑いが浮かんだ。


「ここから結構近いし、別にいいよ」

「そういう訳にもいかないって。もう夜遅いし、何かあったらと思うと心配だ」

「でも……」

「それに、コンビニに今日の晩飯を買いに行かなきゃならないんだよ。どうせ外に出るんだから、それくらいはさせてくれ。もちろん家の前まで行くつもりはないから」

「……分かった」

「無理言って悪いな。じゃあ行くか」


 美羽が眉を下げてしょげるので、以前のように悠斗を警戒したというよりかは、本当に申し訳ないと思っているのだろう。

 そこまで気負わなくていいのにと小さく苦笑しつつ外に出た。

 ちらりと横の家を見たが、喧騒けんそうは聞こえて来ないのでおそらく外出中なのだろう。

 面倒事にならないのが分かったので、ホッと胸を撫で下ろしつつ美羽の向かう先についていく。

 

「真面目な話、ここからどれくらいで着くんだ?」

「多分十五分くらいかな」

「本当に近いんだな」


 美羽の性格であれば、家までの時間を誤魔化して適当な場所で別れる可能性がある。

 やましい事は何もないと示す為に真剣に尋ねると、想像以上に短い時間が返ってきた。

 思わず感嘆かんたんの声を漏らすと、物言いたげな眼差しを向けられる。


「だから言ったでしょ? 信用してよ……」

「東雲は遠慮したがりだからな。油断は出来ない」

「そういう言い訳を作って私の家を探ろうとしてるんだ?」


 悠斗が美羽を信用しなかった仕返しか、美羽が小悪魔めいた笑みで一ミリも思っていなかった言葉を発した。

 これまで見た事のない意地悪な表情と言葉に、悠斗の心臓が跳ねてしまう。

 頬に熱が集まってくるので、暗くて良かったと思いつつ夜風で頬を冷やした。


「そうだとしたら、どうするんだ?」

「どうしようかなー。おまわりさーん、この人でーす。って言おうか?」

「半年前から毎日様子を見てただけじゃなくて、最近では家まで来るようになった同級生の男子。……問答無用でお縄だな」

「ふふっ。つまり芦原くんの命は私が持ってるって事だよね」

何卒なにとぞ容赦ようしゃを。俺に出来る事なら何でもしますので」


 ゆるく、穏やかで、どこかくすぐったい会話。

 お互いに冗談だと分かりきっている内容に、たった一週間と少しでこれほどの会話が出来るようになった事に、思わず笑みが零れる。


「なら、そうだなぁ……。芦原くんの連絡先が欲しいな」

「連絡先か?」

「そうそう、用事があるなら連絡して欲しいの。食材を持ったまま公園で何時間も待つ訳にはいかないでしょ?」

「……そうだな」


 男に連絡先を交換するなど不用心だとは思うが、それほどまでに信頼されているのだろう。

 そもそも家に招いて料理を作ってもらう約束をしているので、不用心だというのも今更な気がするが。

 美羽の言葉に納得し、連絡先を交換して顔を見ると、何が嬉しいのかへらっと気の抜けた笑みを浮かべていた。

 無防備な笑みに、悠斗の心臓が騒ぎ立てる。


「ありがとね。それと芦原くんが来るまでに買い物も済ませるつもりだから、食べたい物があるなら早めに言ってね」

「いや、それはやりすぎだろ」


 悠斗がランニングの帰りに買い物へ行けばいいと思っていたのだが、どうやら美羽は自分で買い物も済ませるつもりらしい。

 心臓の鼓動が急激に収まっていき、思わず美羽の行動に口を挟んだが、美羽は笑顔のまま首を横に振った。


「いいの、芦原くんが来るまで暇なんだし、それくらいさせて?」 

「そんなに時間があるのか? ……というか、東雲はどうやって通学してるんだ?」


 どれほど早い時間から美羽が公園で時間を潰しているのか分からないし、どうやって通学しているのかも知らない。

 下手をすると悠斗が家に帰り着くのと同じ時間に公園に辿り着いている可能性がある。

 そうなると、とても美羽が買い物に行ける時間など無いだろう。

 とはいえ、悠斗と同じように一時間半以上掛かる自転車通学はしていないはずだ。


「電車だね。でも満員電車に乗るのは辛いよ……。そう言う芦原くんは?」

「俺は自転車だな。玄関の傍に置いてあっただろ?」

「あれ通学用の自転車だったんだ」

「ああ、朝から人混みの中に入りたくないからな」


 眠い目を擦りながら通勤ラッシュに巻き込まれたくはない。となれば、残るは自転車通学しかないだろう。

 これはこれで大変だが、電車の為に時間を制限されるよりはよっぽど気が楽だ。それに、もう半年続けているため慣れている。

 悠斗の言葉に美羽が目が覚めたかのように目を見開いた。


「その手があったかぁ……。私もそうしようかな」

「自転車側からすれば、どっちもどっちだと思うがな。それなりに疲れるし」

「そうだよね。でも満員電車は嫌だしなぁ……」

「……というか、自転車に乗れるのか?」


 自転車に乗るのに運動神経など関係ないとは思っているものの、運動は出来ないと言っていたので心配になる。

 なので先程家で怒られたにも関わらず、つい美羽が不機嫌になりそうな言葉を口にしてしまった。

 流石に失言だったなと後悔したが、出した言葉は取り消せない。

 案の定、美羽が顔を怒りで真っ赤に染め、悠斗を鋭く睨む。


「馬鹿にしすぎだよ! 私だってちゃんと乗れるんだから!」

「だよな」

「子供扱いするなー!」

「してない、単に気になっただけだ。でも悪かった」


 やりすぎたからか、謝っても美羽の機嫌はなかなか直らない。

 それどころか、ムスっと唇を尖らせている。


「いじわる」

「ま、まあ、それなら俺よりも早く帰ってくるだろうから買い物の時間はありそうだけど、本当にいいのか?」


 美羽が電車通学なら悠斗よりも先に公園に着くだけでなく、買い物出来るほどの十分な時間がある。暇だという美羽の発言も理解出来た。

 ただ、あまりに悠斗と美羽の時間がずれるようであれば、何か対策しなければいけないだろう。

 買い物と料理をしてくれる人を寒空の中、長い時間外で待たせたくはない。

 とりあえず空気を変えなければと念を押して確認すると、不機嫌そうな美羽はうなりつつも首肯しゅこうする。


「むー。話を逸らしたね?」

「……気のせいです」

「はぁ……。大丈夫だよ、それくらい任せて」

「じゃあ頼むよ。……そうだ、魚料理って出来るか?」


 呆れたと言わんばかりの溜息とじとりとした視線を受けつつ頼み込んだ。

 明日の晩飯について提案すると、ある程度機嫌が戻ったのか美羽が大きく頷いた。


「出来るよ。魚かぁ……。秋だし、秋刀魚さんまとかどう?」

「それいいな。じゃあ明日の夜は秋刀魚で頼む」

「任せて。グリルがあったし、塩焼きにしようかな」

「また定番だな。……ん? 何でグリルがあるって知ってるんだ?」


 美羽の先程の発言は、悠斗の家のキッチンを見た事があるような言い方だ。

 疑問をそのままぶつけると、美羽の体がびくりと震え、頬が引きった。

 その顔には「しまった」と浮かんでいる気がする。


「ごめんね、コップを直しに行く時に見たの」

「ああ、そういう事か。さてはその時に俺がまともな晩飯を食べてないって把握したな?」


 単に確認のつもりだったのだが、美羽が体を縮こまらせて上目遣いで悠斗を見る。

 その仕草が叱られた子供のようで、あまりに可愛らしくて、再び悠斗の心臓が跳ねた。


「う……。悪気はなかったの、本当にごめんね?」

「別に怒ってないから。見られて困る物なんて置いてないし」

「……コンビニ弁当。体に悪いよ?」

「反撃してくるとは思わなかったな。今度は俺が怒ろうか?」

「えーっと……。もうここで大丈夫だから! ありがとね!」

「あ」


 旗色が悪くなったのを察したのか、それとも本当にここで良かったのか、美羽が悠斗の隣からいなくなった。

 こちらを振り返ったその顔には、申し訳なさと感謝が浮かんでいる。


「また明日!」

「ああ。また明日」


 挨拶をしてきびすを返す。これから世話になる人とはいえ、姿が見えなくなるまで送る義理はない。

 先程まで会話が弾んでいたからか、急に静かになった気がする。


「こういう事もあるんだなぁ……」


 学校でもかなり有名な同級生と、たった一週間と少しで家に料理を作りに来てもらうまで仲良くなるなど、以前の悠斗に言っても信じられないだろう。

 今でも現実感がなく地面がふわふわと浮いているようだが、秋の肌寒くなった風が悠斗の熱を冷ます。


「……寒いな」


 パーカーを着ているはずなのに妙に寒く、なぜだか足取り重くコンビニに向かう悠斗だった。

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