第10話 唐突な提案

「なんで警戒しないんだ……」


 脱衣所に入り、独りごちる。

 悠斗を警戒しないでくれるのは有難いし嬉しいものの、普通は自分が入った後の風呂を男に使われるのは嫌ではないのだろうか。

 危機感が無さ過ぎるのではないかとも考えたが、風呂の提案をした際は警戒されたので無知ではないはずだ。

 しかし、後に入る男が変な事をするかもしれないという考えには至らなかったらしい。

 あまりにも無垢な顔で首を傾げられたので、汚れた考えをした自分が恥ずかしくなって逃げ出してしまった。

 そして、この状況で実行出来るような良い性格はしていない。


「……何か、いい匂いがする」


 さっさと風呂を済ませようと服を脱いでいると、ふわりと嗅ぎ慣れない甘い匂いがした。

 脱衣所は毎日利用しているはずなのにどうしてだろうかと考えたところで、美羽が使った後だからだと思い至った。

 

「馬鹿馬鹿しい。変態か俺は」


 何を考えているのかと自分自身に呆れつつ風呂場に入る。

 他人、それもかなりの美少女が使った後の風呂だという意識は消えてくれず、誰もいないのに緊張しながら体を洗った。

 




「上がったぞ」

「ちゃんと温まった?」

「ああ」


 風呂から上がると、美羽はソファに腰掛けながら悠斗に視線を向けた。

 その言葉が母親みたいだなと苦笑しつつ、改めて美羽の姿を確認する。

 母のパジャマを使ったものの、小柄な美羽ではサイズが合わずぶかぶかだ。

 ボタンをきっちり上まで留めているが、だぼっとしているせいで普段見えない鎖骨付近まで見えてしまっている。

 そのせいか妙な色気が出ている気がするものの、反対に袖から指先しか見えていないのが可愛らしさを引き立たせていた。

 その二つが合わさり、上手く言葉に出来ない不思議な美しさをまとった美羽に改めて見惚れてしまう。


「どうしたの?」

「いや、何でもない」


 じっと見つめてくる悠斗に疑問を覚えたのか、美羽が首を傾げながら尋ねてきた。

 正直に話す訳にもいかないので、首を振って誤魔化しつつ美羽から一番遠くなるようにソファに腰かける。


「ありがとね」

「ただのお節介だ。感謝されるような事じゃない」


 美羽の呟きに素っ気なく返した。

 普通であればいくら雨に濡れていても両親の居ない男の家になど上がらないだろうし、風呂に入るなど更に有り得ない。

 むしろ、悠斗をここまで信用してくれた事にこちらがお礼を言いたいくらいだ。


「ううん、こんなのじゃ足りないよ。お礼、何がいい?」

「俺が見ていられなかっただけだから、お礼なんて必要ないぞ」

「……」


 お礼をもらうつもりもないのでキッパリと告げると、美羽が大きく息を吐く音がした。

 テレビを見ながら横目で様子を見れば、思いつめたような表情をしている。

 かさず美羽が言葉を発するのを待って十分くらいだろうか。ようやく彼女が口を開く。


「言いたくなかったら言わなくていいから」

「分かった」

「芦原くんの両親、どうしてるの?」

「父さんは出張、というか単身赴任だな。母さんはそれについていったよ。……そう考えると単身赴任とは言えないな」


 父は悠斗が高校に上がる際に単身赴任になった。

 今更別の高校を受験するのも大変だし、かといって母に残ってもらい、父を一人にしてしまうのも申し訳ない。

 なので、悠斗が説得して母を送り出したのだ。

 冗談めかして告げると、美羽が含み笑いを零す。


「ふふ、親思いなんだ?」

「そうでもないぞ。一人だと気ままに過ごせるし、夜更かしや夜遊びも出来るからな。その為だ」

「そういう事にしておくね」


 正直に認めたくなくてわざと悪くなるように言ったのだが、美羽はくすくすと楽しそうに笑う。


「じゃあ次だよ。ご飯、どうしてるの?」

「コンビニ弁当かカップ麺だな。男の飯なんてそんなもんだ」


 残念ながら悠斗は料理をしない。作れないというより、そこまでする意義を感じられないのだ。

 今時飯などコンビニやカップ麵で物足りる。野菜もしかりだ。

 悠斗のような食生活は男の一人暮らしでは当たり前ではないかと思う。高校生で、かつ実家で一人暮らしなどそうそうないと思うが。

 問題にするような事でもないのでさらりと言うと、美羽が瞳を細めて不満もあらわな表情になる。


「体に悪いよ」

たまにサラダを買ってるし、大丈夫だって」

「でも栄養はかたよると思う」

「じゃあもっと野菜を取るようにする」

「料理するっていう選択肢はないんだね……」

「残念ながらその気はないな」


 美羽が心配してくれているのは分かるものの、かといってコンビニ飯よりも劣る料理を作ろうとは思わない。

 何を言っても食生活を多少の改善だけで済ませる悠斗に限界が来たのか、美羽が眉を吊り上げて悠斗を見た。


「だったら、私が作る」

「……はあ?」


 有り得ないような言葉を聞いた気がする。

 何かの冗談だろうと美羽の様子を伺うと、ぎゅっと拳を胸の前で握り、意を決したような表情をしていた。


「これから、私がご飯を作るって言ってるの」

「……いやいや、おかしいだろ」


 美羽の発言にはいろいろと問題がありすぎる。

 どうしてそんな突拍子もない事を言い出したのだろうかと、思わず呆れた目を向けてしまう。


「何で東雲が作る事になるんだよ」

「芦原くんの食生活改善の為」

「そこまでしてもらう理由がないんだが」

「芦原くんの食生活が乱れてるのを放っておくのはすっきりしないの。さっき芦原くんが家に誘ってくれたのと同じ事だよ」

「内容が違い過ぎる。たった一回の雨宿りとこれから飯を作るのを一緒の扱いには出来ないって」

「私にとっては一緒なの」

「えぇ……」


 どんどん話がおかしな方向に向かっている気がする。

 呻(うめ)き声を漏らすと、美羽は言い聞かせるように幼げな声の割にはっきりした口調で告げる。

 はしばみ色の瞳は理知的な光を灯しており、嘘や冗談ではなさそうだ。


「これからどんどん寒くなるから、公園で時間を潰すのは正直辛いの。だから、芦原くんさえ良ければここで時間潰しをさせて欲しいんだ」

「それはまあ、構わないけど」

「その代わりとして、料理を作る。無理を言ってるんだからこれくらいはしないとね」

「いや、それくらい無理でも何でもないって。好きなだけ家でくつろいでくれ」


 今回は雨が降っているからだが、これからより気温が下がっていく。寒空の中、公園で時間を潰すのは確かに辛いだろう。

 一応、時間潰しの為に家を利用させて欲しいという願いを叶えるのに問題はない。悠斗としてもあの公園で美羽が凍えるのは見たくないのだから。

 ただ、それに対価を払ってもらうつもりはない。

 場所を貸す代わりに料理を作らせるなど、それはもはや友人ではない気がする。

 少なくとも悠斗は美羽を友人だと思っているので、その条件は吞みたくない。

 気負わなくて良いと笑顔を向けるのだが、美羽は必死な表情で悠斗を見つめる。


「それじゃあ私が納得出来ないの。芦原くんの食生活を見て見ぬふりする事も、ただ芦原くんの厚意に甘える事も」


 そこまで言うと。美羽は勢いよく頭を下げた。


「お願い。芦原くんの家で過ごせるお返しに、料理を作らせて?」

「……」


 どこか切羽詰まった声色に、美羽の態度に、何も言えずに唇を結んだ。

 ここまで真剣に頼んでくるのだ。おそらく想像もつかない、譲れない何かがあるのだろう。

 そして、これ程の真摯しんしな頼みを断る事など悠斗には出来ない。


「……分かったよ」

「本当に、ありがとう」


 顔を上げた美羽の表情は嬉しいというよりも、ホッとしているように見える。

 美羽にそこまでさせるものが何なのかは気になるものの、そこは今問題ではない。


「ただ、一つ確認をさせてくれ」

「いいよ。何?」

「東雲の親は、それに納得するんだな?」


 これまで分かっていても触れて来なかった話題に触れる。この確認は避けて通れない。

 なぜか放課後にほとんど遊ばず、ただひたすらに公園で時間を潰しているのだ。

 そうなると、美羽は家族と上手くいってないのだろうかという疑問が浮かび上がる。

 悠斗の勝手な予想だが、美羽は家族関係に何か問題を抱えている。そうでなければこれまでの行動に意味がなくなってしまうのだから。

 とはいえ、流石に夜には家に帰り、飯を食べているはずだ。

 しかし、これから悠斗の家で晩飯を作るという事は、以前よりも帰るのが遅くなるかもしれない。

 美羽がかなり遅い時間まで公園で時間を潰している可能性もあるが、何も聞かずに「じゃあ頼む」とは言えない。少なくとも美羽の親に確認は取るべきだ。

 美羽の顔を真っ直ぐ見つめて言うと、はしばみ色の瞳が動揺からか揺れた。


「……大丈夫」

「なら、これから頼むよ」

「うん。任されました」


 悠斗が頭を下げると、美羽は目を大きく見開いて、その後ふわりと微笑んだ。

 詳しく聞く事はしない。美羽がそう言うのであれば大丈夫だろう。

 これで話は纏まったので、ぴんと張りつめた空気を緩める為に怒られるのも覚悟で尋ねる。


「頼んだ後で聞くのも何だが、作れるのか?」

「作れるよ。これでも料理は得意なんだから」

「正直、イメージが湧かないんだが」

「それ、私に料理は似合わないって馬鹿にしてるよね?」

「いやいや、まさかぁ。頑張って料理する姿も可愛らしいと思うぞ?」


 小柄な美羽の姿からは、申し訳ないが料理が出来るとは思えない。

 一応出来るようだが、美羽が料理する姿は子供がせっせと料理する様子に見えてしまうだろう。

 悠斗のイメージを美羽が正確に把握したので、褒めるように見せかけて茶化すと、美羽の頬が怒りで赤く染まった。


「馬鹿にするなー! こうなったら全力を出して芦原くんにまいったって言わせてやる!」

「期待してるぞ」

「すぐそうやって大人の対応する! いつもそうなんだから!」

「そんな対応したつもりはないんだがな。でも楽しみなのは本当だって」


 ぷりぷりと怒る美羽のご機嫌を取りつつ、先程のような思いつめた様子がなくなった事にひっそりと安堵あんどする。

 そうして、美羽の制服がある程度乾くまで怒られ続けた。 

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