第8話 雨の中の出会い

「はぁ……」


 美羽に悠斗が同じ高校だとバレて数日。バレたからといって特に変わることもない日常を送っていた。

 ただ、今日は十月に入って初めての雨だ。こういう日は自転車通学の際に雨合羽あまがっぱを着なければいけないので非常に面倒くさい。

 じめじめした空気の中で小さく溜息を落とすと、蓮に苦笑された。


「悠は雨が嫌いだよなぁ」

「自転車通学してるやつに聞いてみろ、全員嫌だって答えるぞ」

「そりゃあそうだろうな。正直、俺だってあんまり好きじゃねえよ。体育館に人が多くなるからな」

「屋外の部活の人が筋トレとかランニングに来るから、熱気が凄いんだよなぁ……」


 蓮の言葉に懐かしさを覚えつつ顔をしかめる。

 秋で多少肌寒くなったとはいえ、湿度が高い上に大勢の人がいるせいで気持ちの悪い暑さになる体育館になどいたくない。

 帰宅部で良かったと肩をすくめれば、蓮の恨みがまし気な視線をいただいた。


「夏もそうだが、今も地獄だからな?」

「頑張れ期待の一年生。応援してるぞ」

「はぁ……。こういう日は体育館に来なくていい悠斗が羨ましいぜ」

「特に行く理由もないからな」


 運動部ではないのだから、放課後の体育館に行く必要はない。

 素っ気なく返すと、蓮が気まずそうな苦笑を浮かべた。

 だが、すぐに今日の曇った空に似合わないからりとした笑顔になる。


「そういえば、最近の悠斗は明るくなったな。何かあったのか?」

「いや、普段通りだぞ。そんなに明るくなったか?」


 何かあったと言えばあったのだが、蓮の指摘した事とは関係ないはずだ。

 そもそもこれまでと何も変わらずに過ごしているつもりであり、明るくなったという自覚などない。

 どこが変わったのかと聞き返せば、蓮が腕を組んで思案顔になる。


「一目見て分かるほどじゃねえがな。なんというか、雰囲気が違う気がする」

「なんだそりゃ」


 雰囲気と言われても分かるはずがない。

 それに蓮にしては珍しく曖昧あいまいな発言をするのだなと首を傾げる。

 結局上手く言葉に出来なかったのか、蓮がへらりと軽い笑みを浮かべた。


「悪い悪い、気にしないでくれ」

「分かった。じゃあ帰るよ」

「あいよ。自転車で滑って怪我すんなよ」

「湿気で体育館が滑るんだから、お前こそ滑んなよ」

「分かってるって。じゃあな」

「ああ」


 蓮の指摘が胸に引っ掛かりつつも、お互いに心配をして教室を後にしたのだった。





「ふー」


 一時間半も雨合羽を着て自転車を漕ぐのは流石に疲れる。

 秋になったとはいえ、こういう日は空気がじっとりとして汗を掻くから尚更なおさらだ。

 溜息を吐き出し、雨合羽の水気を払ってリビングに干す。

 本来ならばここから日課のランニングをするのだが、今日は流石にお休みだ。雨の中でも頑張るという根性溢れている性格などしていない。

 すぐに汗を流したくて、風呂場へと向かう。


「ああ、そうか。東雲とは今日話せないのか」


 この一週間と少しで、美羽と話すのがもう当たり前になってしまった。

 美羽の柔らかい雰囲気と偶に見せる子供っぽい仕草や表情に、毎日癒されていたのだと再確認する。

 先程は否定したが、もしかすると蓮の指摘は美羽と親しくなった事と関係があるのかもしれない。

 そんな考えをしたからか、今日は美羽と話せないと思うだけで少し気持ちが落ち込んだ。

 だが晴れればすぐに前のように戻るだろうと楽観的に考えたところで、ふと疑問が浮かぶ。


「……まさか、今日も公園にいるのか?」


 これまで雨の日はランニングをしなかったので、美羽が今日も公園に居るかどうか分からない。

 それに、こういう日も時間潰しをしているのかという話をした事もない。

 ただ、少し空気が冷えてきているので、濡れてしまえば風邪を引く可能性がある。

 いくらなんでも秋の雨の中公園に行くわけがないとは思うものの、疑惑が悠斗の中でどんどん大きくなっていく。

 脳裏にこの半年間の迷子の子供のような美羽の姿が浮かび上がり、じっとしていられなくなった。


「仕方ない、確認だけだ。どうせいないだろ」


 風呂場のスイッチを入れ、浴槽に湯を張る。

 ここまで来れば、悠斗が家に居らずとも設定された高さまで勝手にお湯が溜まるので安心だ。

 リビングに戻って準備を終え、帰って来たばかりの家を傘をさして後にした。





「……何やってるんだよ」


 悪い予想は残念ながら当たっており、公園に着くと小柄な人影がベンチに座っていた。

 この公園にはまともに雨宿り出来る場所がないのだから、ベンチに座るのも仕方ないだろう。

 とはいえ雨は止むことなく降り続いているので、傘をさしていてもかなり濡れるはずだ。

 こんな状況でもここで時間潰しをしている美羽に、思わず呆れた声を掛けてしまった。

 その声で初めて悠斗に気付いたようで、美羽がうつむけていた顔を上げる。

 一瞬だけ目を見開き、その後微笑を浮かべた美羽の表情は、最近見ているものよりか随分元気がないように思う。


「何って、時間潰しだよ。芦原くんこそ雨の日は走ってなかった気がするんだけど?」

「……雨でも走りたくなる日はあるだろ」


 美羽が「何を当たり前の事を」と言いたげにさらりと告げるので、雨が降っていてもこうして時間潰しに来ていたのだろう。

 踏み込まれたくないからか話題を逸らしたので、それに乗った。

 しかし傘を持ってランニングする人などいないし、今の悠斗は髪を下ろしている。

 こんな姿で走りたくなったと言っても説得力の欠片もない。

 咄嗟とっさの見え見えな誤魔化しに、美羽はへにゃりと力なく笑む。


「心配かけてごめんね。でも大丈夫だよ」


 悠斗がなぜ嘘を吐いてまでここに来たかなど、美羽にはお見通しのようだ。

 とはいえ、悠斗も逆の立場であればすぐに理由に思い当たっただろう。

 流石に言い訳が雑過ぎたと小さく苦笑し、改めて美羽の様子を見る。


(こんなに濡れてるのに、大丈夫も何もないだろ)


 傘をさしているのでびしょ濡れという訳ではないが、足元やスカートの端だけでなく、斜めから風が吹きつけてくるせいで背中も少し濡れている気がする。

 もしこのまま体が冷えてしまえば、風邪を引くのは確実だ。

 今までは気候が良かったので大丈夫だったのだろうが、これからはより寒くなるので今までのようにはいかないだろう。

 少なくとも今だけはなんとかしてあげたいとは思うものの、過剰ではないかとも思う。


(でも……放っておける訳、ない)


 以前の悠斗であれば、見て見ぬふりをしたのかもしれない。顔しか知らない相手だったのだから。

 しかし、こうして公園の中限定ではあるが、既に何度も言葉を交わしている。

 そんな話し相手がこうして濡れながらたたずんでいる状況を許せはしない。例え本人に「大丈夫」と言われてもだ。


「嫌だったら嫌だと言ってくれ。もう言わないから」

「……え?」


 悠斗の脈絡のない言葉に美羽が首をかしげる。

 この提案をしてもいいのか非常に迷うが、だからといって今は他に方法が思いつかない。

 気まずくて頬を掻きつつ、視線をらしながら口を開く。


「俺の家で雨宿りするか?」

「え、っと……」

「話し相手が濡れてるのを放って家に帰るなんて、夢見が悪くなりそうなんだよ。それに風邪を引くだろ」

「でも……」

「もう帰るから、良ければついてきてくれ。嫌だったらついてこなくていい。ちなみに両親はいないからそこは理解してくれ」

「え、えぇ!?」


 あれこれ言い訳をべたのが恥ずかしくて美羽の顔を見ていられず、まくしたてるように告げて後ろを向く。

 困惑したような声が聞こえてきたが今更振り向けもしないので、ある程度待ってから歩き出した。

 ついてくるかもしれない美羽の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩けば、後ろから小さな足音が聞こてくる。


「本当に、ごめんね」


 これは悠斗のおせっかいであり、美羽が謝る必要などない。

 謝罪には応えず、歩幅を少し緩めて先を歩いた。





「ここが芦原くんの家……」

「普通の一軒家だろ。さ、上がってくれ」


 ゆっくりと歩いたからか、普段よりも時間を掛けて家に帰り着いた。

 美羽がおっかなびっくりという風に悠斗の家を見上げる姿が妙に可愛らしく、小さく笑みつつ鍵を開けて中に招き入れる。


「変な事をしたらひっぱたいていいからな」

「大丈夫、芦原くんはそんな事しないよ。……多分」

「多分なんだな」

「だって男の子の家に上がるなんて初めてなんだよ! 緊張するに決まってるよ……」


 頬を淡く色づかせて顔を俯ける美羽は非常に可愛らしいが、やはり内心は不安で一杯なのだろう。

 冗談半分で茶化したものの、話し始めて一週間と少ししか経っていない男を信用して家に上がるなど無理な話だ。

 とはいえいつまでも玄関に居ては体が冷えてしまうので、美羽の分のスリッパを置いてリビングに案内する。

 美羽がきょろきょろと物珍しそうに見渡すが、特になんの変哲へんてつもないソファとテレビがあるリビングでしかない。

 好きに観察させていると満足したのか、美羽が鞄を置く。だが、立ったままおろおろとしだした。


「……あの、芦原くん。タオルとか、ない?」

「タオルで拭いた程度じゃ乾かないだろ、それ」

「で、でも……」


 雨の中吹きさらしのベンチに座っていたのだ。背中やスカートだけでなく、別の場所も濡れるに決まっている。それこそ、このままでは座れないような場所が。

 そこまで濡れてしまえばタオルでは乾かないが、かといって乾くまで立たせるのも酷だろうし、するつもりもない。

 そうなると、選択肢は絞られてしまう。

 流石にやりすぎではないかと思いつつも、美羽が納得してくれるのであれば、悠斗の頭に浮かんだ案が一番穏便に済むだろう。


「服を乾かさないといけないし、風邪を引くかもしれないから体が冷えるのも駄目だ。……だから、風呂に入っていくか?」

「え、お風呂?」


 男の家で風呂に入るのがどれほど危険な行為なのか美羽も分かっているらしく、露骨に顔を顰めた。

 その気持ちは十分に理解出来るので、少しでも安心させる為に真っ直ぐに美羽を見る。


「東雲が上るまで俺は風呂場に近付かない。心配だったらリビングか俺の部屋に縛り付けていい。それと服を貸すから、濡れた制服は両親の部屋に干してくれ。もちろん乾くまで部屋には近付かないし、監視してもいい。どうだ?」

「そこまでしなくても……」

「東雲が不安なのは当然だし、とんでもない事を言ってる自覚はある。だから、これくらいがちょうどいいだろ。他に何か追加してもいいんだけどな」

「いいよ。縛りもしないし、監視もしない。けど、絶対に近づかないでね」

「もちろんだ」


 ここで手を出すほど節操なしではないつもりだ。

 そもそも美羽には恋愛感情すら抱いていない。可愛いなと思うが、それだけだ。

 しっかりと頷いて意志を示し、まずは二階の両親の部屋に案内する。

 無断ではあるがそこでパジャマを借り、次に風呂場へ。


「使い方は大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

「じゃあ俺はリビングにいるから、何かあったら大声を出してくれ。それ以外では絶対に近寄らないようにするから」

「……絶対だよ?」

「分かってるって」


 不安そうに瞳を揺らして悠斗を見上げる美羽に笑みを返し、リビングに戻る。

 この状況は本当に現実かと疑うものの、小さくシャワーの音が聞こえてきて、美少女を自分の家の風呂に入れているという実感がじわじわと沸き上がってくる。

 妙に落ち着かなくなり、気を紛らわせる為にケトルに電気を入れ、美羽が風呂から上がった時の準備を始めた。

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