第6話 食堂でばったり

「悠、食堂行こうぜ」

「ああ」


 美羽と話し始めて約一週間。公園の中だけだが、美羽とはかなり気楽に話せるようになった。

 それ以外の変化は特になく、この半年間の過ごし方と全く同じように蓮と食堂に向かう。

 中に入ると様々な料理の食欲をそそる匂いを嗅ぎ取ってしまい、大きく腹が鳴った。

 今日は何にしようかとぼんやりと考えながら長蛇の列に並ぶと、後ろから「お腹すいたぁ」という最近よく聞くようになった少し幼くて高く、けれど不思議と聞きやすい声が耳に届いた。


(なんで東雲がここにいるんだ?)


 この半年間、悠斗はずっと食堂を利用していたが、美羽が来た事など一度もなかった。

 おそらく弁当かパンなのだろうと判断しており、悠斗と話すようになっても会う機会などなく、同じ高校の同級生とは分からないはずだと高をくくっていた。

 美羽が後ろ並んでいるという事実に動揺で心臓の鼓動が早くなるが、必死に抑えつける。

 どうせ振り返らなければバレないだろうし、これほど大勢の人の中から悠斗を後ろ姿で見つける事など出来ないはずだ。

 

「お、東雲じゃん。珍しいな」


 目の前の列に視線を注いで空腹に意識を向けていると、蓮が美羽に気付いた。

 蓮も美羽がここにいるのは意外なようで、目を僅かに開いて驚いている。


「みたいだな」

「いや、東雲の方を見ずに何言ってんだ」

「周囲の様子を見たら分かる」


 蓮の反応もそうだが、美羽がいる事に周囲が気付いたらしく、食堂内の喧騒けんそうが一段と大きくなった気がする。

 少なくとも美羽を見る視線は増えており、悠斗に興味など無いと分かっていても、大勢の人の視界の中に悠斗が入っていると思うと非常に居心地が悪い。

 確かに美羽がここにいるのは珍しいが、そんな分かりやすい反応をしなくてもいいだろうとひっそりと溜息をつく。

 美少女も大変だなと思っていると、蓮が愉快そうに笑って肩を叩いてきた。


「折角だし、悠も見ておいたらどうだ? クラスが違うんだから、東雲をこんな近くで見る事なんてそうそうないぞ?」

「興味ない」

「またまたぁ。この前可愛いって言ってただろ?」

「おい、余計な事を言うなって」


 蓮がにやにやと笑いながら美羽の外見を褒めた話を持ち出したので、慌てて注意した。

 美羽の声はやや後ろから聞こえているのですぐ傍にいる訳ではないが、悠斗達の会話が聞こえていたらと思うと気が気でない。

 後方に神経を集中させると、美羽は悠斗達の会話に気付かなかったようで「食堂に来るのは初めて」という声が聞こえてきた。

 ホッと胸を撫で下ろしつつ、蓮にじっとりとした視線を送る。


「バレたらどうすんだ」

「大丈夫だって、すぐ後ろにいる訳じゃねえし、周りがうるさすぎて気付かれてねえよ。後で悠に怒られたくはないからちゃんと気を付けてたって」

「全く……」

「でも、本当に見なくていいのか?」

「……じゃあ、少しだけ」


 美羽を褒めたにも関わらずかたくなに見ないとなると、蓮がいぶかしむだろう。

 仕方ないと小さく溜息をついて振り返ると、数人空けて美羽が後ろにいた。

 柔らかい笑顔で周囲と会話しており、その話が途切れる事はない。

 だが、その笑顔に違和感を覚えた。


(いつもと、違う?)


 悠斗にとって普段の美羽とはあの公園で話している美羽であり、今の彼女の笑顔を近くで見ると、どこがと明確に言葉に出来ない変な引っ掛かりがある。

 怒ったり拗ねたりしていないのは当然として、笑顔の質が違う気がするのだ。

 それに周囲の会話に相槌あいづちを打つことが多く、悠斗と話している時のように自分からあれこれ言ってはいない。悠斗があまり自分から話さないというのもありそうだが。

 何かが変だとじっと見つめていると、蓮が満足そうに笑いかけてくる。


「目の保養になりますなぁ」

「おい彼女持ち」

「美少女なのは確かだろ? 綾香には敵わないけどな」

「……程々にな」


 美少女は目の保養になるという言葉は否定出来ないので、恋人にフォローを入れる蓮に軽い注意だけしておく。

 そのままぼんやりと美羽を眺めていると、唐突に美羽がこちらを向いた。


「……っ」


 まさか悠斗の方を向くとは思わず、驚きですぐに顔をらせなかった。

 バレてしまったかと背中に冷や汗が流れたのだが、美羽はどうやら悠斗の方にある学食のメニューを見ただけらしい。周囲の同級生と何を食べるか話している。

 最近毎日顔を合わせている人が視界に入っても気付かないのはどういう事かと疑問に思ったが、すぐに原因に思い当たった。


(そうか、髪を下ろしてるから気付かないのか)


 よくよく考えれば、美羽と会う時はスポーツ用のヘアバンドで髪を上げている姿だ。

 見た目が変わると、多少離れてしまえば悠斗に気付かないのだろう。

 心配して損したと緊張で強張った肩を落とし、視線を正面に戻す。


「どうした?」

「いや、何でもない。こっち見てたから気恥ずかしくなっただけだ」

初心うぶだねぇ」

「うるさい」


 へらへらと笑って悠斗を弄り始める蓮に悪態をつきつつ待っていると、ようやく悠斗達の番が来た。

 食券を買うのにも一苦労だなと思いながら、横並びに置いてある食券機の内、一番いている所に向かう。

 お金を入れたところで、ふと何を食べるか考えていない事に気が付いた。


「何にしようかなぁ……」

「俺のおすすめは唐揚げ定食だ」

「それにするか」


 後ろを待たせるのも悪いので、蓮の言葉そのままに発券して受け取り口に行く為に振り返る。

 すると、すぐ後ろに美羽がいた。

 

「え?」


 おそらく数ある食券機の中で偶々たまたま悠斗達のものが早いと思ったからだろうが、あまりに心臓に悪い。

 思わず美羽を見つめてしまい、髪越しにだがばっちりと目が合ってしまった。


「……んん?」


 流石にここまで近づけば違和感を覚えるのだろう。美羽が眉を寄せて訝し気に首を捻る。

 どうしたものかと思考していると、先に行っていた蓮が戻ってきた。


「何止まってんだ。行くぞ、悠」

「悪い、すぐ行く」

「あ……」


 蓮の「悠」というあだ名に一瞬だけひやりとしたが、悠斗の事をそう呼ぶのは蓮しかいない。

 美羽には自己紹介しているものの、悠斗がそう呼ばれているのは分からないはずだ。

 動揺を表に出さないよう、さっと美羽から視線を逸らして受け取り口に向かう。

 小さな呟きはきっと気のせいだと頭から追い出した。





「なあ、さっき東雲に何か言ったのか?」

「いや、何も言ってない」

「じゃあなんでこっちをちらちら見てるんだよ」

「知らん」


 昼食を受け取り、蓮と一緒に食べる。それは普段と変わらないものの、疑うような視線が悠斗に向けられている。

 その視線の主である美羽が悠斗達の近くで昼食を摂っているので、非常に落ち着かない。

 普通の男子であれば美羽の傍にいられる今の状況が羨ましいと思うのだろうが、悠斗は全くそう思えない。

 唯一の救いは話しかけてこない事だ。悠斗を疑っているからなのはもちろんだが、ここでいきなり話しかけたところで周囲が戸惑うのが目に見えているからだろう。

 代わりに、周囲に相槌を打ちながらも悠斗はしっかりと見られているのだが。


「実は接点があるとか」

「俺と東雲がか? ……何をどうしたら知り合うんだよ」


 蓮に本当の事を言えないのは心苦しいが、あの公園での関係は例え蓮でも話せない。

 美羽が許可をしなければ、勝手に言う訳にはいかないのだから。

 呆れた目で嘘を吐くと、蓮にけたけたと笑われた。


「確かに。悠は枯れてるからなぁ、放課後のランニングが趣味とか高校生じゃねえっての」

「部活と綾香さん、それに家の事でほぼ自由時間が無いお前に言われたくない」


 蓮の家は裕福ではあるがちょっとした訳ありなので、家に帰ってもいろいろな事をやらされている。

 高校生にしては覇気のない悠斗と、高校生なのにほぼ行動が縛られている蓮。

 どちらが良いかと言えば先がある蓮だろうが、替わりたいとは思わない。

 悠斗が同じ事をすると、おそらく息が詰まってしまうはずだ。

 そんなハードな日々を過ごしていながらも、蓮はやるべき事をきっちりとこなしている。

 正直尊敬すらしているが、遠慮のない言葉をぶつけると、蓮は痛い所を突かれたと言いたげに苦笑する。


「そうなんだよなぁ、悠と遊びに行く時間が作れないのは問題だ。前遊んだのっていつだっけ?」

「多分夏休みだな。綾香さんが家の都合で行けなくなったからって、プールに連行された気がする」

「ああ、そうだったな。でもいい思いしただろ?」

「場違い感凄かったんだがな……」


 蓮に連れて行かれた場所は市民プールなどとは程遠く、高級感溢れるプールだった。

 一般家庭の出である悠斗では一生かかっても行けない場所だろう。

 いい経験にはなったが肩身が狭かったと大きく息を吐くと、蓮がけらけらと笑う。


「慣れだ慣れ、気にしたら負けだって。にしても夏以来か……。冬にどこか行くか」

「どこかってどこだよ」

「まだ決めてねえ。スノーボードでもいいし、温泉とかでもいいな。スキーかボードは出来るか?」

「上から降りるだけなら出来るぞ。……貸し切りとかは止めてくれよ?」

「そっちの方が良いならやるぞ?」

「不可能じゃないのかよ。この上流階級め」

「その恩恵を受けられるんだ。遠慮すんなって」

「マジで止めてくれ。まあでも、誘ってくれてありがとな」

「いいってことよ」


 この調子であれば、おそらく悠斗に断るという選択肢はない。

 それに、なんだかんだで楽しみなのも事実だ。

 これ見よがしに胸を張る蓮に頬を引きらせつつ、しっかりと感謝を伝えた。

 話も一段落したので、昼食の追い込みをかけつつ美羽の様子を見る。

 彼女達の声はやかましくはないものの、しっかりと聞き取れる音量だ。


「学食も美味しいね」

「にしても美羽がハンバーグ定食を食べてるところはこう……、癒されるなぁ」

「もう、子供っぽいって言いたいんでしょ? 美味しいものは美味しいんだし、別にいいと思うんだけど」

「それでも、やっぱり可愛いー」

「普通に食べてるだけだよ」


 以前美羽が言っていたように、落ち着いた雰囲気に反して周囲からは子供扱いされる事もあるようだ。

 とはいえその対応は悠斗の時とは違い、ムキになることなく微笑を浮かべていて、非常に大人びている。

 公園の時とは随分違うのだなと意外に思っていると、美羽がふと視線を悠斗に向けた。


「……にしても、まだ見られてんな。本当に何したんだよ」

「何もしてないっての」


 今もそうだが、これまでの会話中、美羽の視線は周りから不自然に思われない程度に向けられていた。

 流石に蓮も変に思ったのか、話が前に戻ってしまう。


「漫画とかアニメみたいに、ランニング中にばったり会ったとか」

「……そんな上手い話があるか」


 まさかの真相を言い当てられたことで、すぐに返事が出来なかった。

 遅れて返事をした事で感づかれるかと思ったものの、蓮は特に気にする事なく残り少しとなった昼食を平らげる。


「だよなぁ。ま、こういう時もあるだろ。ごちそうさま」

「ごちそうさま。行くか」


 悠斗も食べ終わり、食器を片付けに行こうと席を立つ。

 美羽の横を通り過ぎようとしたところで、口角をくいっと上げた美羽と目が合った。


「芦原悠斗くん」

「……っ」


 悠斗の心をくすぐるような、意地悪な声が耳に届いた。

 動揺で一瞬だけ固まった悠斗を、愉快ゆかいそうに細まった目が見つめる。


「美羽、どうしたの?」

「ううん、なんでもない」


 美羽はすぐに表情を戻して同級生との会話を再開したが、告げられた言葉と向けられた目は勘違いなどではない。


「……バレたな」


 今日は公園に行くのが怖いなと肩を落としながら、食器を返しに向かうのだった。

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