第5話 美羽の容姿

 美羽と話すようになってから三日目ともなれば、会話にある程度余裕が出来る。


「昨日かなり運動が苦手だって言ってたが、バレーボールとバレエ以外はどうなんだ?」

「全然駄目だよ。体力ないし、どんくさいし」


 美羽が気まずそうに首を振るので、本当に出来るスポーツが無いのだろう。

 幼げな見た目の美羽らしいとは思うが、本人は結構気にしているようだ。


「なら一緒にランニングでもするか? 体力だけは付くと思うぞ?」

「……やめとく。私じゃあついていけないからね」


 どうせ乗って来ないだろうと提案すると、やはり美羽は首を振って否定した。


「そうか。ちなみに運動が出来るようになりたいのか?」


 それ以上は踏み込めないので話を切り替えれば、美羽が顎に手を当てて考えだす。


「んー。なりたいというか、単に羨ましいなって思っただけだよ」

「ぶっちゃけ言うと、多少出来るようになっても大して変わらないからな」


 運動の成績が周囲から評価されるのは、中学生であろうと高校生であろうと一握りの人間だけだ。

 少なくとも悠斗の場合は多少出来るようになったからといって、周囲の評価は変わらなかった。

 そんなに羨む必要はないと励ますと、不満もあらわな表情で美羽が見つめてくる。


「でも、多少動けるならいろんな事に手を出せるでしょ?」

「それなら教えてもらえばいいじゃないか」


 美羽の人気であれば、教えたいという人は山ほどいるだろう。

 おそらく男子は下心たっぷりなので、出来る事なら女子に教えてもらったほうが安全な気がするが。

 それでも教えてもらうのを渋る必要はないと思うのだが、美羽が力なく笑む。


「……それは、出来れば遠慮したいな」


 ぽつりと小さく美羽が零した言葉には、強い意志が込められていた。その先は美羽の心に踏み込む事になるのだろう。

 聞くべきかと迷ったものの、拒絶されると思ったので明るい声になるよう意識して口を開く。


「まあ、運動が出来なくても生きていけるからな。周囲から認められたいだけで運動するとロクな事にならないぞ」

「……うん、ありがと」

「というか、東雲の見た目で運動がばっちりだったら違和感が凄い」


 しんみりとした空気を変える為とはいえ、流石にふざけ過ぎたかもしれない。

 見た目にも触れてしまったので怒鳴られるだろうと覚悟したのだが、意外にも美羽は不服そうに悠斗を見ただけだ。


「馬鹿にしてるでしょ」

「いやいや、違うって。東雲って可愛らしいから、それで運動が出来たら俺の立場が無いだろ」

「……」


 悠斗の予想に反して、美羽は心底意外そうに驚きの表情を浮かべた。

 こういう褒め言葉は言われ慣れていると思ったから言ったのだが、かなり意外だ。

 驚いたような態度を取られると、どうすればいいか分からない。


「何か変な事を言ったか?」

「そうじゃないけど、急に私を褒めるからびっくりしちゃった」

「気にさわったのなら悪い、今度から気を付ける」


 たかが数日話しただけで容姿に触れるのはやりすぎだったようだ。

 もしかすると表情や態度に出ていないだけで、内心では怒っているのかもしれない。

 軽率な事をしてしまったと謝罪すれば、美羽が嬉しいような、気まずいような苦笑を浮かべる。


「……褒められるのは嬉しいけど、芦原くんって一度も私の容姿を褒めなかったよね?」

「いきなり見た目を褒めたらあのナンパした男と同じになるだろ。……まあ、結局馬鹿にしてないってのを証明する為に褒めたんだけどな。むしろ俺を怒らないのか?」


 悠斗の言葉に美羽が呆けたように固まり、その後へにゃりと眉を下げて苦笑した。


「心から褒めてるのに怒る訳ないよ。もちろん馬鹿にされたら怒るけど」

「でもこの前は――」

「あの時はナンパ相手だったから冷たく当たっただけ。自分の容姿はちゃんと自覚してる。もちろん、背が小さい事もね。それで子供扱いされる事もあるけど、皆の言葉にいちいち怒ってたらキリが無いでしょ?」

「確かに」

「だから、容姿に触れたり弄られるのは構わないよ。……ずっと弄って欲しい訳じゃないからね?」

「分かった。注意するよ」


 学校でもかなり人目を引くので、やはり美羽は可愛いとよく言われているようだ。

 そしてかなり背が低いので、いくら落ち着いていても子供扱いされる事はあったのだろう。それらに毎回怒ってはいられないというのも納得がいく。

 ただ、美羽の言葉には不満がありありと込められていた。

 悠斗としても毎回弄って怒らせたくはないので、やりすぎないように注意しようと決意する。


「……ありがとね」

「いきなりどうしたんだ?」

「いろいろと気遣ってくれて、その上で私にこうして付き合ってくれて、ありがとう。何を話せばいいか分かんないよね」

「……まあ、そうだな」


 容姿、スポーツ、そして家庭環境以外となると何を話すのが正解なのか分からない。あちこちに地雷が埋まっている気がするのだ。

 そして、人の輪の中心にいて周囲の空気を多少なりとも読まなければならない美羽は、悠斗の気まずさも読んだのだろう。

 美羽の言葉を否定できず、申し訳ないと思いながらも頷くしかない。

 流石にこれは情けないなと気持ちが沈んでしまい、顔をうつむける。


「大丈夫だよ。さっきも言ったけど、そんなに気にしてくれてる人に多少踏み込まれたって怒らないから」

「……いいのか?」


 美羽が唐突にこぼした言葉に思わず呆けた声が出てしまった。

 顔を上げると、咲き誇る花のような、ふわりとした笑みが向けられている。


「代わりと言うのもなんだけど、愚痴ぐちに付き合ってくれる?」


 悪戯っぽく微笑んで美羽が首を傾げた。

 その言葉は昨日悠斗が言ったものであり、以前の誤魔化しをやり直したいのだろう。

 明るい微笑みに引っ張られ、悠斗の口が自然と弧を描く。


「もちろん。任せてくれ」


 いつの間にか、沈んだ気持ちは浮き上がっていた。





 それから数日。打ち解けたからか、薄い壁のような遠慮がなくなってきた。

 今も美羽は隣でムスッと不満もあらわに拗ねている。

 学校で周囲の人と話す際はほぼ笑顔のようだが、悠斗の前でこんなにも笑顔以外の感情を出しているのは、既に怒った姿を見られているからだろう。

 こういう不機嫌な姿も可愛らしいのだから美少女はずるい。


「もう! 子供じゃないのに、どうして皆『美羽はしないでいいからね』って体育の片付けをさせてくれないの!? 私だって運べるのに!」

「そりゃあその見た目だからな。ちなみに、何を運ぼうとしたんだ?」

「バドミントンのポール」

「アウト」

「なんでー!?」


 バドミントンのポールは細いとはいえ、美羽が運ぶと危なっかしく思えたのだろう。

 おそらく悠斗がその場にいたら同じように声を掛けるはずだ。人が多いと出来そうにないが。


「皆心配してるんだって」

「マスコット扱いな気がするんだけど」

「否定は出来ないけどな。でも、そんな東雲に皆元気付けられてるんだよ」


 悠斗としても、既にこの時間が楽しみになっている。

 ころころと美羽の表情が変わり、その中でも柔らかな笑顔は元気がもらえる。

 真っ直ぐに褒めるのは気恥ずかしいが、不思議と出てくる言葉に後悔はない。

 迷いなく告げると、美羽の頬がほんのりと赤くなった。


「そう、かな。そうだったらいいなぁ……」

「自信持てって。東雲に微笑まれて元気が出ない人はそうそういないから」

「芦原くんも?」


 はしばみ色の瞳がじっと悠斗を見つめる。その中には期待が揺らめいているように感じた。

 こてんと小首を傾げる仕草は幼げな美羽の外見に非常に合っており、心臓が跳ねてしまう。

 頬に熱が昇ってくるのを自覚しつつ、うめきそうになるのを堪えて応える。


「そうだな。東雲と話すと元気がもらえる」

「……それなら、いいかな」

「だいぶ薄暗くなってきてるから、俺が通報されないかが心配なんだがな」


 少しだけしんみりとした流れになったので、空気を入れ替えるようにわざと危険な話題に変える。

 踏み込んでも良いと言われていたが、流石にこれは怒られるだろう。

 悠斗の唐突な発言に美羽は最初きょとんとしていたが、言わんとしている事を理解したのか顔を真っ赤に染めた。


「ちっちゃいって馬鹿にして!」

「すまん、悪かった」


 怒るといっても多少むっとしているだけなので、美羽も雰囲気を変える為だと分かっているようだ。

 だからこそ、悠斗への態度は以前ナンパされた時の男子に向けた態度とは全く違うのだろう。

 とはいえ流石に謝罪しなければと頭を下げたが、ぷいとそっぽを向かれた。


「ふん。どうせ私は子供っぽいですよー」

「……そういう所が子供っぽいと思うんだけどなぁ」

「芦原くんのいじわる!」

「悪かった、ホントに悪かったって!」


 結局、悠斗が不用意な発言をしたせいで美羽がむくれてしまい、なだめるのにかなりの時間を使ってしまった。

 だが以前までとは違う距離感に、多少弄っても本気で怒らない態度に、悠斗の胸が温かくなった。

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