第3話 自己紹介は大切

 美羽と初めて話した次の日でも、悠斗はいつものように放課後のランニングをしている。

 河川敷を過ぎて住宅街に入ったところで、ふと迷いが出た。


(コースを変えるか? いやでも別に悪い事はしてないし、東雲もあんな事があったんだ。時間潰しの場所を変えてるだろ)


 半年間様子を確認していたのは悪い事ではないのかと悠斗の中の罪悪感がささやくが、美羽が許してくれたのでもう気にしない事にする。

 一定のペースで足を動かしていると、公園が見えてきた。

 普段であれば入り口には誰もいないはずだが、なぜが淡い栗色の髪の少女がたたずんでいる。


(どうしてそこにいるんだよ……)


 昨日ひと悶着あった場所だ。普通に考えれば時間潰しの場所を変えるだろう。

 仮にここでしか時間潰しが出来ないとしても、わざわざ悠斗が通る場所にいる理由が分からない。普段通りベンチに座れば良いと思う。

 頭の中に疑問が浮かび、なぜか後ろめたさを感じて回れ右をしようと思ったものの、ふと美羽が視線をこちらに向けた。

 その顔が安堵で満たされてしまえば、逃げる事は出来なくなる。


(……まあいいか)


 息が乱れるのもお構いなしに大きく溜息をつき、動じていないフリをして美羽の所に行く。

 何かの間違いだろうと、自然に横切ろうとしたところで「あの」と声がかかった。

 流石に無視する訳にもいかないので、足を止めて息を整える。


「何か用か?」

「どうぞ」


 唐突にスポーツドリンクが差し出された。


「……これ、何だ?」


 そんな物をもらうような事などしていないといぶかしむと、美羽がほんのりと唇を尖らせる。


「昨日のお礼です。話をする前に貴方が帰ったので、とりあえず用意しました」

「お礼は昨日もらったから、別にいい」

「私は何もしてませんし、買った物はもう戻せません。それに、今これを飲みたいとは思わないんです。もらってくれますか?」

「……はぁ、分かったよ」


 真剣に、申し訳なさそうに告げられれば、要らないという言葉が出せなくなる。

 計算でそんな態度を取っているのなら策士だなと、若干呆れつつ受け取った。

 これで話は終わりだと思ったのだが、美羽が公園に入っていく様子が見られない。

 ブラウンにほんのりと赤を含んだはしばみ色の目からはどこか必死さが見え、そわそわと体が揺れている。


「もしかして、まだ何かあるのか?」

「えっと……。少し、話していきませんか?」


 おずおずと放たれた言葉に思考する。

 どうせ怒鳴った姿を見られたのだからと、時間潰しの相手として適当に選ばれたのだろう。

 悠斗としてもあんな迷子の子供のような姿を見せられるよりかは、悠斗と話す事で少しでも気が楽になってくれれば胸が痛まない。

 顔見知りが沈んだ表情をしていては流石に良い気分にはならないのだから。


「クールダウンにストレッチしながらでいいなら」

「はい、それで構いません。ありがとうございます」


 悠斗の事情もあるのでお礼をされるような事ではないのだが、詳しく言えもしないので大人しく感謝を受け取って公園の中に入った。

 美羽がベンチに座り、悠斗はある程度距離を取ってゆっくりと体をほぐす。

 何か話題はないかと思ったところで、共通の話題などほとんど無いことに気が付いた。


「……」

「……」


 話すと言った割に、美羽は一言も喋らずにもぞもぞと居心地悪そうに体を揺らしている。

 人の輪の中心にいる美羽がこうして黙っているのは違和感だ。

 しかし悠斗達の最初の会話からして普通ではなかったからか、話題作りに苦労しているのだろう。

 悠斗の方から話し掛ける必要など無いと思っているので、お互いに無言になってしまった。


「……ふぅ」


 十分にクールダウンを済ませ、溜息をつくと美羽がぴくりと体を揺らす。

 正直話す事が無ければ帰ろうかとも思っていたのだが、美羽の表情が不安に彩られているのを見てしまって、そんな気持ちもしぼんでいった。

 無言で美羽が座っているベンチの端に腰掛けると、美羽がホッとしたように肩の力を抜く。


「あの、そう、自己紹介です!」

「……は?」


 唐突に発せられた言葉に呆けた声を出すと、美羽は意を決したように体の前でぐっと握り拳を作った。

 幼げな見た目の美羽がそんな仕草をするのだから、非常に似合っていて微笑ましい。

 とはいえ褒める事など出来ないので、首を傾げて先をうながした。


「貴方の名前、知りません。ですから教えてくれませんか?」

「ああ、そういう事か」


 美羽からすれば、学校で目立たない悠斗の事など知らなくても無理はない。

 それに、昨日はもう関わる事もないだろうと自分の名前すら告げなかった。

 今日は話し相手になるのだから自己紹介はすべきだろう。

 短く同意を示すと、美羽がにっこりと笑う。


「はい。順番は逆になりましたが、やはり初めは自己紹介からですよね。では私から――東雲美羽です。よろしくお願いします」

「芦原悠斗だ。よろしく」

「芦原さんですね。改めてよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 悠斗の名前を聞いても覚えがない様子からすると、やはり悠斗の事は把握していないようだ。

 穏やかに、嬉しそうに笑う美羽とベンチに座ったまま顔だけで向き合えば、昨日とは違って余裕を持って美羽が見れる。


(なんというか、そりゃあ人気が出るよな)


 肌はかなり色白でシミ一つなく、幼げな顔立ちではあるが顔やパーツは非常に整っており、柔らかな雰囲気と合わさって子供っぽく感じない。

 その表情はようやく取っ掛かりが出来たからか安堵に染まっていて、学校での柔らかい雰囲気に非常に近くなっている。

 ちぐはぐさすら感じるはずの姿なのに歪さは全く感じず、悠斗の目には清楚さと幼さが噛み合い、魅力的に映っているのが不思議だ。

 これほどの美少女と二人きりで話す機会だという事を強く実感して、緊張で落ち着かなくなる。

 何とかしなければと思考を巡らせると、ふと疑問が浮かんだ。


「そう言えば、どうして東雲は敬語を使ってるんだ?」

「え? だって年上ですよね?」


 美羽は同級生なので、悠斗に敬語を使う必要はない。だが美羽からすれば、悠斗は年上に見えているようだ。

 確かに年齢は言っていないものの、年上に見られるとは思わなかった。


「俺は高校一年生だ。東雲と一緒だぞ」


 小さく苦笑しながら告げると、美羽は目をぱちくりとさせて驚く。


「え、一年生なんですか!? 年上だと思いました……」

「それ、褒め言葉として受け取っていいのか?」

「褒めてますよ。昨日の対応も冷静でしたし、落ち着いてるというか大人びてます」

「……そうか」


 悠斗は落ち着いているというよりは単に他人に興味がないだけで、今も美羽の事は単なる話し相手としか見ていない。

 可愛い人だとは思っているが、そもそも悠斗と美羽ではどうあがいても釣り合いにならないと思っている。

 けれど美羽がはっきりと迷いなく褒めるので、背中がむず痒くなって言い返せなかった。


「それで、いつまで敬語を続けるんだ?」

「あ、そうですね。じゃあ、改めて――」


 思いきり話を逸らしたのだが、美羽は気にしていないようだ。

 美羽が大きく息を吸い込み、悠斗を真っ直ぐに見つめる。


「よろしくね。芦原くん」


 敬語が抜けた美羽本来と思える口調だからか、先程と違った親しみやすい印象を受けた。

 身近に感じつつも上品さがある雰囲気に、手が届きそうで届かない高嶺の花だなとひっそりと息をはく。


「よろしくな」

「でも、何で私が一年生だって知ってるの?」

「昨日ここで言い合いしてたのが聞こえた。その時の内容からして一年生だと思っただけだ」


 同じ高校に通っていると言うべきか一瞬だけ考えたが、意味が無いと思って止めた。

 どうせ悠斗と美羽では学校での立場に天と地ほどの差があるのだ。知ったところで何も変わらない。

 違和感を持たれないように説明するれば、美羽が「ああ、そっか」と小さい声を返した。


「……大人っぽくていいなぁ」


 ぽつりと零れた言葉には羨望が込められており、美羽の視線はどこか遠い所を見ているようだった。

 それは今にも消えてしまいそうで、これまで見続けていた儚い姿と同じものだ。

 話し相手にそんな顔をして欲しくなくて、思わず口を開く。


「東雲こそ大人びてるだろ。しっかり者だし」

「そんな事ないよ」


 泣き笑いのような微笑みに心がざわつく。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、美羽が頬に手を当てて考え込んだ。


「芦原くん、何で私がしっかり者って知ってるの? そんな姿なんて見てないよね?」

「……っ」


 つい余計な事を言ってしまった、と後悔したがもう遅い。よくよく考えれば先程の発言は明らかに普段の美羽の姿を知っているような言い方だった。

 どくんと心臓が跳ねてしまい、その動揺を表に出さないよう唇を噛み締めて、間を持たせる為に美羽からもらったスポーツドリンクを喉に流し込んだ。

 正直に話すべきかと考えたが、悠斗の事を知っても美羽が得する事はないと思いなおした。


「こうしてお礼をしてくれたんだから、しっかり者だなと思っただけだ」

「ふうん……」


 美羽は悠斗をはしばみ色の瞳でジッと見つめているだけで、考え込んでいる表情からは内心が読み取れない。

 もしかしたら素直に話せば良かったのかもしれないが、今更訂正が出来るような空気でもなくなっている。

 旗色が悪くなる前に退散しようと、残り少なくなったスポーツドリンクを飲み干して立ち上がった。


「飲み物、ありがとな。もう帰るよ」

「あ、えっと……」


 なぜか美羽が慌てだしたので、まだ何か話す事があるのだろうかと彼女の言葉を待つ。

 話題が変わるのであれば、もう少し話しても大丈夫だ。

 先程のように余計な事をしないと気を引き締める。


「昨日のお礼、何が良い?」

「お礼なんて言葉と飲み物で十分だ。返されるような事なんてしてない」

「でも、そんなんじゃ釣り合わないよ」

「毎日様子を見に来るような不審者にはこれだけで十分だって。それじゃあな」

「あ……」


 このままでは美羽が納得しないだろうと、冗談めかしつつも強引に話を打ち切って背を向ける。

 昨日の行動はお礼を期待してのものではないし、仰々ぎょうぎょうしいものを準備されても困るのだ。

 美少女からの感謝の言葉と飲み物で十分にお礼になっているのだから。

 名残惜しそうな声に振り返りそうになったが、これで話は終わりだろうとそのまま歩き出す。


「ねえ芦原くん。明日も、ここに来る?」


 背中に届いた声には期待と不安が込められており、肩を縮こまらせて悠斗を見上げる美羽の姿を幻視した。

 そんな声をされれば来ないとは言えない。


「ランニングの帰りでいいならな」

「……っ、うん! またね!」

「ああ、またな」


 弾んだ声に変わったことにホッとしつつ、コンビニに向かう為に公園の出口を曲がった際にちらりと美羽の方を見る。

 もう挨拶は済んだのに、美羽は悠斗の姿が見えなくなるまで小さく手を振っていた。

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