第2話 ついに起きてしまった事
油断をしていたと言えば嘘になるが、確かに楽観視はしていた。
これまで約半年間、美羽の様子を見続けていてもトラブルは全く無かったのだから。
蓮と美羽について話した次の日。今日も美羽の様子を見るだけで終わるだろうと公園の近くに行くと、普段では有り得ない
「……ん?」
ほぼ毎日この公園に足を向けていたからこそ分かる違和感。
この時間に話し声が――それも明らかに言い合いをしているような声が――聞こえてきたことなど一度もなかった。
背筋に冷たいものが這い上がり、それを振り払うように急ぎ足で公園に到着する。
物陰から様子をうかがうと、悠斗と同じか少し年上の男子高校生が美羽に絡んでいるのが見えた。
「その様子だと暇してたみたいだし、時間潰しなら付き合うよ?」
「だから余計なお世話だって言ってるよね?」
「こんな所に一人でいるのは危ないよ?」
「あなたについていく方が危ないと思う」
「そんな事ないって。信用してくれよ」
周囲が静かだからか、多少声を大きくしているだけでもしっかりと会話が聞き取れる。
男子生徒がしつこく話しかけているのか、美羽は学校での柔らかな笑みを引っ込め、感情を顔に浮かべず素っ気ない対応をしていた。
ただ、こんな人気のない場所でこれほどの美少女を目にしたからと、男子生徒も引く気はないようだ。
「というかその制服だとあの高校の生徒だろうし、随分遠い所に行ってるんだね」
「……だから、何?」
「いや、頑張ってるんだなって。高校生になってこんな遠くから半年間通うのは大変だったよね。それとも君くらい可愛い子なら、誰かに送ってもらってるかな?」
素直に誘うのは悪手だと判断したのか、男子生徒は美羽の制服姿から話を膨らませようとしたようだ。
悠斗と美羽が通っている高校は家から自転車で一時間半以上かかるのだから、話の切っ掛けとしては悪くないのだろう。
だが、その言葉を聞いた美羽は眉を吊り上げて彼を睨み付ける。
今まで一度も見た事のない表情と雰囲気に、なぜか悠斗が体を強張らせてしまった。
「あなたには関係ないよね?」
「そうだけど、不安になるだろ? 今だって一人だし、俺と時間潰しするのが嫌なら送ろうか?」
「――い」
急に美羽が顔を伏せてぽつりと言葉を零す。
だが声が小さすぎて、流石に聞き取れなかった。
男子生徒も同じなのか、きょとんと首を傾げている。
「えっと、どうしたの?」
「……しつこい! 放っておいてよ!」
引き裂くような悲痛な声が美羽の口から発せられた。
そんな声が返ってくるとは思わなかったのか、男子生徒がおろおろと慌てだす。
「ご、ごめんな?」
「何言っても話しかけてくるし、勝手に踏み込んでくるし、何なの!?」
「だからごめんって。お詫びしたいから、移動しないか?」
流石に空気が悪くなったのを察したのか、男子生徒は眉を下げて提案した。
おそらくこの場で大事になるのは避けたいと思っての判断だと思うが、今の状況からすれば悪い方向にしか働かない。
「いい加減にして!」
完全に頭に来ているようで、美羽は全身に怒気を
これ以上あの二人が会話をしても悪い方にしかいかないはずだ。
潮時だろうと仲裁の為に美羽達の方に足を向けようとしたのだが、弱気な考えが悠斗の頭によぎった。
美羽と赤の他人なのは前から変わらない。そんな関係でこのトラブルを止められるのだろうか。
下手をすると余計に状況を
だが、こういうもしもの時の為に普段から様子を見ていたのだと、かぶりを振って足を止めさせる思考を追い出す。
(ここで逃げたら半年間の行動がただの自己満足でしかなくなる。どうにでもなれだ)
必死に澄まし顔を取り
「もういいだろ。何で嫌がってるのに一緒に行動しようとするんだ」
美羽達の傍に行き、怒鳴られ続けてもなお話そうとする男子生徒を諭すように告げた。
男子生徒に何か言われると覚悟していたが、彼は何も言わずばつが悪そうに顔を
美羽の様子を見ると、突然の乱入者に目を瞬かせて驚いていた。
どうやら怒りの矛先を悠斗に向けるつもりはないようなので、まずは余計な事しかしない彼をここから退かすのが最優先だろう。
「さんざん怒鳴られて断られてるだろうが。これ以上は何をしても意味が無いって分かってるんじゃないのか?」
「それ、は……」
仮に男子生徒が美羽を本気で心配していたとしても、今更何を言ったところでどうしようもないのは分かりきっている。
急に怒った美羽にどう対処すればいいのか分からないのではないかとも思ったが、ここまで
「何の用事があってここに足を運んだのかは知らないがな、放って欲しいならそうするのが優しさだろうに。それが初対面なら
「……じゃあ、そういうお前はその子を知ってるのか?」
今まで悠斗の言葉に何の反撃もしなかったが、男子生徒が痛い所を突いてきた。
この展開になる事も考えてはいたが、正直この先は美羽次第になる。
更に拗れないでくれと願いながら、緊張で鼓動が早くなる心臓を抑えつけて口を開く。
「いや知らないな、
「……え?」
ほぼ毎日公園を横切るのだ。ぼんやりとしていても視界に入るし、
美羽が小さく声を上げたので、やはり悠斗の事は把握していたようだ。だが話を合わせてくれるらしく、それ以上何かを言ってはこない。
嘘の発言なのだが、それを表に出さないように真っ直ぐに男子生徒を見つめれば、彼が視線を泳がせてたじろいだ。
「う……」
「それで、まだこの人に関わるのか?」
「……強引な事をして悪かった。偶々こっちに用事があっただけだし、もう寄る事はない。本当にすまなかった」
流石にこの状況でまだ話す度胸はないのか、男子生徒はあっさりと引いてくれた。
美羽がこれで良いのなら悠斗から言う事は何もないので、事態が自分を置き去りにして進んでいくのをぼうっとした顔で眺めていた美羽の方に視線を向ける。
「だそうだが、それで納得出来るか?」
「は、はい、それでいいです。……もう関わらないで」
「分かったよ」
突然話を振られた美羽は
彼も熱が冷めたようで、短く言葉を零して公園から去っていく。
その姿が見えなくなったのを確認し、改めて美羽に向き合った。
どうやら大事にならなくて安心しつつも悠斗に何を言うべきか戸惑っているらしく、視線をあちこちにさ迷わせている。
突然話に割り込んだにも関わらず土壇場で話を合わせてくれた事には感謝だが、それはそれとして悠斗は勢いよく、深く頭を下げた。
「本当に、すまなかった!」
美羽からすると、毎日ランニングしている姿を目撃していたとはいえ、赤の他人がいきなり話に入ってきたのだ。
それは恐怖でしかないし、ずっと様子を見られていたと考えれば嫌悪感すら抱くだろう。なにせ悠斗自身後ろめたさを感じていたのだから。
先程の男子生徒と同じかそれ以上の暴言を言われるのを覚悟し、それを受けてから立ち去ろうと思っていたのだが、どうも美羽の様子がおかしい。いつまで経っても文句が飛んでこない。
「……顔を、上げてください」
頭を下げたまま待っていたのだが、暫く経ってから聞こえてきた声は驚くほど穏やかだった。
怒られるか引かれるのを覚悟していた悠斗にとって、その声色はあまりに意外すぎる。
おそるおそる顔を上げると、先程の男子生徒に向けていた怒りや無表情ではなく、ふわりと柔らかな笑みが向けられていた。
「助けてくれてありがとうございます。みっともない所を見せてしまいましたね」
その笑みは学校で偶に目撃する笑みに近いものの、先程の怒りや冷たい表情を悠斗に見られていたからか少々ぎこちない。
とはいえ、そんな笑みを向けられるとは思ってもいなかった。
「それはいいんだが、怒らないのか?」
「どうしてでしょうか? 助けてくれた人に怒るつもりはありませんよ?」
心底分からない、と言いたげにきょとんと美羽が首を傾げる。
だが先程の反応からして悠斗の事を知っているはずなのに、なぜ警戒しないのだろうか。
「そう言ってくれるのは有難いんだが、俺がここをランニングコースにしてたのを知ってるよな?」
「知ってます。あ、また走ってるなって見てました」
「普通そんな人がいきなり話しかけてきたら警戒すると思うんだが」
「はい? 警戒する必要ありませんよね?」
「……は?」
どうも悠斗と美羽では現状の認識に違いがあるらしい。
思わず呆けた声を出した悠斗を、気まずさと申し訳なさを混ぜた苦笑で美羽が見つめた。
「だって、私がこうして時間潰しをしていたのを分かっていても、話しかけてきませんでした。それに、ちらちら私を気にしてました。変に接触しようとせずに、私を気遣ってくれてたんだと思ってましたけど、違いましたか?」
「……参ったよ」
学校で輪の中心にいるだけあり、美羽は周囲の空気に目ざといようだ。しっかりとした性格に合わせて、非常に頭の回転が良いのだろう。
これまでの悠斗の行動と内心を言い当てられた事で、誤魔化す気も起きず両手を上げて降参の意を示した。
「でも、そうやってジロジロ見られるの、気持ち悪くないか?」
「正直、最初は怖かったです。でも途中からなんとなく心配されてるんだなって分かりましたし、今も助けてくれました。だから、大丈夫です」
「……そうか」
話した事が無くともある程度の信頼を得ている事をむず痒く感じ、唇を引き結ぶ。
小さい微笑に僅かに跳ねた心臓を抑えつけ視線を横に向けると、美羽が深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
「頭なんて下げなくて良い。ストーカー
「ストーカーなんですか?」
「……毎日様子を見に来るなんて十分ストーカーだろうが」
悠斗の言葉だけで状況を判断すると完全にアウトだ。心配だったからなんて言い訳は通じない。
そんな人間に感謝する必要などないと告げると、美羽がくすくすとおかしそうに笑った。
「ほぼ毎日顔を見るような人がストーカーなら、クラスメイトは皆ストーカーですよ。気にしないでください」
「……
励ましの笑みを向けられる資格などない。
悠斗など話しかける勇気も持てず、美羽の事情を解決する力もない、非力で臆病な人間でしかないのだから。
罪悪感でちくりと傷んだ胸の痛みを押し殺し、冗談半分に告げると美羽が陽だまりのような温かい笑みを浮かべた。
「ふふ、そういう人なら真っ先に声をかけてくると思います。貴方は違いますよ」
「……勝手にそう思ってろ」
「はい。そうしますね」
悠斗のつっけんどんな物言いにもめげず、美羽は穏やかに笑う。
こういう所が人気の
「それで、もう何も無いとは思うけど、念の為に送ろうか?」
「大丈夫です。家も近いですし、送られる必要もありません」
大きく頷かれたので先程のナンパの件はもう気にしていないようだ。
ただ、悠斗が送る提案をした際に美羽は一瞬だけ目線を滑らせて悠斗を警戒した。
いくら多少信用しているとはいえ、送られるのは嫌なのだろう。であれば、悠斗も気にしない。
どうせ今日だけの関係なのだ、明日になればこれまで通りの距離感に戻る。
美羽の頭の良さであれば、これからはこの公園で時間を潰さず、別の場所で時間潰しを行う可能性もある。
「そうか、じゃあ俺は帰るよ」
別れ際に仲良く手を振る関係でもなければ、離れるのを惜しむような間柄でもない。美羽に背を向けて歩き出す。
普段ならこの公園を過ぎてからクールダウンとしてペースを下げるが、とっくに息は落ち着いているし、改めて走る元気もない。
「え、あ……」
戸惑った声が聞こえてきたが、気のせいだろう。
美羽が悠斗を引き留める理由など無く、お礼は悠斗のこれまでの行動を許された事で十分なのだから。
教室の窓際でひっそりと過ごすだけの悠斗でも、輪の中心にいる美羽の役に立てたなら誇らしい事だ。
多少は役に立てたかもしれないと胸を弾ませ、けれどもう話す事がなくなったのをほんの少しだけ惜しみながらコンビニへと向かった。
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