小さな同級生が気付いたら通い妻になってました。

ひるねこ

第1話 いつも通りの日常

「ふわぁ……」


 うだるような夏の暑さが過ぎ去っていき、過ごしやすい秋の風を感じ始める十月初め。

 半年ぶりの長袖に身を包み、芦原悠斗あしはらゆうとは窓際で口を抑えながら大きく欠伸を落とした。


「随分眠そうだな。さては夜更かしでもしたか?」


 悠斗の唯一と言っていいくらいの友人である元宮蓮もとみやれんが、頬杖をつきながら悠斗に呆れた風な目を向ける。

 短めの薄い茶髪にすらっとした、けれどしっかりと肉付きのある体。

 好青年とはっきり言える整った顔立ちは、普段の爽やかな笑みではなくからかいの色を大きくしている。

 その笑みにじろりと視線を送り、けれど否定が出来ずに眉を寄せながら頷く。


「動画って寝る前に見始めると止まらないよな……」

「あるあるだな。ちなみに何を見てたんだ?」

「猫だ。癒されるぞ?」

「その結果寝不足になってるんだから、余計疲れてるじゃねえか」

「猫を見て疲れるなら本望だ」


 あの素晴らしくも愛らしい生き物を見て寝不足になるのなら一向に構わない。

 大真面目に言うと蓮にからからと笑われたので、顔をしかめながら何となく外のグラウンドに目を向ける。

 次の授業が体育らしく、運動着に着替えた生徒が集まっているその中に、一際目を引く小柄な姿が見えた。


東雲しののめか?」


 蓮が悠斗の視線の先を目ざとく把握した。

 東雲美羽みう

 悠斗と同じ高校一年生ではあるが、小さすぎて同年代とは思えないほどの小柄な体。

 背に合わせるように顔立ちは子供っぽいが非常に整っており、十人に聞けば十人共が可愛いと答えるはずだ。

 腰まで伸ばした淡い栗色の髪は毛先まで艶やかであり、折れそうな程に華奢な体つきと合わせて、愛らしさと上品さを絶妙なバランスで保っている。

 外見に反して性格は子供っぽさとは程遠く、非常に穏やかでしっかりしているそうだ。

 そのせいか、庇護欲をそそる見た目のはずなのに、妙に大人びた不思議な雰囲気を持っている。

 悠斗の通う高校の中で美少女と言われたらまず間違いなく名前が挙がる人だ。


「可愛いよなぁ」

「……まあ、分からなくはない」


 美羽の柔らかな笑みを向けられれば、ほとんどの人は悪い感情を抱かないだろう。

 実際、遠目ではあるが今もふわふわとした笑みを浮かべて、周囲に集まっているクラスメイトと話している。

 だが周囲を和やかにする美羽にはある噂がある。


「彼氏持ちらしいけどな」


 可愛いと褒めた割にはあまり興味が無さそうに蓮がこぼした。

 美羽は人の輪の中心にいるような性格に反して、放課後等の行動はかなり乗りが悪い。

 また先日行われた文化祭では大勢の人からの告白をばっさりと断っていたので、彼氏がいるのではと噂が立っているようだ。

 本人は否定しているらしいが、頑なに男子を断り続ける姿勢と放課後遊ばないという事で、噂は消えていない。

 悠斗としても、文化祭の件や蓮の話だけを聞いていたらその結論に至るだろう。


「そりゃそうだろ。あんな可愛い人に彼氏がいなかったらおかしいって」

「それでも告白が絶えないんだから、美少女も大変だよなぁ」

「お前も人の事言えないだろうが。というか、お前が綾香あやかさん以外を褒めるとは思わなかったな。恋人が泣くぞ?」


 まるで他人事のような態度に、溜息混じりに苦言をていした。

 爽やかで顔が整っている上に、所属しているバレー部でも既に頭角を現しているほどの運動神経を誇る蓮はモテる。

 しかし彼には別の高校に通っている風峰かざみね綾香という恋人がおり、先日の文化祭で周囲に恋人がいる事を思いきりいちゃついてアピールしていた。

 綾香が凄まじく美人な事もあって、告白してくる人がいなかったと蓮が文化祭後に喜んでいたのを覚えている。

 あれほどの人と付き合っておきながら他の女性に目移りするのはいかがなものかと呆れた目を向けると、蓮はへらりと軽い笑みを浮かべた。


「東雲が可愛いのは間違いないけど、俺の中では綾香が一番だな。そこは揺らがねえよ」

「それならいいが、彼女は大切にしろよ?」

「分かってるって。今度お詫びとしてケーキバイキングにでも連れて行くかね」

「……いや、そこまでしろとは言ってないがな」


 男同士の話の中で恋人以外の女性を褒めたからお詫びをするのは大げさすぎる。

 それに忠告はしたものの、別段怒っている訳でもない。男二人であれば下世話な話など何度もしているのだから。

 相変わらず変な所でマメだなと苦笑すると、蓮はにやりと意地の悪い笑みになった。


「にしてもゆうがはっきりと可愛いって褒めるとは思わなかったな。気になるのか?」

「……いや、別に。単に目立つだけだ」


 鋭い指摘に心臓が跳ねたが、内心の動揺を表に出さないように素っ気なく告げた。

 クラスの何人かは美羽がグラウンドに居る事に気が付いて視線を送っているので、違和感はないはずだ。

 だが蓮は顎に手を当てて思案顔になる。


「悠は他人に興味を持たないからな。なのに東雲を気にするなんて珍しいだろ」


 蓮の言う通り悠斗はあまり他人に関心が無い。

 だからこそ周囲とは必要最低限の接触だけに留め、こうして教室の窓際でひっそりと過ごしているのだから。

 とはいえそれに不満はないし、蓮がこうして接触してくれるのは正直なところ嬉しい。言葉にすると間違いなくからかわれるので言わないが。

 そして、女性に対しての感性は死んでいないつもりだ。

 

「あのなぁ、俺だって男だ。可愛い人を可愛いって思うのは普通だろ」


 あれほどの美少女を冗談でも普通の見た目と表現する度胸など悠斗にはない。

 溜息混じりに告げると、蓮はからりと爽やかな笑みを浮かべた。


「ははっ、そうだな。ちなみに悠のタイプなのか?」

「それなりに、な」


 小柄な姿は可愛らしいし、穏やかな性格は人に好かれる要素に違いない。

 だが、同時に疲れそうだなとも思ってしまう。


(ずっと輪の中心で、笑顔を浮かべなければいけないなんて俺には無理だな)


 その立場を本人が嫌な顔一つせずに受け入れているのであれば悠斗があれこれ言う権利など無いし、そもそも話し掛けたことすらない他人だ。

 教室の隅にいる悠斗が心配するのもおこがましいと思う。

 しかし周囲には爽やかな人間と受け取られている蓮ですら、悠斗と話す時にはある程度気を抜いている。

 美羽には悠斗や蓮のように気を抜く瞬間があるのだろうかと思ってしまうのだ。


「ま、俺には縁のない話だ。届かない人に焦がれるほどの熱なんて持ってない」

「相変わらず枯れてるねぇ。でも話しかけてみると、案外好印象を持たれたりするかもしれないぜ?」


 悠斗があの輪の中に入って会話する光景など全く想像出来ないし、その度胸もない。

 仮に話しかけたところで悠斗の事など眼中にもないだろう。

 そんな無駄な事をするつもりなどないと、渋面じゅうめんを作って蓮をほんのりと睨む。

 

「会話なんて出来る訳がないだろ。あの集団に突っ込めってか?」

「まあ無理だろうなぁ。悠はああいう明るい集団が苦手だし」


 蓮も期待はしていないようで、けらけらと笑って悠斗の肩を軽く叩く。

 悠斗の性格を理解してくれているのは嬉しいが、他人にそこまで笑われると素直に受け入れたくなくなるので、蓮の手をぺっと払った。


「だろ? そもそもクラスが離れてるし、いくら同じ学年でも接触する機会すら無いって」

「悲しいところだよなぁ……。せめてクラスが一緒ならそのチャンスも増えるのにな」

「その場合でも眺めるだけで終わりそうだけどな」

「想像出来るな!」


 何がツボに入ったのか、再び蓮が笑いながら肩を叩いてくるので雑に払う。

 そうしてじゃれていると、休み時間も少なくなってきた。

 悠斗は自分の席から動いていないが、蓮は戻らなければならないので席を立つ。


「まぁ、悠斗にはああいう人が必要だと思うぜ」

「言ってろ」

 

 冗談なのか本心なのか分からない微笑で告げられたのでそっけなく返すと、蓮が自分の席に戻りつつ手をひらひらと振った。

 悠斗には美羽のような人が必要だと言うが、今のところ欲しいとは思わない。

 現にグラウンドにいる美羽を見ても胸の高鳴りなど起きず、考えるのは美羽に関する別の事だ。


(彼氏ねぇ……。もしいるならあんな所で時間潰しなんてしてないだろうに)


 誰にも言えない秘密を抱えたまま、整列する小さな姿にひっそりと溜息を落とした。





 呼吸を一定に保ちつつ、足を動かすペースも乱れないように意識する。

 普段であれば視界に入る前髪は、運動の為に買った男性用のヘアバンドで上げているので今は鬱陶うっとうしく感じない。

 特に意味の無く、けれど既に癖になっているランニングは約一年経ってもほぼ休みなく続けている。

 それには帰宅部としてせめてもの運動をしたいと、中学時代に部活を引退してからの行動だったが、今では目的が一つ増えていた。


「はっ……。はっ……」


 近くの河川敷を通り、住宅街の中へ。

 都心から少し離れた場所の為、人も少なく閑静な住宅街は気楽にランニング出来る。

 そして家から徒歩十分程度のさびれた公園の前を横切る。

 もう外で遊ぶような子供が少ないのか、それとも秋に入って日が暮れるのが早くなったからか、夕暮れに染まった公園には子供は一人もいない。

 だが縮こまっているせいか、子供にも見えてしまう小柄な姿が今日もそこにあった。

 周囲に人影はなくトラブルも起きなさそうなので、走って鼓動が速くなっている胸を撫でおろす。


(今日も問題なし、と)


 ベンチに腰掛ける小さな女子高生――美羽はぼんやりと視線を足元に向けていた。

 スマホを見ている時や参考書等を読んでいる時もあれば、ああして特に目的も無くぼうっとしている事もある。今日はどうやら何もやる気が起きない日らしい。

 その姿は学校で遠目から見た時とは全く違い、穏やかな笑みは浮かんでおらず、柔らかな雰囲気も出ていない。

 ぽつんと取り残された迷子の子供、そう言われてもおかしくない雰囲気だ。


「……っく」


 じろじろ見るのはマナー違反のためそっと横目で様子を見ていたが、美羽に意識を割き過ぎたせいか息が乱れてしまった。

 意識を呼吸に戻しつつ、美羽のこの姿を初めて見た時を思い出す。





 高校生活が始まった四月当初。

 たった一週間だけだが、その短い時間だけでも美羽の噂は一年生に広まっていた。

 あまり興味は無かったし、学校で初めて美羽の姿を見た時には素直に「可愛い人だな」としか思わなかった。

 その評価が変わったのは、ふとランニングコースの公園の中に視線を向けた時だ。

 寂れた公園に小柄な姿が見えた。


(流石にこの時間に小学生が一人でいるのは危険だろ、一声かけるか。……ん?)


 小柄で縮こまった姿は、最初小学生かと本気で勘違いしてしまった。

 小学生であればこの夕暮れ時は危ないのではと声を掛ける為に多少近付いたところで、学校で噂になっている人だと気が付いた。 


(あれ東雲、だよな……?)


 学校での様子とは全く違う、感情の浮かんでいない表情。

 虚ろな目はどこも映しておらず、視界に入っているのか分からないが、悠斗に視線すら向けない。

 普段の可愛らしさは鳴りを潜め、どこか人形のようにも思えてしまう無機質な雰囲気。

 これまでとは別人のような姿に思わず近づこうとしたが、悠斗の胸に暗いものが満ちて足が止まってしまった。


(何か事情があるのは確実だけど、顔も見た事のない男が話しかけたところで、警戒されるに決まってる)


 いくら小柄だとはいえ、高校生の美羽がこうして一人でいるという事は、間違いなく訳ありだ。

 それに入学したばかりなので、クラスメイトの顔を覚えるのが精一杯だろう。離れたクラスの悠斗を知るはずもない。

 当然、知らない人から話しかけられれば、普通の人は警戒する。

 今の冷たい雰囲気であれば尚更なおさらだ。下手をすれば余計なお世話だと突っぱねられる可能性すらある。

 そうなると美羽の事情を聞けはしないし、聞いたところで赤の他人である悠斗が力になれるとも思えない。


(……何もしないでおこう。俺のお節介なんていらないだろ)


 とはいえ、一方的ではあるが顔を知っている人を一切気にしないというのも寝覚めが悪くなりそうだ。

 一人だけ取り残されたような雰囲気を出しているので、余計にそう思うのだろう。

 結局、これからも美羽が公園にいるのなら、ランニングの際にトラブルが起きていないか様子を確認するだけにしようと結論付け、美羽から足を遠ざけた。


「これ、下手したら俺が不審者とかストーカーって言われるな」


 美羽の姿を確認するという所だけで判断すれば、悠斗の行動は黒寄りの灰色だと思う。

 けれど、悠斗に出来るのはこれが精一杯だ。関係を少しずつ縮めるような会話能力や度胸など無いのだから。

 自分の情けなさに小さく溜息を落とし、きびすを返してランニングを再開した。





 それから約半年、雨の日等でランニングが出来ない日を除けば、こうして美羽の様子を確認するのが日課になっている。

 今日もトラブルが無い事を確認し、後ろ髪を引かれながらも公園を後にした。

 クールダウンの必要もあり、走るペースを落として家の近くのコンビニに向かう。

 今日の晩飯を買って歩きながら約十分、ようやく何の変哲へんてつもない一軒家に着いた。

 鍵を差し込んで捻ると、ガチャリと硬質な音を立てて扉が開く。


「――」


 ふと隣の家から笑い声が聞こえたので視線を向けると、一年前くらいは毎日聞いていた明るい声が耳に届いた。そして、悠斗と同じ年の男の声も。


「……ふぅ」


 小さな溜息を落として少しだけ沈んだ思考を切り替えつつ、静寂に包まれた我が家へと身を滑らせた。

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