06
翌日、午前中は仕事の為に桂十郎が外出し、護衛にはセディアを付けた。強いわけでは無いが、曲がりなりにも元傭兵。居ないよりはマシだし、どこかには『影』も着いて来ているだろうから心配はしていない。
その間にセレン自身には、調べることも考えることも多くある。夜も睡眠時間を削って書室に籠っていた。
まず、母の残した手紙、その中に書かれていた暗号の解読をしなければならない。暗号の解き方のメモは執務室の本型の箱の中に写真と一緒に入っていた。
次に、
何より皇に帰る前に、『孤高の月』へ情報依頼する為の資金をどう集めるかを考えなければならないのだ。
どれも必要なことで、最優先を決めるのも難しい。前二件が最後の一件の手がかりになる可能性だってある。
書室で手紙とメモ、フレスティアの過去の手記を開いては新しい紙に書き込んでいく。一晩かけても半分程度しか解けなかった暗号だ。簡単ではない。
だが同時に、
解読に夢中になっていたセレンは、ノックの音で我に返った。朝と同じだ。恐らく食事の時間にでもなったのだろう。
「〔はい〕」
「〔セレン様、昼食のお時間です〕」
「〔分かったわ。ありがとう〕」
書室の外に出ると、にこりと笑うセティエスが居た。いつも食事はアイシアが作ってくれている。貴族らしい豪華なものではないが、温かな家庭料理だ。
「〔桂十郎さんはまだ戻って来てないの?〕」
「〔まだのようですね〕」
「〔そう……〕」
「〔早く戻られると良いですね〕」
「〔そうね〕」
食堂への道すがら、短い言葉を交わす。一緒に居られる時間は、少しでも長い方が良い。自分があとどれくらい保つかも分からないから。でも忙しい彼を邪魔したくもない。
広い食卓について、セティエスとアイシアも座らせる。別に誰が見ているわけでも無いし、彼らは使用人というわけでもない。同じ食事の席についても咎める者は居ない。
食事を摂って終わり、片付けようと立ち上がったところで、セティエスのポケットから音が鳴った。取り出すのを見ると、小型の機械のようだ。
「〔華山様でしょうか? お出迎えしてきますね〕」
「〔私も行くわ〕」
これが桂十郎の帰りを報せるものなら、行かないわけにはいかない。片付けはしておくと言うアイシアに甘えて、セレンは立ち上がってセティエスに着いて行った。
玄関を出て、門の方へ。見えた人影は一つだった。桂十郎ではない。
門の前まで行くと、見覚えのない少年が立っている。少年はセレンの姿を確認すると、深く頭を下げた。
「〔フレスティアの方が帰って来ているというのは、本当だったんですね……!〕」
「〔貴方は誰?〕」
「〔覚えておられませんか? 僕です。メイニーの息子です!〕」
まだ開けていない門の向こうから言う少年の言葉に、セレンは考える。
メイニー……その名なら覚えている。確か姉の専属メイドだった筈だ。だがその息子となると、会ったことなどあっただろうか。
あったのかも知れないが、よく覚えてはいない。
「〔えっと、確か……フィリップ?〕」
「〔! 覚えていてくれましたか!〕」
「〔いいえ、覚えてないわ。何処かで会ったかしら?〕」
言うと、少年はあからさまにガックリと肩を落とした。
すぐ後、門の前、少年の後ろに一台の車が止まる。その後部座席に乗っている人物の姿に気付いて、セレンはぱあっと表情を輝かせた。
「桂十郎さん!」
早く、早く開けてとセティエスに門を開けさせる。動き出した門の僅かな隙間から飛び出して、車から降りて来た桂十郎に駆け寄った。
「お帰りなさい!」
「おお、ただいま」
返る笑顔は、いつもと変わらず優しい。「お帰り」と「ただいま」、このやり取りが、セレンは大好きだった。
客人に気付いたらしい桂十郎が少年に目を向ける。
「知り合いか?」
「昔居たメイドの息子。会ったことあるらしいけど、あたしは覚えてなくて」
「ふーん。そいつがまた何の用だ?」
「さあ。まだ聞いてない」
同じように少年を振り返りながら言えば、彼は衝撃を受けたような、呆けたような表情をしていた。
当時の使用人の顔と名前は覚えている。皇に移り住んでから事件の詳細を確認した時、仕事で外出していたほんのひと握りの使用人はその日の一件を免れたことも知っている。だがほとんどは別の事件に巻き込まれて結局死に、生死の確認が出来ていないのは一人だけだ。
勿論メイニーも、あの事件の日に他の使用人達と一緒に死んでいる。息子が居たのは知っているが、その息子が今更何の用だろうか。
「〔お……お嬢様……! その人は何なんですか!? まさか伴侶候補じゃないですよね? どう見てもお嬢様の年齢とは釣り合わないじゃないですか!〕」
「〔……あら〕」
取り乱した様子の少年の言葉に、すうっとセレンの目が冷める。この少年は、何も分かっていないようだ。
年齢に関して、確かにセレンは一度悩んだ。だがそれは「桂十郎からどう思われるか」の部分だけだ。
「〔私はフレスティアよ? フレスティアの結婚に、年齢が障害となった前例は無いわ〕」
不老長寿の人間。百もの歳が離れた相手と結婚した例もある。流石にフレスティアの方が年下だった例はそう多くは無いが、ゼロというわけでもない。
今更年齢がどうのと、部外者に言われる謂れなど無いのだ。
まさか、そんなくだらない話をしに来たわけでは無いだろう。目的が何かを吐かせたいところだが。
「〔じゃあ何だ、坊主。お前なら釣り合うって言いたいのか?〕」
また、何時ぞやのように桂十郎に肩を抱かれる。彼の腕の中は温かくて好きだ。誰が何を言おうと手放さない、と全身で示してくれる。
流暢にフランシカ語を操る姿にも惚れ惚れするところだ。
カアッと、少年の顔が真っ赤に染まった。
「〔そっ……そういう意味じゃ……!〕」
「〔フィリップ・マーロウ。お前はあまりにも
「〔お嬢様……っ〕」
「〔そもそも貴方、私がどっちか分かって話しているの?〕」
先程から「フレスティアの方」「お嬢様」と名前を呼ばない。会ったことがあるとしても十一年以上前の話だ、本当に顔を覚えているのかも怪しいし、幼かった当時とは変わってもいるだろう。
姉か、妹か。区別が付いて話しているとは考えにくいところだ。
言葉を詰まらせた少年に、セレンは更に冷めた視線を送る。それは、明らかな「敵意」。
「〔帰りなさい。話すことは無いわ〕」
短く言ってから桂十郎の腕に自分のそれを絡め、門の中へと入って行った。
もう、少年には何の用も無い。
「〔お嬢様──!〕」
「〔止めとけ〕」
追いかけようとした少年を、今度はセディアが片手で止める。ここで行かせてしまうのは名折れだ。許されることではない。
片手一本で止められる程度、それも抜けようと必死に暴れる姿を見て、セディアは少年を憐れんだ。
「〔セディ、門閉めるよ〕」
「〔おー、セティ、すぐ行く〕」
そのまま腕を振り、少年を少し離れた所へ投げ飛ばしてからセディアも門の中に入る。
すぐに閉まった門は、その後二度と少年の為に開くことは無かった。
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