05

 今頃は自らの生まれた家に戻っていることだろう。そう遠くもない未来、に気付くことになる筈だ。何故聖がフレスティアの能力ちからのことを知っていたのかという理由も含めて。

 十一年前、からほんの数ヶ月後、は聖の元へも訪れた。自分を知る者を全て消し去る為に。

 当時の聖はまだ殺し屋としても現役で、病にもかかっていなければ力の衰えなどある筈もなかった。やろうと思えば返り討ちにするなど簡単なことだった。

 だけど、


「俺は、を殺せなかった」


 いつも座っている、竹で編まれた座椅子から立ち上がり、ゆっくりと縁側に出る。細く、月が空に浮かんでいた。

 生まれてしまった僅かな隙はを逃がしたばかりか、その間にの目的の一つを成されてしまっていた。

 懐から取り出した、薄く小さなアルバムを開く。後ろから開いていくと、悠仁、海斗、セレン、かつての恋人である朔羽、兄、と順に一枚ずつ写真が入っていた。

 次のページを開くと、そこには左半分がほとんど焼けて無くなってしまった写真。右半分には珍しく明るい笑顔の聖が居る。

 左側に居た人物は、アクアマリンの瞳と薄茶色の髪が僅かに見えるだけ。写真これを燃やすことが、の目的の一つ。出来るならば聖のことも殺してしまいたかったのだろう。「その存在」を知る人物なのだから。

 幼い心に復讐を誓った少女の姿を思い返す。


「お前は、を殺せるか」


 優しい少女が、を知って尚、その復讐を遂げたいと願うのか。


「……セレン」


 可能な限り、出来うる限り、願いを叶えてやりたいと思う。彼女が何よりも望む「死」以外のことならば。

 その為に、何でもしよう。何でも使おう。彼女自身の性格や、の夢、世界のトップですら利用してやろう。何よりも、彼女を生かす為に。

 す、とアルバムを懐に仕舞い直す。


「何をしに来た」


 特定の誰かに向けた言葉を、傍目には誰も居ない場所に向けて放った。一瞬後、吹き出すような笑い声が響く。


「やっだぁ、やっぱりの目は誤魔化せないのねぇ」


 ややテノール寄りながら中性的とも言える声で、甘ったるい喋り方でが言った。言いながら姿を現したのは、青水にも負けず劣らずな長身の男。

 翡翠のような瞳を煌めかせながらも目を細めて、庭の奥から聖の方へ歩み寄る。中性的な顔は童顔とも言える若さで、四十も近い聖を「先輩」と呼ぶような年齢には見えない。

 ふぅ、とため息をついた聖は腰に手を添え、いつもと変わらぬ無表情で男を見据えた。


「不法侵入じゃないのか、

「ごめんなさいね。でもどうしても、先輩に聞きたいことがあったのよ」


 眉を八の字にして、男が言う。本気で彼を追い出すつもりの無い聖はそのまま黙って先を促した。

 すぅ……と、男の目が真剣味を宿した。


「先輩が育ててたっていうあの少女……ではなくだったっていうのは、本当なの? ですらなく?」

「アトリ……セレンの姉だったか。似てもいないのに、あの娘を『エミル』に仕立て上げられると思うか?」

「そうね。確かに当時、エミル嬢と似ていたのはセレン様の方だったわ。アトリ様とよりもよっぽど姉妹……むしろ双子みたいな容姿だったわね。でも成長した今の姿しか見ていないんじゃ、区別はつかないわよ」

「やけに詳しいな、ザキ」


 相変わらず女のような口調でよく喋る男だ。それなのに得意なのは隠密行動の方だというのだから不思議でしかない。

 だがフレスティア内部に関わることについては、「情報を得た」と括れるものではない。古くから守りの固い一族だ。


「それはそうよ」


 当然のように言って、男は自分の両腰に手を添える。


「私は十一年前、フレスティア家の執事見習だったんだもの」

「!」


 だから、内部のことも多少は知っているのだと、顔色ひとつ変えずに言った。途端、聖が目付きを変える。

 放たれた敵意は鋭く、弱い者はそれだけで意識すら保ってはいられないだろう。だが男は、眉根ひとつ動かさなかった。


「そんなにピリピリしないで。イイ男が台無しよ?」

「フレスティアの使用人にセレンの味方は居なかったと聞いている」

「あら、そう。でもそれ、セレン様から聞いたわけじゃないでしょう?」


 現役の時ならば、男が聖に勝てる要素は無かっただろう。戦いになるようなことは全力で避けるに限る。

 そうでなくても、かつて親しくしていた間柄の者だ。敵対したくはない。


「他の人達は知らないけど、少なくとも私のセレン様への態度は、当時の当主の命令よ」

「……何?」

「時が来るまで、表向きは他の使用人達と同じように振る舞いなさいって言われていたの。たかだか執事見習の私に逆らう術があるわけないじゃない」

「時が来るまでとは?」

「セレン様が当主になるまで」


 決して、彼女に対して害意があったわけではない。それに今聖と敵対するのは得策ではないと男は判断した。だから正直に伝えた。

 それは、聖にも分かった。今殺り合えば、負けるのは聖の方だ。このタイミングでの死はセレンに大きな傷を遺すことになるだろう。まだ死ぬ訳にはいかない。

 ふ、と警戒を解く。男の性格なら分かっている。現状でこんな嘘をつくメリットなど無い。


「素直なのね」

「俺の知るザキは、自分の決めたことに逆らわない。お前が主とした者の命令だと言うなら、確かにお前はそれに従っただけなんだろう」


 人を支配すら出来るようなカリスマ性と力を持ちながら、誰かの下に居ることを好む。命令という盾があれば自分が取るべき責任は随分と減るからだと言っていた。

 己を追い詰めることはしない。故に、勝てない敵にも挑まない。そういう男だ。

 目元を優しく緩め、自分の左手に目を落としては男は微笑む。


「あの事件に生き残りが居たってことも驚いたけど、まさかそれがセレン様だったなんて。必然かしらね」


 白い手袋が、薄い月明かりに青白く浮かび上がっていた。

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