06

 気付きたくなかったことに、気付いてしまった。悩みながらも何も変えることが出来ず、そのままの毎日をただ繰り返す。

『氷の刃』は、依頼があり報酬さえ十分なら、例え一般人の女子供でも容赦なく殺す。だがその報酬の高さから、一般人の暗殺依頼はそうそう来ないものだ。安価で済むつまらない依頼は受けないが、高名な『Sleeping Sheep』程手が出せない金額ではない。そして何より、その実力は確か。

 となると依頼はそれなりに来る。今回受けたのは、皇政府の政治家の暗殺依頼だった。

 依頼料は、元々アイスが受ける高額のそれよりも更に桁が変わる程。この時点で既にきな臭い。だが悠仁が調べた限りでは、依頼主はただの政敵で、何の問題も無かった。

 嫌な感じはするが、東間青水の暗殺依頼の時とは違って断る理由も無い。むしろ対象の政治家は裏でやっているという、問題だらけの人物だ。いつか誰かに殺られるだろうと、聖も言っていた。その依頼がたまたま『氷の刃』に来ただけだろうとも。


――『依頼料を見ると確かに気味が悪いが、それだけこいつが問題だということだろう。仕事自体は簡単な筈だ』


 そこまで聖に言われてしまえば、尚更断る理由は無くなった。それに、報酬が良いこと自体は生活を考えてもありがたいことだ。

 対象が通勤に使っている道で待ち伏せ、闇夜に姿を確認するなり鈴を鳴らす。

 戦力としては悠仁とも変わらない、政治家という権力を持っているだけの「一般人」を始末するのは確かにそう難しいことではない。

 背後から近付いて心臓を一突き。ただそれだけで終わった。

 首を落とし、その血でいつも通り花の絵を描いているところで、人の気配に気付いてはっと顔を上げる。


「……」

「……アイス」


 どうして、今、アナタが現れるの。

 表情からは何も読み取れない様子でそこに佇んでいたのは、桂十郎。その半歩後ろに、遊亜。

 ふい、と視線を逸らし、絵を完成させる。掴んでいた対象の頭を適当に放り、鈴を鳴らして去ろうとしたところで、また別の「客人」にも気付いた。

 見覚えのある顔。確か、「要注意人物」として悠仁から貰ったリストにあった男。そしてその男が抱えている少女。


「あ──」


 思わず呼んでしまいそうになって、慌てて口を噤む。『氷の刃』としての無表情を装い、男を見る。


「今日は千客万来ね。呼んでないわよ」


 決して大きくはない、だが美しく均整の取れた身体、長いまつ毛は伏しがちで、儚げにも見える美男子。見目通りの繊細な「仕事」をすることで有名な殺し屋『血染めの黒百合B・リリー』。少なくとも人質を取るなんて卑怯な手を使う者では無かった筈だ、悠仁から受け取った情報では。

 リストをアイスが受け取った当初の悠仁の判断は、「勝てる」だった。だがそれから一年以上は経っている。だからだろうか。

 今、対峙するその相手と自分。経験則やその他から見てアイスが下す判断は、「本気を出す必要がある」だろう。

 だが『B・リリー』は今、人質と思われる少女を抱えている。それはエミルの友人である、緒方菖蒲だった。加えてあの男に対しては何の依頼も無い、暗殺対象外だ。殺せない。その上近くには桂十郎と遊亜まで居る。

 随分と状況が悪い。二人を守りながら菖蒲を助け出し、『B・リリー』を退けるか戦闘不能にまではしなければならない。

 隙を見せてはいけない。その瞬間に殺られてしまう。


「なるほど、思っていたより幼いんだな、『氷の刃』は」

「そう? じゃあ『B・リリー』は、以外とオジサンなのかしら?」


 顔が割れている。一体何処から情報が漏れたのか。漏らせばどうなるか、大抵の者には想像が付くと思うのだが。

 ただ依頼対象以外を「殺せない」だけで、傷付けられないわけではない。死なない程度に痛め付けることは少なくないし、死んだ方がマシだという目に遭わせることもある。

 情報漏洩ルートを悠仁に確認させなければ。少なくとも『羊』では無いだろう。彼らならばわざわざ情報を漏らすなんて回りくどいことはせず、直接攻撃してくる筈だ。


「お前は、殺さない相手は守るんだろう? だったら『お友達』を人質に取られると、攻撃なんて出来ないんじゃないのか?」


 そんな所まで知られているのか。いや、だが言い方が不確実だ。中途半端な情報だけを掴まされているといったところか。

 正直、人質として菖蒲を選んだのは正解だ。数多く居る「エミルの友人」の中でも、特にエミルが気にかけ親しくしていた相手が菖蒲だから。

 かと言って、それを安易に事実と悟らせるわけにはいかない。


「誰に何を聞いたかは知らないけど、面白い推測をするのね」


 袖から苦無を数本出し、投げる。まっすぐ急所を狙ったそれを『B・リリー』が避けるのを見て、アイスはすぐにその場から動いた。

 わざわざ人質側に回り込み、鎖鎌を振る。背後から迫る刃をまた避ける動きは速いが、ヒュペリオン体質のアイスがスピードで負けるわけがなかった。『B・リリー』の背中には横一文字に傷が入る。


「人質なんて、ただ死角を生むだけの邪魔なお荷物じゃない」


 くすくすと、いつも通り冷酷に笑う。そう、これこそが『氷の刃』だ。


「そんなもので本当に、あたしが躊躇うとでも思ったの?」


 笑いながら、挑発を繰り返しながら、休むことなく攻撃を仕掛ける。人質のせいで攻撃がしにくいのか、『B・リリー』は避けるばかりで仕掛けては来なかった。

 別の理由としては、『B・リリー』が接近戦向きだということもあるだろう。二本のショートソードを使って戦うのを得意とする分、人質が居ると剣を扱いにくい。

 だけどこのままでは良くない。今は敢えて人質越しに急所を狙うことで『B・リリー』が避けているから良いが、人質を「盾」として使い始めたら。そうなる前に始末をつけなければ。

 避けさせない為に、攻撃に転じさせる為に、敢えてアイスは腰の剣を抜く。それを避けられる前に最小モーションで振り、菖蒲の左肩を通して『B・リリー』の身体をも貫通させた。


「ぐっ……」

「っああああああああぁぁぁ!!!!!」


 痛みからか、菖蒲が悲鳴をあげる。急がなければ、一般人の目撃者まで出してしまう。

 そう、思った瞬間。

 視界の端に、スっと片手を上げた桂十郎が人差し指を動かしたのが映った。直後に『B・リリー』の首が飛ぶ。

 普通の殺し屋ならば、見えもしなかったかも知れない。ほんの一瞬、視界を横切った光。細く鋭いワイヤーが『B・リリー』の胴と頭を分けたのだ。

 驚きつつも、緩んだ腕から解放され倒れかけた菖蒲を急いで受け止める。

 一瞬で、終わってしまった。対峙し戦っていたからとはいえ、アイスが本来ならば本気を出さなければ勝てなかったであろう男の命が。あまりにも、あっさりと。


「……っ」


 これが、世界大総統を守る者の力。


「珍しいね、『影』を動かすなんて」

「気分だ気分」

「ふーん?」

「……何だその目」

「別に? 何でもないよ?」


 背後からは呑気なやり取りが聞こえるが、荒い息を繰り返す菖蒲を抱えるアイスの手は震えていた。

 分かりきっていたことを別方向から再認識させられた気分だ。

『絶対に、アイスでは桂十郎を殺せない』

 どんな手を使ったとしても。

 深く息を吐き出して、呼吸を整える。先程剣を突き刺した肩に手を当てれば、その傷は跡形もなく癒えた。


「あやちゃん、大丈夫だよ。ゆっくり息して」


 声のトーンを上げ、普段の『エミル』の口調で言う。

 今回のことで菖蒲も流石に確信を持っただろうし、元より桂十郎と遊亜には先日知られている。今更ここで自分が『エミル』だと隠す理由は無い。

 ゆっくり、少しずつ呼吸を整える菖蒲の小さな背を、優しく撫でた。


「アイス。大丈夫か? 怪我は……」


 歩み寄って来る桂十郎を、キッと睨み上げる。


「どういうつもり?」

「え? どういうって……」

「どうしてまだ居るのよ。関わらないでって言ったのを、忘れたの?」


 低く、冷たく、『アイス』の声で言えば、桂十郎は困ったように眉尻を下げた。

 別に『B・リリー』を殺させたことを言及するつもりは無い。殺し屋同士の戦いに一般人を巻き込んだのだから、当然の結果とも言える。殺さず済ませようとしたのはアイスだからであって、通常そんな甘いことは起こらないのだから。


「俺は……」

「仕事なんじゃないの? いつもが一緒の時はそうでしょ?」

「さくのことか? いや、いつもってわけじゃないけど」


 ……ここでようやく知る。名前も聞いていなかったその男性が、世界大総統の秘書である佐久間遊亜だと。

 内容云々はともかく、流石にそろそろ政治家にも興味を持った方が良いか、なんてアイスはぼんやりと考えた。その方面のことは、あまりに何も知らない。


「とにかく、話を出来ないか? この間の礼もまだだし」

「嫌よ。お礼もいらないわ。関わらないで」

「アイス……」

「それ以上、入って来ないで」


 深く、深く、心に棲みつく大きな存在から、逃げたくて。変わりたくなくて。

 立ち上がりざま、白杖を持たない菖蒲を左腕一本で抱え上げて、アイスは表情を作れないまま桂十郎を睨む。泣きそうに歪んでいるのは、本人だけが気付かない。

 以降何も言うこと無く、アイスは彼に背を向けて去って行った。

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