05

 アイスの正体がエミルだと気付かれたあの日から、エミルは徹底的に桂十郎を避けてきた。今までよく遭遇していた道は通らず、悠仁の雑貨屋にも裏からしか入らない。校門前に居たこともあったから、終業後はすぐに学校を出た。

 大抵桂十郎と会うことがあったのは、夕方以降だ。彼の方も仕事が終わった時間だとか、そういうタイミングだったのだろう。だったら早めに出てしまえば、仕事の定時よりは学校の終業時間の方が早い筈だ。

 そうしてきたのに。

 休日の昼間、花屋の道具の買い出しに出た先で、桂十郎の姿を見た。車を降りて、誰かと話している。かと思えば、一緒に居た人物は再び車に乗って去り、桂十郎は一人になった。

 早く離れなければ。彼に気付かれる前に。だけど、身体が上手く動かない。会いたい。話したい。


「っ……」


 ぎゅっと目を閉じて、首を振る。やっとその場を離れようと目を開けた瞬間、桂十郎の身体が傾くのが視界に映った。


「!? 桂十郎さん……っ!」


 アスファルトの地面を蹴り、手を伸ばす。倒れゆくその身体が地面にぶつかる前に、何とか間に合って腕の中に抱え込んだ。

 熱い。熱があるようだ。高熱のせいか意識を失っているらしい。だが今彼はよく夕方に会う時のようなアロハシャツではない、スーツを着ている。まさかこの状態で仕事をしていたとでも言うのか。これから何処に行こうとしていたというのか。

 どうすべきか、悩む。どうしたってこのまま放置していくわけにはいかないだろう。ひとつ息をつき、ぐったりとしたその身体を横抱きに抱え上げた。


「聖なら、どうしたら良いか知ってるかな」


 ぽつりと呟き、そのまま家に向かって歩き出した。事情は帰ってから伝えれば良い。この状況を見れば分かってもくれるだろう。




 花屋の方に顔を出すと、驚いたようにはしながらもすぐに聖は対応してくれた。店に「留守中」の看板をかけ、隣接する家に運び込み、布団を敷いてそこに桂十郎を横たえる。傍に居て看ているようにエミルには言って、部屋を出て行った。

 眠る桂十郎に視線を送る。熱のせいか赤い顔で、少し苦しそうな呼吸。体温計を腋に挟む時も、その身体の熱さを感じた。

 倒れる直前、車の側で一緒に居た人物と話していた様子からは、こんなに熱があるなんて分からなかった。隠していたのか、仕事に集中し過ぎて本人も気付いていなかったのか。どちらにせよ、倒れるまで無茶をするなんて。


「……バカ」


 鳴った体温計を確認すると、三十九度を超えている。かなりの高熱だ。そっと手を握ると、そこも熱くて。

 何故だか、泣きそうになった。

 エミルは、病気などで寝込んだことは無い。『能力ちから』の影響で多少の怪我はすぐに治ってしまうし、病気も症状が出る前に浄化される。

 こういう時にどうすれば良いかなんて、全く分からなかった。


「エミル」


 静かに襖を開き、聖が顔を覗かせる。


「汗をかくだろうから、着替えを持って来た。あとタオルウォーマー。中に濡れタオルが入ってて、それが温まるから、目が覚めたら身体を拭くのに出してやれ」

「うん」

「卵粥も作っておいたから、起きたら温めて食べさせるといい。冷蔵庫には経口補水液も入れてる」

「ありがとう」


 やはり聖に頼んで良かった。この短時間の間に買い物でも行っていたのか、随分と手際が良い。


「じゃあ、俺は店に戻ってる。何かあればまた言ってくれ」

「うん。ありがとう、聖」


 再度礼を言って、襖を閉める聖を見送った。常に気配の無い聖は、それだけでもう先の動きを感じ取れない。そんな所に殺し屋時代の名残があった。

 もう一度、桂十郎を見る。先と様子は変わらない。目を覚ますまでにもまだ時間がかかるだろうかと思いつつ、握った手は離せずにいた。




――どれくらい経ったか、うとうとし始めていたエミルは手の中で動く気配がした気がしてはっと目を開けた。見ると、いつもは開いているのかどうかも怪しい桂十郎の目が薄らと開いている。


「目が覚めた? 気分はどう?」


 顔を覗き込むと、彼の視線がエミルの方へ向いたようだった。返事は無いが、さっきよりは熱も下がっていそうだ。

 髪が顔に張り付いている。聖が言っていた通り、随分汗をかいていた。

 握っていた手を離し、タオルウォーマーからホットタオルを出す。思っていた以上に温もっていて、あちち、と手放しそうになった。


「起き上がれる? これで汗拭いて。あたしは聖が作ってくれてる卵粥あっためてくるね」


 ゆっくり起き上がる桂十郎の背に手を添えて支え、ホットタオルを渡す。それからすぐ、エミルはその部屋を出た。

 襖を閉めて、ほっと息をつく。起き上がれるくらいにはなった。良かった。

 これで、目が覚めたから仕事に戻る、なんて馬鹿なことを言わなければ良いけど。

 知れず緩む頬にはエミル自身が気付かず、彼女は台所へと小走りで向かった。

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