04
月を見上げながら縁側に座る聖の所へ、エミルがコップに麦茶を入れて持って来た。
「海斗は?」
「まだ勉強してる。受験費用、やっと半分くらい貯まったんだって」
「そうか」
今年で二十四歳の海斗は、高校を卒業してからずっと悠仁の店で働いている。給料は月々の売り上げによって変わり、安定はしない。それに、『アイス』の収入はほとんど聖の店の為に使っていて、三人分の生活費は海斗の給料から捻出している。勿論アイスの収入も、花屋に使った上で残ってはいるのだが、それは全て有事の時のための貯金に回しているのだ。
だけど海斗には、本当に就きたい仕事が別にあった。その為には試験に合格しなければならず、試験費用も馬鹿にはならない。
何度かエミルが自分の収入から試験費用を出すと言ったことがあるが、それは聖の為のお金だからと断られてしまった。自分のしたいことの為の金は自分で用意する、と。
もし万一、身内が殺し屋だと知られても、害する意思が全く無いと伝われば採用してもらえる可能性もゼロではない……と、信じたいところだ。何より、その為に身体的な特訓も勉強も毎日欠かさずしている。
戦力として、海斗は決して雑魚ではない。当然のようにエミルと同じで聖に育てられたのだから、少なくとも一軍人くらいの実力はある。だがそれ以上に海斗は頭が良かった。聖に引き取られるまでは義務教育すら受けていなかったにも関わらず、あっという間に同年代の者達の学力を抜き、各国語もエミルより早く覚えた。
実力があるにも関わらず試験を受けられてすらいないのは、ひとえに財力の無さ故だ。
かつての聖──『暁の鳥』による『殺し屋殺し』は、「依頼」による「仕事」だったわけではない。故に報酬など無く、ずっとジリ貧生活をしていた。そんな中で突然三人暮らしになったのだから、更に生活はひっ迫し、当初はまともな食事もままならなかったものだ。
実は、エミルの実名である『セレン』の、その後ろ盾となる人物から多少の支援は受けていた。だがそれも三人での生活となると、その日暮らしがやっとな程度だった。『氷の刃』が活動し始め、高額な料金でも依頼が来るようになってようやく、今の生活に落ち着いたのだ。
少しずつでも貯金が出来るようになってから四年、やっと半分。単純に考えれば、あと四年程で念願の道への第一歩となる試験を受けられる筈だ。
「空目なら大丈夫だね」
「そうだな」
試験に受かれば、「その仕事」に就くことが出来れば、もう彼のことは心配ない。収入は格段に上がるし、生活水準もぐっと良くなる。
これまで以上に聖への恩返しが出来る。
そんな子供たちの願いとは裏腹に、聖自身はそれを自分たちの為に使って欲しいと思っているのだが。こればかりは、互いが互いを想う故にすれ違うばかりの部分である。
茶を一口飲み、その手を膝の上に降ろしてから、聖は隣に同じように座るエミルに目を向けた。
「セレン」
「ん?」
いつも二人きりの時だけ、聖はエミルを本名の「セレン」で呼ぶ。これは彼なりの愛情の証のひとつだった。
「以前、世界大総統が怖いという話をしたな」
「……うん」
「その『怖い』を、多分俺は知っている」
「!」
未知の恐怖。それを知っている。思わず前のめりになったエミルに、聖は緩く微笑んだ。
どう説明すれば良いだろうか。傷から遠ざけるだけでは、彼女を守ることにはならない。ある程度の「痛み」を教えることも、子育てには必要なことだろう。
そしてその為に、大人は自分の「経験」を語ることが出来る。
「俺にもあるんだ。『怖い』と思ったことが。セレン、お前と……それから、朔羽を」
「……あたしと、朔羽さん?」
娘とする少女と、恋人。
かつての『暁の鳥』は、『氷の刃』以上に本当の「孤高」だった。
罪を許さずそれを葬るとして殺し屋を始めた聖を止めようとした兄は、喧嘩別れしたすぐ後に事故で死んだ。たった一人の、最後の肉親との別れは、あまりにも呆気なかった。後援者も居らず、情報屋も付かず、一人で全ての役割をする日々。
そんな中で、友人に頼まれた一人の少女。その幼い少女を、初めから愛していたわけではない。同じ頃に海斗を拾ったのは、子育ての中で自分の負担を減らしたい意図もあった。
殺し屋を育てる『殺し屋屋』と呼ばれる鬼灯朔羽も、当初は復讐を望んだ娘の為に用意した人材だ。
その二人を、こんなに愛しく想う日が来るとは思っていなかった。
「己を他人の手で変えられるというのは、恐ろしいものだ」
孤高に満足していた筈なのに、宝物が出来てしまった。失いたくないと思ってしまった。
勿論、海斗に対しての愛情もある。だが彼は現状としては一般人だ。アイスの「仕事」にだって一切関わらせてはいない。彼女に比べると身の危険は遥かに少ないと言えるだろう。
執着にも似た愛情は、エミルに対して深く感じた。死を望む彼女を生かす為に、出来ることは今でも全てしている。手がかかるからこそ、余計に愛しいのだろうか。
「…………あたしが桂十郎さんに感じてるのも、それだって言うの?」
「断定は出来ない。お前の心はお前のものだ。俺が勝手に決めていいものじゃない」
「……」
本当は、言い切れる。彼女は彼を愛してしまったのだろう、と。だからこそ「自分が殺せない相手」を恐れるのだろうと。
幼い心に復讐の火を灯すくらいには、彼女は優しい。本来ならば復讐も殺し屋も似合う筈が無いのだ。
仕事だから、依頼だからと言い訳をしなければ人一人殺すことすら出来ない。故に依頼を受けた人物以外は殺さず、むしろ時によっては守っている。
それならば、桂十郎はどうだろうか。若くして世界大総統の地位に立ったとはいえ、今の年齢は彼女の倍程にもなる。通常ならばエミルのような「子供」は相手になどされないものだ。
たった一度会っただけ、一方的に挨拶をしただけでは何も読み取れない。何かあった時、彼はエミルを殺してしまうだろうか。
まだエミルは世間を知らない部分がある。強い相手と戦うことがなかったのは、世界の深い所を相手にしてはいないからだ。例えば『羊』──『Sleeping Sheep』が請け負うような仕事。例えば大総統府の護衛レベルの者。そういった所には、これまでエミルが遭遇したことも無いような強者たちが居るだろう。
もし、桂十郎が敵になってしまったら……桂十郎に敵だと認識されてしまったら。恐らくエミルに勝つ術など無い。
「セレン」
「はい」
「俺はいつでも、お前の味方だから」
「……うん」
月明かりに青白く反射する錦糸のような髪をさらりと撫で、聖は彼女の無事を祈った。
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