03
聞けばすぐに出て来た『氷の刃』の情報を、桂十郎はもう何度目か、読み返していた。内容なんてとうに覚えてしまっている。何度見てもそこに記されていることは変わらない。
孤高の殺し屋『氷の刃』アイスの表向きの顔は、エミル・クロード。普通の女子高生。アイスとエミルは同一人物だ。
『殺し屋殺し』と呼ばれ、かつて名を轟かせた『暁の鳥』の弟子なのではという噂はあった。目撃者はゼロ。ただその「仕事」場には、毎回必ず一輪の造花が残されていた。その造花の花と、今『氷の刃』が描き残していく絵の花が同じだからだ。
そして『暁の鳥』は、聖だった。十年も共に生きてきたなら、それが「親子」でも「師弟」でも、関係性の呼び名に意味など無い。
ただ受け取った情報には、妙な点もあった。
「けい、仕事の追加──またそれ見てるの?」
「ああ」
書類の束を抱えて来た遊亜には生返事だけを返す。さっきから仕事の手は進んでいない。進めないと溜まる一方だし、急ぎの案件もあることだろう。
だけど考えるのは、その少女のことばかり。
「ひわの情報が間違ってるわけは無いんだけどなぁ」
「何を今更。そんなに引っかかってることがあるなら、直接聞けば良いじゃないか」
そんなド正論を落とされても。
ため息をついて、桂十郎はその情報を脇に置いた。とにかく仕事を進めないと、連日徹夜は流石にしたくない。
手を動かしながらも、やはり彼女のことを考える。
情報の中には、彼女の「家」のことも書かれていた。
クロード家。フランシカの一般家庭で、両親は健在、『エミル』は一人娘。ネグレクトと身体的虐待を受けて育った少女。六歳で金井聖に引き取られ、皇へ移り住む。
一番妙なのはここだ。以前、エミルの友人である少女・菖蒲から聞いた話と大きく相違がある。
菖蒲に聞いた話だと、エミルの家族は『死んでいる』筈だ。彼女の姉とともに。この点について、エミルが菖蒲に嘘を言う意味など無い。
だったらひわの情報が間違っているのかというのも、それは絶対に有り得ない。何せあのアーカイブの幹部『天空の語り部』だ。
情報の間違いではなく、エミルも嘘を言っていないのだとすれば? そんな可能性はあるのだろうか。どう捉えれば辻褄が合うのか。
考えられるとするなら、エミルが言った「身代わりに死んだあの子」という言葉。その『あの子』が、本物のエミル・クロードだったのだとすれば。彼女には別の「本名」があって、その幼少期は全く別の人生を歩んで来たということになる。偽名が「実在した人物」の名だったなら、そちら側の情報にも間違いは無い。
そうだとすれば、彼女の本名は? あの日あの崖下で聖が呼んだ『セレン』が一番の候補に上がる。だがそれだけでは元の個人を特定は出来ない。セレンという名前の女児など世界にはいくらでも居る。フランシカだけを取っても絞るのは至難の業だろう。
いや、ここまで分かっていれば、ひわならば調べるのは容易かも知れない。
調べるのは「フランシカのエミル・クロードと交流があった」「幼少期に両親と姉を何者かに殺害されている」「恐らくその時に本人も死んだことになっている」という、三つの情報全てに合致する『セレン』という名の少女。
ただこれは、本当にひわに調べさせても良いものなのか。どうやらひわにとってのエミル──アイスは心証が良くないらしいと、『黒獣の牙』の一件から窺えていた。
情報を貰ってから、ずっとここでグルグルと思考が止まっている。もしこの想定が合っているとするなら、ひわにも調べられなかったのは聖が初めから彼女を『エミル』として皇へと連れ帰り、徹底的に『エミル』として育てたからだろう。
彼女のことを「知りたい」思いと、「無理に暴きたくない」という思いがせめぎ合う。
何故こんなにたった一人の少女のことが気になるのか、流石の桂十郎も自覚した。もし敵になったとしても、彼女を殺したくないと思っている自分が居る。そんなことは無理だと分かってもいるのに。些細な言動の一つ一つにまで興味が尽きない。
すっかり惚れ込んでしまっている。一回り以上も歳の離れた未成年の少女に。
──『相変わらず姫さんは可愛いなぁ〜』
『すっこんでろロリコン』
『おい海斗ォ! 姫さんに汚い言葉覚えさせんなっつってんだろ!!!』
『うるせぇロリコン』
『店長さん、ロリコンなのか……』
以前あった「ラピュセル」でのやり取りを思い出しては笑えなくなる。これでは店長──悠仁が言われていた言葉が他人事ではない。
「ハァ…………俺はどうすりゃ良いんだよ」
思わず本音が零れる。それを聞いた遊亜が、何を言っているんだとばかり首を傾げた。
「やりたいようにやれば良いじゃん。いつも通り」
「!」
「サボりはともかく、けいがやった事で間違いだったことなんか無いでしょ?」
言葉は辛辣だが、向けられているのは絶対的な信頼。なるほど、自分のやりたいようにやれば良いのか。
桂十郎の中で、何かが振り切れた。
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