簪の通る昨日を乗せて

 鬱。

 あー、忙しい忙しい。

 なんでこんなにも忙しいのか。私には到底理解できない。まだ学生なのに、何ゆえこんなにも忙しいのか。日常生活にゆとりをもたらすつもりが、何ゆえこんなにも多忙な毎日を送る羽目になっているのか。

 まあ、それでも、おかげで何ものにも代えがたい幸福も手に入れた。

 私は今の生活に満足している。しかし、不満もある。この目の前にある大量の参考書さえなければ、私の人生はハナマル満点なのだがな。寝起きの朝だというのに、なぜ私は学生の本文である勉学に勤しまなければいけないのか。はなはだ理解に苦しむ限りだ。

 確かに、この道を選んだのは私だ。常に成績トップで学園生活を送っていれば、必ず一流の企業に就けるはずだ。そうなれば生活も安泰、私は幸せな生活を送ることが可能となるのだ。そのための辛抱、とはすでに何度も言い聞かせた。それでもまだこのようにグチグチと文句を垂れているのだから、私も中々に融通の利かないものだ。

 今の私には幸せがある。いい友人に恵まれているし、家族にも恵まれている。それに。

 と、不意にスマートフォンがうねりを上げた。恐らくだが、私が今思い浮かべていた人物だ。心を弾ませながら、私は電話を受けた。


「もしもし」

『電話に出たという事は、勉強をしていたのか』

「うん、そうだよ」


 ボーイフレンドにも、恵まれている。

 優しい彼。私を幸せにしてくれる殿方。少し変わっているけれど、私の事をとても大事に思ってくれている。そんな彼を、私は心から愛している。

 通話の時間は、ほんの数分。内容としては、おはようと軽い挨拶と少しの雑談を交えただけ。それでも私は最高に幸せで、通話を終了するのが嫌で仕方がなかった。しかし、きちんと分別をつけなければならないのが世の常である。私は勉強に戻った。

 戻った。

 …………。


「…………」


 何をしているのだろうか。

 言葉が一切出てこない。いや、今出ているではないか。

 ……?

 なにかがおかしい。私の中で、何かが迅速な速さでうごめいている。

 それは脳。私の脳が何か、私の知らない信号を発信している。そして。


「あ、あああ、あああああああ」


 食っていく。蝕んでいく。

 記憶が、記憶が。何かを忘れた。

 何を忘れたかは定かではないが、何かを忘れたのは定かである。明らかな空白が、私の頭の中にできている。

 その空白から、私の記憶が抜けていく。


「あああああ、ああ、あああああ」


 抜けていく。抜けていく。抜けていく。

 まるで砂のように、その記憶は潔く私の脳から消えた。もう元に戻らないという喪失感だけが残っていく。そして、それすらも消えてなくなる。

 涙が流れているが、何故流れているのかもわからない。意味のない涙が、私の目をはらしている。


「……?」


 何をしていたんだろうか。

 私は、席に着いた。さっさとゲームの続きをやろう。


「うーん……」


 髪の毛もそろそろ染めようか。今の色にも飽きてきた……?

 ああ、ああああ。


「ああああああああああああああああああ」


 私は泣いている。

 何故?


「……?」


 何故だろう、頭が痛い。いや、痛いのではない、何かを訴えかけている。何かを。


「あ、あああ……うあ、ああああああ」


 涙を流した。

 私はどうしてしまったのだろうか。涙で私は濡れている。何故。

 何故?


「…………」


 ……ふう。

 今日もいい朝だ。

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