95 黒鳥居の向こう側 08


「うあ……」


 僕たちは思わずそう呟いて、ただそれを見ているしかできなかった。

 巨大赤ちゃんであるぽーちゃんと、それと同じぐらいに大きな蜘蛛。

 雰囲気としてはハエトリグモに似ているそれは、ぽーちゃんの背中に張り付き。ぽーちゃんはそれを嫌がって転がり回っている。


「シュールだな」


 アリスの言葉は僕の感想と一致している。

 たぶん、一色も同じだと思う。

 なんていうか、シュールだ。


 僕たちが何かしようにも、裂け目の向こうでのことなのでなにもできない。


「そうか」


 見ているだけの中、一色が口を開いた。

 この中でこの方面の知識が一番なのは彼女だ。


「なにかわかった?」

「ああ。これは蜘蛛神の呪法だ。福呪法じゃない」

「蜘蛛神?」

「ああ、あの蜘蛛は家の中の害虫を駆除してくれる益虫だ。その性質を利用して、個人に憑依した邪霊や悪霊なんかを取り除く益神に昇華させる呪法があるんだ」

「え? それって……蜘蛛の方は悪くないってこと?」


 そう言えば、魔眼・霊視がずっとオンになっているのに、大蜘蛛に邪気が見えない。

 ぽーちゃんの方はというと……実はずっと真っ黒な塊に見えていた。

 でも、僕はそれを、この空間にいたせいだと思っていたんだけど……。


 もしかして、最初から悪意ある存在だったのはぽーちゃんの方だってこと?


「そんな!」


 僕と同じ結論になったのか先輩が声を上げる。


「境衣! そんなことないわ! だって、ぽーちゃんは……」


 言いかけて、先輩はそこで言葉が止まった。

 なにか覚えがあったのかもしれない。

 一色は言いにくそうに表情を歪ませている。


「見たままを言えば、ぽーちゃんは赤ん坊です。水子か、生まれてすぐに死んだのかはわかりませんが、赤ん坊の霊は厄介なんです。言葉が通じないので道理も駆け引きも通じない。きっと、先輩から引き離そうとして無理だったから、蜘蛛神の呪法を使うために、あの屋敷に先輩は連れていかれたんです」


 聞いたこともない親戚の法要。

 一人になった幼い頃の先輩。

 屋敷の奥に誘い込まれる。

 そして出会う怪異。


 怪談話なら古い屋敷や集落の禁忌に触れた定番みたいな話だと思った。

 古い屋敷の禁忌に触れた先輩をぽーちゃんが守った。そういう話なんだと。

 だけど、本当は違った?


 その前からすでに、先輩は赤ん坊の霊に取り憑かれていて、それを駆除するためにあの屋敷に赴き、そしてわかっていて一人にされた……っていうことになる。


 人の手によって神となったハエトリグモは、家の中にいる害虫を餌とする昔と同じように、屋敷の中に入って来たぽーちゃんを食らおうとして、襲いかかった。


 それから先輩がぽーちゃんを見ていなかったのだから、先輩側……たぶんご両親……から見れば除霊は成功していた。


 だけど、蜘蛛神とぽーちゃんの戦いはいままで続いていて……。

 そして、いまになって先輩をこちら側に引き寄せたということは……。


「ぽおおおおおおおおおお!!」


 ぽーちゃんの雄叫びが響く。

 ついに背中に張り付いた蜘蛛神を引き剥がし、逆にのしかかり、その頭を何度も叩く。

 見た目だけなら可愛げがあるのに、そこから生まれる音はひどく生々しくて怖気がした。


「私は憑依体質だからこういう場所に来ると影響を受けやすい」


 一色が言う。


「色々と修行して耐性は付けるようにしているけど、それでも油断するとやられる」


 先輩を見つけたと油断したところで、一色はなにかに取り憑かれた。

 だからあの時、僕に襲い掛かって来たわけか。


「たぶん、先輩も似たような体質なんだと思う。ぽーちゃんがいままで蜘蛛神に退治されなかった以外にも、なにか理由があるんじゃないですか?」

「……そんなの、わからない」


 茫然とした様子のまま先輩は首を振る。

 いままで屋敷のことを知らなかったんだから本当に知らないのかもしれない。


「原因はもうどうでもよかろ」


 アリスが言った。


「通り魔の事情を知ったところでなんの益もない。わかったところで同情してやる理由もない。問題はここをどうやって切り抜けるか、ではないか?」


 通り魔=ぽーちゃんなんだろうけど、すごい割り切り方だなぁ。


「……問題はこの結界だ」


 と、一色が裂け目を見る。


「蜘蛛神の守りを示す結界だと思うのだけど、ここを超えられなければ力を貸すこともできない」

「だが、開ければおそらく、ここにある邪気どもはぽーちゃんとやらの力になるんじゃないのか?」

「そうだと思う。取り憑かれた私の感覚からして、そうだ。それは、先輩が幼児返りしていたことからも、わかる」

「そんなこと……」


 先輩は、まだぽーちゃん元凶説を受け入れられていないみたいだ。

 僕たちにとってはどちらも昨日今日知った存在でしかない。

 だけど、先輩にとってぽーちゃんは思い出の中にある存在だ。

 思い出そのものが汚されたような気がして、認められないのかもしれない。


「……結界の中の結末については我らの知ったことではない」

「アリス?」

「一色の説が正しいか、お前の想いが正しいか……それはあの中で決着が着いた時にはっきりとすることだ。だが、我らはそんなものに運命を左右される気はない。出口探しは勝手にさせてもらうぞ」

「でも、どうやるのさ」

「ここが閉じられた空間であるなら邪気とやらがここまで集積するのはおかしいと思わないか?」

「え? あ……そうかも?」

「この……先輩とやらを捕まえるためのあの入り口以外にも、邪気を供給している穴がどこかにあるはずだ。それを見つけ出す。方針は変わらない。カナタが魔力喰いで吸い込み続けていれば、全体がすっきりして物の動きもよく見えてくるだろうさ」

「そ、そっか」


 なら、もっと吸収速度を上げないと。

 こうしている間にも貯蓄魔力値はまた七万以上増えて、75900になった。

 並列思考を10から15に上げよう。

 これで展開できる遠視の数がまた増やせる。

 魔法応用も10から15に。

 これで組み合わせでスキルを使う負担が軽くなる。


 それから裂け目の結界に沿うように遠視を配置して、邪気が近づけないようにしながら、黒く汚れた部分をきれいにしていく。


「ぽおおおおおおおお!!」


 ぽーちゃんが吠える。

 まるで巻き上げられていく黒い靄に怒っているみたいだ。

 蜘蛛神の方はぽーちゃんに叩かれてぐったりとしている。ずっと叩かれていた辺りから体液のようなものも零れだしていた。


「……ぽーちゃんを」


 先輩が小さく呟いた。


「ぽーちゃんを楽にしてあげるには、どうすればいいの?」

「…………」

「…………」

「……私か」


 僕とアリスの視線に一色が向く。


「答えはありません。私たちにできることは、ぽーちゃんの力を弱めてからしかるべき供養を試してみるだけです」

「ぽーちゃんが悪くないって確認は……」

「それをするなら、賭けるのは先輩の安全です。私としてはお勧めしません。動物園のライオンの檻に入って食べられるかどうかを試すよりも危険だと思います」


 先輩はしばらく考えて、そして頭を振った。


「お願い。ぽーちゃんを楽にしてあげて」

「ぽおおおおおおおおおおおおお!!」


 先輩の言葉はぽーちゃんの叫びでかききえた。

 蜘蛛神が弱ったことが関係あるのか、裂け目が消えた。

 ぽーちゃんがこちらにすごい勢いで迫って来る。

 逃げる暇もないぐらいに早かったけれど、幸いにも聖砦の結界がまたぽーちゃんを受け止める。


「出口を探す前にこいつが前に立ちふさがるか」

「え? アリス?」


 驚いたことに、アリスが僕たちの前に出た。


「お前たち、この見た目でやりにくいと思っているだろう?」

「うっ」


 痛いところを突かれて僕は呻く。

 そう。

 たしかに、赤ん坊の姿にナニカをするのは罪悪感がある。


「心配することはない。我にはそういうものはないぞ!」


 ドヤっていうことなのかどうか、ちょっと考えたくなる。

 でも、頼もしくはある。


「さあ、我の遊び相手になるか? 悪ガキ?」

「ぽおおおおおおおおおおおおお!!」


 アリスの挑発にぽーちゃんが吠えた。





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