26 おばさんは見てる
招待された一色(ひいろ)の家はいまのアパートから歩いて三十分ぐらいの場所にある。
手土産なしはどうかと思ったので途中にあるケーキ屋でお土産を買う。
「やあ、久しぶりだね、かな君」
一色の母、境衣紅色(さかいこい)さんは一色をさらに凛とさせたような美人だ。宝塚の男役をやるとすごいことになりそう。
「お久しぶりです。紅色さん」
紅色さんはおばさんと呼ぶと怒るので名前呼びが基本だ。
「私が留守の間に色々あったみたいだね。本当にごめん」
「紅色さんが悪いわけじゃないですよ」
「……美来もそうだったけど、聞き分けがいいばかりもどうかと思うよ」
「ははは」
乾いた笑いで誤魔化していると、彼女の視線が僕の隣に向いた。
「それで、彼女が?」
「あ、はい。アリステラです」
「彼方の妻だ。よろしく頼む」
「境衣紅色だよ。よろしく」
そう言ってから、紅色さんはアリスを上から下まで眺めて頷いた。
「ああ、これは一色が振られても仕方ないわね」
「母さん!」
「ははは! さあ、ご飯にしましょう。私も久しぶりに息を抜きたいんだから!」
顔を真っ赤にした一色を無視して紅色さんは笑うと僕たちを家に上げてくれた。
キッチンに通されるとホットプレートの周りにお肉がたくさん積まれていた。
野菜は……キムチとサラダもやし、あとは包み菜だけ。
紅色さんは超肉食だ。そして酒豪。
まぁ、野菜があるだけマシか。
「さあ、一色、どんどん焼いて! かんぱーい!」
「母さん!」
座るなりビールを開ける紅色さんを一色が恥ずかしそうに怒っている。
「一色、紅色さんはいまさらだよ。ほら、僕も焼くよ」
「うう、彼方、ごめん」
「カナタ、ケーキは?」
「あれはデザートだよ。まだ」
「なに!」
「アリステラちゃんは甘党かな?」
「うむ、甘いものがあれば生きていける」
「うんうん、一つを愛するのはいいことだよ。一色、チョコとかないの?」
「だめだよ。デザートだけ」
「カナタ、ひどいぞ」
「そうだよ、かな君」
「はい、アリス。こうやって食べるんだよ」
包み菜にカルビとキムチを包んで強引に渡す。
「むう……カナタ、辛い。無理」
「もう。じゃあこっち、キムチ入れなかったから」
「うむ」
アリスが食べられなかったのは僕の口に放り込む。
「はあ⁉」
「うわ、なに?」
「彼方、それ……アリスさんの」
「残すのはもったいないでしょ」
キムチをちょっと齧ってるだけだし。
「いや、そうじゃなくて……間接……」
「一色って高校生にもなってなに気にしてるの。あはははは」
紅色さんが何に受けてるのかわからない。
もぐもぐ。お肉美味しい。
「ていうか、これいいお肉です?」
「知らない。お肉屋さんで買っただけ」
絶対、いいお肉だよね。
紅色さんて、なんの仕事してるのか謎なんだよね。ある時ぱっといなくなったかと思うと、長い間いなくなって、そうかと思ったらずっと家にいたりする。
そしてその間はすごく自堕落でお金の使い方も雑い。
子供の頃からずっとそういう感じだ。
そしてこの家には父親という存在がいない。
僕が物心ついた時には虹色さんはシングルマザーだった。
「かな君、今日はお風呂入ってく?」
「いや、歩いて帰るんで」
「明日送ってあげるから泊まっていきなさい。ちゃんとアリステラちゃん……アリスちゃん? と同じ部屋にしてあげるから」
「母さん!」
「あははは! 同衾はだめだって」
そうやって虹色さんに振り回されながら焼肉タイムは過ぎていく。
久々の騒がしさは懐かしさと少しの居心地の悪さで、ちょっと泣きそうだった。
昔はすぐ隣に僕の帰るべき家があって、母がいた。
だけどいまはどちらもない。
どちらもないけど、一色と紅色さんのいる境衣家は変わらずここにあって、そして変わらない空気をなんとか保とうとしている。
その白々しさが息苦しくもあった。
本当に泊まることになった。
パジャマは持って来てなかったのだけど、なぜかいまの僕のサイズに合うものが用意されている。
……こういう地味に用意のいいところはなにか怖い。
先日の一色に通じるものがあると思う。
「やあ、さっぱりしたかい?」
風呂上りの冷たいものを求めてキッチンに行くと、紅色さんがまだ飲んでいた。
「ちょっと、二人で話さないかい?」
「はい」
すでにビールの缶が山と積まれているのに紅色さんの声に酔いは感じない。
僕がテーブルに着くと、彼女はビールの缶を置き、そしてその場で頭を下げた。
「かな君、すまなかった」
「紅色さん?」
「美来と約束していたんだ。君をちゃんと守るって、それなのに、私は二回も……君が大変な時のどちらにも側にいることができなかった」
「そんな……」
「それどころか、うちの馬鹿娘が暴走して迷惑までかけている。約束どころか育児でも失敗してしまっている。情けない大人だよ、私は」
「そういうのは止めてください。それに、その言葉は一色がかわいそうです」
それだとまるで、一色が失敗作みたいだ。
そんな言い方はしないで欲しい。
「確かにそうだね。ああもう……だめだめだ」
紅色さんが頭を掻きむしって唸る。
「ごめんね。私も色々混乱してる。美来の時のことでもわかっていたけど、私は、君たち家族の重要なことでは関われない運命にあるみたいだ。情けないよ。ずっと、小さい時から、私が美来を守るんだと決めていたのに」
「あまり深く考えないでください」
「そういうわけにもいかないよ。これは、私の人生の問題だからね」
「紅色さん?」
「ふう……ちょっと話が変わるけど、私の仕事って説明したことあったっけ?」
「……いえ」
さっきも思い返していたけど、母からも聞いたことはない。
「実は私って退魔師をしてるのよ」
「……は?」
「た・い・ま・し。知らない? お化け退治の専門家」
「え? マンガ?」
「まぁそんなものだね」
「……本当に?」
「本当に。いまのかな君なら受け入れられると思ったけど」
「……それは、どういう」
「あのアリステラちゃん、ただの金髪美少女じゃないでしょ?」
「う……」
「思わず祝詞とか唱えて神棚に飾りたくなっちゃった。怖いわね。彼女が怒ったらどうなるのかしら?」
「どうもなりませんよ」
「それに、その気配はもう君に染みこんでいる。結婚しているっていうの、冗談とかお遊びじゃないんでしょ?」
「ええ、本当ですよ」
それを聞いて、紅色さんは深いため息を吐いた。
酒臭い息がテーブルを撫でる。
「だからもう君には隠しておく必要がないかなって」
「隠しておく?」
「隠しておいたのさ。関わらないならその方がいいに決まってるからね。だが、君にはもう隠しておく方がむしろ危ない。一色の件があったからね」
「一色の」
「ちゃんと覚えてるんだろう?」
「そりゃあ」
「それなら、君はもうこちら側だ。一色と同じようにね」
「同じ……ていうか、本当に? あるんですか? そんな世界?」
「あるんだよ。だから君はむしろ、こういう世界を覗いた方がいいだろうね。それに、こっちの世界も儲かるよ。こんな風に」
そう言って、紅色さんは手を広げて見せる。
それはつまり、この家は退魔師稼業で手に入れたということ?
「独り立ちにはお金が必要だよ。どうする?」
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