10 お嫁さん魔王は口でも強い
昼休憩が終わって教室に戻ると、なぜか空気がひりついていた。
机に掛井君に貸していた宿題が戻っている。
次の授業で提出だから、念のためにと中を確認していると、最後の所に小さな書き込みがあった。
『境衣が言いふらしてる。ごめん』
僕の字ではない。たぶん、掛井君だろう。
境衣一色(さかいひいろ)。
同じクラス。朝のホームルームの後で、アリスに話しかけていた三人組の一人。
同じ中学。
どころか小学校に幼稚園も同じ。
前の家のお隣さん。
幼馴染、というものだろう。
実際、仲良くしていたと思う。小学校まではお互いの家に行き来して遊んでいた。中学に入ってからはそういうことはなくなったけど、それでも会えば普通に話をしていた。
だけど、あの件を知ってから、態度を一変させた。
というよりも、一色の変化で、僕は色々と実感させられた。
これからはこういう視線で見られるようになるんだなって。
「…………」
僕は内心で感謝しつつ、掛井君のメモに消しゴムをかける。このまま提出はできないからね。
さて、これで僕は教室に居場所を失ってしまったわけか。
卒業までに僕の胃は保つかな?
午後の授業は無事に終わり、帰りのホームルームも終わる。
部活の時間だけれど、僕はほとんど活動していない文化系のクラブに入ったのでこのまま帰る。
今日はバイトがないから、練習がてら自炊でもしよう。
「アリステラさん、ちょっといい?」
……このまま平和に帰らせてはくれないらしい。
一色が前と同じように友達二人を連れてアリスに話しかけている。
「なんだ?」
「……あの話って本当なの?」
「話?」
「……琴夜君と婚約者だって話」
「事実だが?」
「っ!」
「我は結婚で良いと思うのだが、この国の法律がそうさせてくれん。まったく歯がゆいな」
堂々としたアリスの発言が教室の空気がざわつき、僕にも視線が集まる。
複雑な感情が混じっているような気がするけど、それでもやっぱり無駄に敏感になった僕の神経が負の感情を拾い上げる。
一色がどんな表情をしているのか、僕からでは背中しか見えていないのでわからない。
「アリステラさんは知ってるの? 琴夜君の噂?」
「噂? 噂などと言わずにはっきり言ったらどうだ?」
言葉のジャブのつもりだったはずだろうに、アリスは試合開始からKO狙いのストレートを放った。
「え?」
「それとも、噂という言葉を使い回していれば、間違いでも許されるとでも思っておるのか?」
「なっ、うっ……」
「噂に振り回される程度の無能を晒しておいて、それで許してもらってなんだというのだ。どうせ馬鹿なのだろう? 言葉と泥の違いも判らぬくせに無駄にこねくり回すな」
「琴夜君は、女の子に乱暴した!」
爆発するように、一色が叫んだ。
完全にアリスに引きずり出された反応なのだけれど、それにしても激しい。
女性としての嫌悪なのか、それだけなのか? 一色の憎悪の激しさが僕には理解できない。
「義理の妹に手を出したのよ! 本人に聞いたんだから! 噂じゃない!」
怒り狂った甲高い声が僕に刺さる。
そんな話が出回っているのだと改めて欝な気分になるが、アリスの表情は変わらなかった。
「本人に聞いた? 本人に聞けば真実なのか? 現場を見たわけでもないのに? 股座の傷でも自分で確認したのか? 相手は妊娠したのか? 赤子はカナタに似ていたか?」
「そ、それは……」
「言えばそれで罪が確定するというのなら、我も同じことをさせてもらおうか? いまから教師のところに行ってお前にひどい目に遭わされたとあれこれ言っても良いということか? どうだ?」
「うっ……」
一色が言いよどむ。
「そういえばそうだよな」
「え? 境衣の言いがかり?」
「マジで?」
「都会である痴漢詐欺みたいなの?」
「それって最低じゃない」
「えー」
周りからそんな声が聞こえて来る。
一色が追い詰められている。
彼女に付いている二人が逃げたそうに、一歩、距離を取った。
「お前がやるべきことは噂に踊らされることではなく、もう一人の当事者に話を聞くことではなかったのか?」
もう一人の当事者。
もちろん、僕のことだ。
一色が振り返って僕を見た。
怒りで真っ赤になっているのかと思ったけど、その反対だった。
今にも泣きそうな青ざめた顔をしている。
陸上部の強気な彼女からは想像できないような顔だ。
そんな顔を見たのは、幼稚園以来ぐらいじゃなかろうか。
「彼方」
「一色」
震える声で僕を呼ぶ一色をまっすぐに見返す。
アリスがせっかく作ってくれた釈明の場所を、台無しにするわけにはいかない。
「僕は何もしていないよ」
「っ!」
迷いなくそう言った瞬間、一色はさらに顔を引きつらせ、教室を飛び出していった。
それに合わせて友人二人もばたばたと教室を出る。
「さて、邪魔者もおらんなったし、帰るか!」
「そうだね」
明るく言うアリスに頷く。
「じゃあ、また明日」
「お、おう」
ぽかんとしている掛井君たちに声をかけ、僕たちは教室を出た。
「ありがとうね」
「夫を守るのは当然だろう?」
廊下に出たところで礼を言うと、アリスはそんな風に返す。
「男前だなぁ」
「それは褒めているのか?」
「当然、僕よりぜんぜんかっこいいよ」
「ふむふむ。それなら、夕食は甘いものを希望する」
「夕食なのに?」
それはどうなんだろうと思っていると……。
「きゃああああ!」
いきなりの悲鳴が階段の踊り場に響いた。
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