金木犀は一等星の夢を見るか
淡園オリハ
金木犀は一等星の夢を見るか
「どうして人がたくさん死んだの?」
どうこたえるべきか、少し逡巡した。順を追って説明するために、少し長くなるけれど、昔話から始めることにした。
人間の生存に必要なものは科学の進歩やテラフォーミングの研究によってあらかた解明されている。それは今から遠いむかし、火星移住がまだ現実的ではないと言われていた頃のはなし。研究者たちは地球外でも人間が生きていられるように、血眼になりながら人間の生存に必要な条件を割り出していった。酸素や水といった生命活動の維持に必要な「星」の条件はもちろん、一日に必要な栄養素、水分量なども細かく計算して「最低限これだけあれば生き続けられる」という命のボーダーラインを明らかにした。
だから「いざ火星移住!」と意気込んでいた研究者はもちろん、被検者として名乗りを上げたファーストペンギンならぬファーストヒューマンたちは、非常に驚いた。なにしろ500名もの被験者が火星到着から1週間も経たずに全員死んでしまったのだから。私も当時はニュースを見て驚いたものだった。死因はすべて自殺だった。研究者たちはもう一度計算をやり直した。命のボーダーラインが間違っていて、何らかの栄養素が不足したためにセロトニンが不足し鬱になってしまったのではないかと仮説を立て、実証実験を繰り返した。何度も、何度も、宇宙船を打ち上げた。当時の私は、中継でその映像を眺めるたびに生まれ故郷に伸びる廃線になった雑草まみれの線路を思い出した。実験は一度も成功しなかった。
不思議なことに、地球では問題なく生存している被験者が、ひとたび宇宙の旅へ立つとすぐに死んでしまうものだから、とうとう研究者も頭を抱えて、難航する実験や被験者への罪悪感から自殺するものも続出した。とくにひどかったのは、被験者の遺族たちだ。勇気ある人類の先導者から一転、莫大な費用を投じられたにもかかわらず即死した不甲斐ない人間の親族として、侮蔑の対象へと転落してしまった。どこへぶつけてよいのか分からない遺族の燃え盛る悲しみや怒りは、やはり研究者たちへと投げ込まれることになる。文字通り、自宅に火炎瓶を投げ込まれたり、街を歩いていたところで何者かに殺傷されたりといった事件が相次いでいたこともあり、実験はいちど打ち切りとなった。ここまで説明したところで、聡明な私の教え子は目を閉じて何かを考え始めた。ややあって、ゆっくり目と口を開いた。
「その実験はどうなったんですか?」小首をかしげて「それだけ大規模な実験だったのなら、簡単に終わらせることもできないでしょう?」確信を込めて私に問う。
「しばらくは何事もなかったかのように日常が続きましたよ。実験なんてなかったみたいに、ニュースだってバラエティだっていつもの色を取り戻して……」なにぶん昔の話だから当時の雰囲気は思い出しにくい。
「誰かがもう一度、その研究を引き継いだんですか?」
「そう。とんでもない物好きが居たらしいです」その人物の名前や顔は思い出せないけれど。
彼女はぱぁっと表情を明るくして、私の目を見た。
「でも、その人のおかげで――」
コンコン、とドアがノックされる。小さなテーブルをはさんで座っている私と教え子が同時にドアを見やり、これまた同時に「どうぞ」と答えた。「失礼いたします。お茶をお持ちしました」と流麗な響きで告げた声の主は、銀色のトレイを両手に持ちながら器用にドアを開けて部屋へと入ってくる。夜みたいな色の髪の毛を後ろでひとまとめにした彼女の端正な顔立ちに一切の色が乗ることはなく、その淡白な印象が身体を包むメイド服と異常なほどによく似合っていた。
メイドは膝と腰をゆっくりと折り曲げながら私たちの横へ膝を着くとトレイを片手に持ち替え、湯気の立ち上るティーカップとチョコチップクッキーをテーブルへ並べた。すべての所作が機械じみていて、無駄な動きがひとつもない。すっくと立ちあがって天蓋付きのベッドサイドから花瓶を回収すると「失礼致しました」と告げて部屋の外へと消えていった。
メイドが運んできたクッキーを掴んで口元へ運ぶ。立て続けに2枚食べてから、ふと気になって教え子に尋ねた。
「何年になるんですか、彼女は」
「何年だったかしら、先生がここに家庭教師に来てからだから……3年?」
「そうでしたか、彼女は私と同期なんですね」
「そろそろ新しくしないといけません、悲しいですけど」
家庭用アンドロイドは3年ごとにソフトウェアのアップデートが義務付けられている。彼女の肉体は問題なく元気だけれど、そのなかに積んであるOSは3年おきに更新して、新たな法令や社会情勢、常識に合わせて生まれ変わらなければならない。OSは、アンドロイドにとって精神や魂とも呼べる場所だ。そのOSの更新が義務付けられているとは、いったいどのような心境なのだろう。きっといつになっても知ることができないその心境を思うと、なぜだか自殺した被験者たちのことが思い浮かんだ。
「そういえば、先生の誕生日はいつですか?」
「私は明日ですよ」
「……忘れていました。おめでとうございます、先生」
「ええ、ありがとう。でも明日はみんながお祝いをしてれくれるらしいから、すこし早く起きなくちゃいけないの」
「みんなって、誰です?」
「お友達よ」
ふと時計を見ると、短針が6を指している。授業が終わる時間だ。結局授業らしいことは何一つしていないと気づいて、慌てて宿題の指示を出しながら考える。彼女はいつも楽しそうに昔話を聞いてくれるから、ついつい脱線したまま話を続けてしまうのだが、いったい私の話の何が面白いのだろうか。
「それじゃ、来週までに終わらせておいてくださいね。分からないところがあったら飛ばしておいてください」
「分かりました。先生、いつもありがとう」
「こちらこそ。まともに授業ができなくてごめんなさい」
「いいんです、私も友達と会うような感覚でこの時間を楽しみにしているんですから」
「友達……ですか」
「ええ、友達です。嫌?」
「いいえ、とても嬉しいわ。それじゃ、また来週に」
「うん」
帰り支度を整えて、部屋のドアを開ける。気高く謙虚な彼女は、わざわざ立ち上がって私を見送った。どこか寂しそうで物憂げなその表情が、脳裏にこびりついて離れない。ドアを閉めるその瞬間まで、彼女の眼は私を捉えて離さなかった。
ドアが閉まる瞬間、彼女が小さく何かを言ったのだけれど、分厚いドアの向こうで発せられた言葉は私の鼓膜へ届くことはなく、ドアの隙間につぶされて霧散した。
―――――――――――
何事もなく翌日がやってきた。ピンク色の天蓋が陽光に照らされて、細かくきらきらと光を反射させて揺らめいている。今日は少し忙しい。メイドを定期検診に連れていかなければいけない。大きく背伸びをして、もぞもぞとベッドを抜け出す。白いレースカーテンとベランダに続く窓を両手で開け放つ。清々しい太陽がまっしろに輝いて、空を青く染めていた。雲一つない晴天には、配達用ドローンや空挺タクシーが黒ゴマのように飛び交っている。遠い空の向こうには、天気が良い日にしか見えない空中都市が浮遊し、私たちの住む街を見下ろしていた。
コンコン、と控えめな音でノックされたドアを振り返る。「どうぞ」と答えると、無機質な表情のメイドが顔を覗かせた。
「お嬢様、お出かけの支度を」
「ええ。髪を梳いてくれるかしら」
「かしこまりました」
すとん、と椅子の上に座る。鏡に私の姿が映る。音も立てず私の背後へ立ったメイドは、4本の腕を器用に使いながらすばやく私の髪を梳かしていった。
「お食事の準備ができています」
「ありがとう。ダイニングへ行きましょう」
「かしこまりました」
私の一歩後ろを几帳面に着いてくるメイドを振り返る。メイドは表情を一切変えることなく首を45度に傾げる。プログラムされた動作だと分かっていてもその所作に違和感を感じないのは、計算され尽くした「相手に疑問を投げかける」ための最良の動きだからだろう。私は私が怖くなる。実のところ、最適なタイミング、最適な角度で首を傾げられれば、相手が生命体でもアンドロイドでも関係なく意図は伝わる――いや、「意図」があるかないかすら、関係ない。そのことに気づいたとき、得体のしれない恐怖というか孤独というか、形容しがたい虚無感に襲われて、先生が昨日話してくれた昔話を思い出した。
朝食を済ませると、外出用の服に着替えてメイドと一緒に外へ出た。玄関を一歩出ると、街中に張り巡らされた移動歩道が私の身体をさらってぐんぐんと進み始めた。メイドは何も言わず私の後ろにぴったりとくっついている。しばらく移動歩道に乗っていると、道路がぶつかる交差点が見えてくる。ホログラムで映し出される地図をちらりと確認して、定期検診が行われるファクトリーに向かって移動歩道を乗り換える。それから3回ほど乗り換えると、目当ての施設が見えてきた。
真っ白な壁と磨き抜かれたガラスが必要以上に清潔感を漂わせるから、私はこの建物が嫌いだった。自動ドアをくぐろうと入口に差し掛かったところで、とびきり会いたくない人とばったり出会ってしまう。
「あら、こんなところで会うなんてめずらしい」
「先生……」
「そっか、今日はメイドさんの定期検診日だったんですよね」
「ええ、そうです」
早く会話を終わらせたくて、目も見ずに答える。失礼な行動だとは分かっているけれど、もう今の先生と目を見て話すことはできない気がした。被験者たちの姿が脳裏に浮かぶ。
「そうだ、宿題はどうですか? 何かわからないことがあれば――」
「結構です。急ぎますので」
足早に先生の横を通り過ぎて、自動ドアをくぐる。やめておけばいいのに、ドアが閉まる直前に先生のほうを振り返ってしまう。先生は、屈託のない笑顔で私を見ながら手を振っている。背筋が凍った。その所作のあまりの自然さに、言葉が詰まる。ぎゅっと目を閉じて前を向く。目を開くと、メイドが眉をハの字に曲げて私を見下ろしていた。
「お嬢様、どうかなされましたか?」
その言葉で、私の中の何かが音を立てて崩れていった。その場にへたり込んで、一歩も動かず、命が尽きるまで泣いてしまいたくなった。最後の力を振り絞るような気持ちで「なんでもないわ」と吐き出し、検診室まで歩を進めた。ドクターにメイドを預けて、待合室へ腰を下ろす。きょろきょろと周りを見回す。人間を探していた。ふと目に留まった一人のおばあさんに話しかけてしまったのはなぜなのか、今でも分からない。
「あら、可愛いお嬢さん。私に何か?」
「用はないんです。ただ、少しお話がしたくて」
「そう。人間なんかと話したって面倒なだけよ?」
自虐にしては軽すぎる響きで、だけどその重さが最適であるかのような声音でおばあさんはそうつぶやいた。不老に成功した現代では老人を見かけることは多くない。いるとすれば、サイボーグになることを拒んだ純粋な「人間」だけだ。感情を有している人間は、今の世界では受け入れがたい存在として迫害されている。
「人間と、話したくなりました」
「物好きな人もいるものね」
そういえば、最近もそんな話をした気がする。そうだ、昨日、先生が言っていた。昔話だ。
頓挫した研究の、絶望的な舵取りを引き受けた稀有な人間。
「おばあさんは、火星に来る前のことを覚えていますか?」
「そうね、うっすらとだけど覚えているわ。空気は悪いし、狭いし、面倒なことが多かったわ」
「……私は、地球のことを全然知らないんです。よければ、教えてもらえませんか?」
おばあさんは遠くを見つめる眼差しで地球のことを教えてくれた。まだ星間旅行も時間操作もできなかった頃の人間は、驚くべきことに自転車という人力の機械で移動する人々がいた。でも、自転車で川沿いを走ったあの時の気持ちよさは、現代のどんな技術を用いても味わえないこと。
天候操作の技術が確立していなかったから、夏の前には梅雨という長い雨の季節があったこと。でも、梅雨にはてるてる坊主という祈りの人形を作ったり、傘という雨除けの道具を使って散歩したりする時間が存在したこと。
おばあさんの口から語られるどれもが私にはひどく眩しく、美しく、どこにでも行けるのにどこにも行けない感覚をひそかに強めていった。
「そろそろ行くわ。こんな話、つまらなかったでしょう?」
「そんなことはありません。とても素敵でした。お話しできてよかった」
「ほんとに物好きなお嬢さんだこと……さてと、それじゃあね」
私は聞かなければならないことを思い出して、立ち上がりかけたおばあさんを慌てて制止した。
「あの、もう一つだけ、いいでしょうか」
「うん? なにかしら」
「火星移住の計画が頓挫したあと、その研究を引き継いだ人のことを、覚えて……いますか?」
ほとんど懇願のような口調で私は問いかけた。おばあさんは顎に手を当てて上を向き、考えるポーズを取った。不格好なのに、いつまでも見ていたいと思った。
「若い……女の人だったかしらね。大きなニュースになったのを覚えているわ」
「それって、どんな内容でしたか?」
「自分の感情を消したのよ。後任の彼女はまず計画が失敗した理由をもう一度確かめた。そうしたら、先に火星に旅立った被験者がみんな自殺した原因は、帰巣本能にあるって分かったらしいわ。ようするに、地球が恋しくなっちゃったのね」
「それで、感情を?」
「ええ。当時は倫理面でもパッシングを受けたけれど、彼女はそれらを跳ねのけて自分の感情を消してしまったのね。それが、今のアンドロイドに使われている技術の基になった。そして、彼女に賛同した人々を連れて、火星へ旅立ったの」
皮肉なことに一発で成功しちゃってね、と笑うおばあさんを見て、私は何も言えなかった。感情と引き換えに人類の新天地を切り拓いた英雄。その話を聞いて、私はお父様に英雄の捜索をお願いした。70年も昔の英雄は、果たしてあっさりと見つかった。すでに火星へ引っ越してきていた私の家の近くで暮らしているとのことだった。どうしても彼女と話がしたくて、彼女を家庭教師という名目で自宅へ招いた日には、眠ることも食事もままならないほどに緊張していた。
先生はもう人ではなくなっていた。老いた肉体の8割は機械が肩代わりしていて、精神の大部分を占める感情はとうの昔に失っている。加えて、自分がテラフォーミングを成功させた立役者だという記憶はごっそりと抜け落ちていた。すでにどこが人間でどこがアンドロイドなのか分からなくなってしまった先生は、私の目にはとても奇妙に映った。偉大な人物でありながら、その自覚が欠落している。火星に来るまでの記憶は失われて、火星に来てからの記憶も少しずつ改ざんされている。1年に1度のスパンでメイドと同じようにファクトリーへ足を運び、記憶を修正され、また日常へ戻る。先生は、それを誕生日パーティーだと信じて疑わない。
気が付くとおばあさんは居なくなっていて、代わりにアップデートを終えたメイドがいつの間にか私の隣に立っていた。
「お嬢様、大変お待たせしてしまい申し訳ございません」
「気にしなくていいわ、私が来たくて来たのだから。行きましょう」
「かしこまりました」
自動ドアを抜けて外に出た。
もぬけの殻みたいな街の上空に飛び交う機械の群れも、作りものみたいな青空と太陽も、遠くに浮かぶ空中都市も、何もかもが私を否定するように生活を続けていたから、私は躍るように移動歩道の上でステップを踏んだ。
何度も、何度も。
すれ違う人やアンドロイドは私に目を向けることもなく、当てのない果てを見つめてどこかへ進むものだから、私はさらに強く、どこにもないどこかへ続くような足取りでダンスを踊っていた。なにもかもが嘘であるならば、私のこの虚しさも嘘にしてほしい。
目を閉じて、壁にぶつかりながらめちゃくちゃに躍りまわる。顔も知らない被験者たちと、先生の顔と、メイドの顔が交錯する。いったいぜんたい、今の私はどんな顔をしているのだろう。分からなくて、知りたくなくて、答えのない答えを求めて、見知らぬ真っ青の惑星に思いを馳せては、流れる涙を拭うものなど一人もいなくて、また、泣いた。
金木犀は一等星の夢を見るか 淡園オリハ @awazono_oriha
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