Episode17:RECOLLECTION
繋ぐ時間に比例して、柾は気付いた。いや、気付かされていった。悠太という個人を自分だけのものにしておきたいという確かな欲と、悠太自身がまだ柾に対して遠慮を残しているという事実。
会う時間が増え、対話の頻度が増えてもあれ以来身体的な接触はうまくかわされたままで、悠太がありのままに振舞えているとは思えなかった。
把握できている限りでは悠太の酒の量は減っているはずだった。結局のところ、シラフで心的距離を削ぐのが難しいらしい。厚い理性の壁にはため息が出た。
『クリムソフト』の夜に見たような酔うほどの熱情。それを直にぶつけられたいと柾は何処かで望んでいた。
(あれこそは、彼の剥き出しの姿だ。あるべき本来の姿だろう。……俺が俺である以上変えられないとでも言うのか)
城之崎に泣き言を言うのは簡単だったが、くだらないプライドがそれを許さなかった。できうる限りのことはしている柾にとっては、誰かを頼ることでその答えが見つかるとは到底思えなかったのである。
『焦るな』と言った城之崎の言葉を思い出しながら行き場のない思いをため息と吐き出すしかなかった。
そんな折だった。市井蓮からの連絡を受けたのは。
悠太に手製の料理を振舞い食事を終えた土曜の昼のメッセージ、顔色を変えないように必死にやり過ごした柾は、悠太と別れた後で返信を送った。
ある日忽然と荷物ごと姿を消して以来の連絡にも関わらず、連絡は久し振りの友人に声を掛けるように気軽なものだった。
夜の十九時、付き合っていた頃はよく通った馴染みのバーでの逢瀬の約束に当惑しながらも、柾は承諾する。
店に現れた彼女は、大事に伸ばしていた黒髪をばっさりと切っていた。会った瞬間に、彼女の心変わりを確信した。纏う空気が以前とは大きく違って見える。
「ひさしぶり。元気にしてた?」
艶やかなルージュの光る口角が上がる。いよいよ以てなぜ呼び出されたのか、柾は訝しみながら席に着いた。
「城之崎から聞いてるんじゃないのか、俺よりは密に連絡取ってたんだろ。蓮こそ、元気そうで安心したけど。もう会うつもりはないんだろうと思ってたよ」
「メイちゃんにどやされたんでしょ、あれ、気にしなくていいから。あたしもいい歳だからさ、建設的に生きたくなっただけなの。……顔が見たくなったって言ったら笑う?」
隣り合うカウンターの席で蓮の表情を覗き込む勇気が柾にはなく、横目にちらりとだけしか窺えない。彼女の真意が測れずに、先にギムレットの注文を通した。
蓮は柾の言葉を待ち、柾にとっては居心地の悪い静寂が続いた。シェイカーの音が聞こえ始めてようやく、唇を開いた。
「蓮と別れてから、好きな奴ができた。……多分、付き合ってる。俺が? って思うだろ。だけど本当のことだ」
コースターが滑るように置かれ、カクテルグラスがほどなく出来上がる、蓮の顔を見ることができないまま、柾は乳白色の液体に視線を注いだ。
「……知ってる」
「知ってる? 城之崎がそこまで話したのか?」
「メイちゃんはあたしと柾がヨリ戻せばいいってずっと言ってるから。でも、安心して。そういうつもりで会ってるんじゃないの。柾に、好きな人が出来たって聞いた時ね、純粋に嬉しくて。だれかを本気で好きになったあなたに、会ってみたくなったのよ」
蓮の前にはルージュと同じように紅い、マンハッタンが置かれている。お決まりのように乾杯の合図を取らない彼女はそれをひと口嚥下してから小さく笑った。
「あなたって、誰にも心を触らせない。長く一緒にいたあたしにも、全部は分からなかった。そこが魅力的だとあたしは思って恋に恋してた。本気でだれかを欲しがったことなんて、ないでしょう?」
(一緒にいた時間が長かったのは、愛した理由にはならないのか)
言えない言葉をアルコールと飲み下す。
城之崎にしろ蓮にしろ、柾には気持ちがなかったと言うが、柾自身としてはその言葉は肯定し難いままだった。がしかし、第三者から見てそうであるということだけは確かだった。
「比べるものじゃないけど、敢えて比較するならそうなるかもな。……それで、俺に会って揶揄ってやりたかったのか」
「卑屈にならないでよ、あたしは応援したいの。あなたがどうしても欲しくてしょうがないその人が、イッちゃんに似てるって聞いて因果だなって思った」
「それを面白がるって言うんじゃないのか」
蓮はゆるく首を横に振る。口の堅いと思っていた城之崎は、彼女に対してはそう限らなかったらしい。あるいはそれだけ打ち解けていたとも言えるのか。イツキの愛称が出てきたことで、柾はため息を吐かずにいられなくなった。
蓮は気にする様子はなく続ける。
「因果だし、ああだからか、って。妙に納得したの。自分が選ばれない理由に。溜飲を下げるってこういうことなのね。メイちゃんは当事者だからこそ納得しないのかもしれないけど、あたしはあなたの女だったからこそ分かる」
「……これを飲んだら帰る。お前に後押しされなくたって、俺に迷いはないよ」
「意地っ張り。この数か月連絡のひとつも寄越さないであたしに謝りもしなかったんだから、これぐらい聞いてくれてもいいでしょ」
柾の肩に手を置いた蓮が、顔を覗き込んでくる。それを言われると分が悪いが、この時間に有意性を感じられないのも実際で、柾は複雑な表情のまま一瞥を返した。弱みを色んな意味で知られているということが、気に食わない。
「柾の好きな人、顔を見に行ったの。働いてるトコ見ただけだけど、確かに似てるって思った。雰囲気っていうのかな、メイちゃんが色々憂いてるのも納得だった」
「似てないよ。そんなつもりはない」
「……見て」
蓮は鞄の中から手のひらサイズの小冊子を取り出した。
クラフト厚紙のその冊子に柾は覚えがあった。大学時代のサークル活動の記録を収めた写真集だ。記憶の限りは部屋の本棚に直していたはずだった。
表紙を捲ったそこには、かつての仲間の顔が連なる。今より雰囲気の若い城之崎や柾、そして――イツキの姿。
開いたのは数年振りだった。
光を反射しそうな明るい金髪にツーリング焼けした褐色の肌、弾けるような笑顔。忘れていたわけではないが、記憶のそれとは少し違って見えて、やはり悠太とは似ていない、と柾は思う。
「屈託ない笑顔。あの子はすごくドライで無表情してるのに、メイちゃんとかスタッフの子に話し掛けられた時だけすっごく表情が解れてた。それ見た瞬間、イッちゃんのこと思い出したの。付き合う女は、可愛いタイプじゃないのにね。本当は、イッちゃんのこと……」
「ンなわけあるかよ。勝手な感想だろ、重ねて考えたことなんてない。趣味が悪いんだよ、やることが。放って置けばいいだろ」
思いの他語気が荒くなり、言ってから柾は自分でも眉を顰めた。フラッシュバックする瞬間こそあったのは事実だが、それは姿や性格の問題ではないはずだった。その一方で、なぜ悠太に声を掛けたのか、その理由の端くれに「イツキのような従順さ」を鋭く感じ取っていたからなのではと思う節が否定できない。
写真の中のイツキを直視していられずに柾はぱらぱらりと頁を捲った。城之崎や蓮の写真も多い。イツキの写真は少なく、多人数で撮った中にしか居ない。
「今日はそれを返したかったの。勢いで荷物まとめて出たから、混ざってた。ごめんね、怒らせるようなこと言って。……柾はそんなつもりないかも知れないけど、いつでも話聞くよ」
「元カノと繋がってるなんてなにかの拍子に知れたら、今度こそ俺は突き放されるだろうよ。イツキみたいに、女に嫉妬して攻撃的になるような奴じゃない。……今だって俺がただの男だからいつかは離れてくんだと、それが当然であるかのように振舞ってる」
言葉にしながら柾は内心安堵した。悠太はイツキのように蓮に当たることはないだろうという確信があった。きっとそんな日が来るより先に柾以外に男を作って物理的な距離を取るだろうと、想像するのは易い。
蓮は微笑ってそっか、と呟いてピックに刺さったチェリーを口に含んだ。
「お前だって、もうあんな目に遭いたくないだろ」
「そうだけど……、やっぱり余計なお世話ね。ふたりの仲掻き回したいわけじゃないし。嫉妬させてどうこう、相手を動かそうとするのなんて愚か者のすることだわ。メイちゃん伝いにノロケが聞けるのを願うとしましょ」
「……筒抜けなのはよく分かったから、城之崎をむやみに頼るのも止めるよ」
「どうしてよ、それぐらい聞かせてくれてもいいじゃない」
冗談めかせて駄々をこねて見せた後、蓮は柾の背をぽん、と叩いた。
「頑張って」
席を立つと、蓮はスマートに電子払いを済ませて手を振って先に店を出て行く。一緒に席を立つつもりでいた柾はその手際のよさに出遅れ、颯爽と去る後姿を見送るしかできなかった。
彼女が未練を持って会いに来たわけではないことを今一度確かめさせられる。妙な気分だった。未練が柾に残っているわけではなかったが、五年という決して短くはない月日を共に過ごすことができていた理由を思い出した。
触れ過ぎず、放り過ぎない、この絶妙な距離感が彼女の魅力であったのだと。
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