Episode15:CALL ME*
不思議だ、と柾は思った。触れて確かめればそれだけ、それが同じ性の身体であることが浮き彫りであるのに、そこに不快感を感じることはない。
まだ夢現の悠太の上衣を託し上げて、そのまま両腕を拘束する。逃げ出したいならそれも不可能ではない状態を残して相手の意向に委ねた。肌の上を手でなぞってみて、ふと思い当たる。
「……瘦せたんじゃないか」
冬の厚着でうまく隠れていたのか、夏に見た肢体より骨の凹凸が指でたどれるほどにそれは明らかだった。悠太は思い当たる節がないのか、曖昧に首を傾いだだけで答えない。
悠太が挙動を目で追って小さく息を飲んでいるのを目の端に、柾はみぞおちへ唇を落として下衣のスウェットに手を掛ける。下着ごと腿まで下ろしたところでようやく意識がはっきりしたのか、びくりと悠太が跳ねた。
「マジなの、芳野さん」
「冗談でするかよ、今更」
「……どこまでスんの」
「大体の要領なら分かる、……実演もあったしな」
言いながらに足首を抜いてベッドの下へスウェットを放る。片足を持ち上げた姿勢で腿裏にキスを落とした。
あの夏、ゲイのハッテン場で見た光景は嫌でも記憶に鮮明だった。
「初めてじゃないんだろ、リードしてくれてもいいんだぜ」
「……」
悠太の表情が曇る。意地の悪い言い方ではあったが、気を悪くしたのはその言葉のせいではなさそうだと柾は感じた。とても手慣れた行為には映らなかったのを、覚えている。文字通り、まな板の鯉が調理されるようだったあの日、悠太は連れの男に行為半ば見捨てられたも同然だった。
柾はその憂鬱を思い出したのだろうと想像した。
「なんで、見ちゃったんだよ……」
「なんでって、そりゃ見るだろ。ご丁寧に窓まで用意してあるんだから。分かってたけど、いい気はしないもんだな」
「おれだって初めてだったんだ、まさかそうなるなんて」
「――の割には怖がる様子もなく、なすがままだったじゃないか」
いつの間にか問い質すように柾は鋭く切り返していた。なにかを口にしようとして悠太は唇を開いたが、すぐに言葉を飲み込んだ。瞳だけで、これ以上は止してくれと柾に伝えてくる。柾はそれを無視して一度は別の男が犯したそこを指先で撫でた。意識したことで少し血が上り始めている。気付けば指の先を埋めていた。
今度こそ悠太は両腕を服から抜いて柾を制止する。
「待って、マジで、今は無理」
「俺が相手じゃ不満かよ」
悠太は起き上がって、柾の肩を掴む。ゆるく首を振ったその表情は恐怖や嫌悪ではなく、懇願に満ちる。
「ちゃんと時間ほしい、……気持ちとかじゃなくて……準備しないと女とは違うから」
次第に口調はぼそぼそと小さくなった。視線を下ろす悠太の耳がほんのりと紅くなるのを見て、柾は両手でその耳を軽く引っ張る。
「じゃあこれはどうする?」
脳裏を苛立ちと悔しさが靄のように占めているのに、柾の熱は膨張して行く。手荒に扱ってやりたいとさえ感じるリビドーを奥歯で噛み殺しながら、柾は悠太の手首を掴んでそれが分かるように示した。
柾の目と、手元をとを行き来した視線は狼狽している。悠太の頭を掴むが先か、悠太が動くのが先か。柾の下衣に手を掛けた悠太は、ぱくりと熱を咥えた。
喉奥に誘導しても嫌がる素振りがないのを好しとする一方でその従順さの培われた元を考えずにはいられない。情熱と冷静の合間で、柾は目を伏せてできるだけ与えられる刺激にだけ集中しようと努めた。
(こんなはずじゃなかったんだが)
いつかと同じように、吐き出したものを残らず啜り取って、悠太は唇をぺろりと舐める。慣れた証拠だと頭の端で柾は思う。城之崎がいつだか言った言葉が反響する。
『アンタが知らないだけよ、あの子は十分にゲイしてる。テンバにだって行くし、セフレもいる。ただの男のアンタになにができるの』
(そりゃ、十分だったろうな。……俺が相手だから気を揉むってか)
悠太が遠慮がちに腕を巻きつかせてくるのを拒まないまま、柾は分からないように細く、小さく息を吐いた。
自分では寛容なつもりだった。が、しかし通常なら見ることはないであろう行為を目の前で目撃する、見守るより他ない状況というのを経験するのでは意味合いが違ってくる。
誰のせいでもない、言うなれば自業自得とも言えたことに腹を立てようにも素直に腹だけを立てることができない。後悔も焦燥も苛立ちも、あの瞬間を目にしていなければ起こらなかったことだ。しかしてあの機会を逃していたら、今はなかったかも知れないと言える。
「……怒ってる、芳野さん?」
腕の中に収まりながら、悠太が訊ねた。心音を聞くように顔を寄せたまま、視線は上げない。
「君のせいじゃない。俺が浅はかだっただけだ」
「おれ、いつかはって思ってた。思ったよりずっと早くて、準備できてなくてごめん」
「……謝ることじゃないよ」
今もまだセフレはいるのか、と訊ねたい気持ちをぐっと柾は堪える。それは聞くことが怖いのも事実だった。その答えに、動揺しないでいられる保証が今はなかった。
腕の中の悠太をもう一度抱き締める。ただそれだけでいいと思っていたはずだったが、現実はいつだって甘くないものだ。
ふたりして昼前まで二度寝して惰眠を貪り、一緒に食事をして別れた。驚いたのは、冷蔵庫の中に酒以外のものがさっぱりとなかったことだった。聞けば自炊するような時間がないと悠太は苦く笑う。この三月ほど、芳野が悠太の部屋に出向くその日だけ、簡単な
柾はぼんやりとしているとどこまでも今朝の一件とあの日見た光景について自責を続けそうだったため、残る休日の時間を家の外で費やした。月に一度は集まる大学時代の同期との付き合いも今月は既に終えていた。仕方なく平日を中心に通っている月契約のジムで汗を流し、岩盤浴のスパ施設で家族連れやカップルを横目に本を読んで過ごした。週末を乗り越えさえすれば、また日毎の締切に追われて忙しく心を無にしていられる。そんな考えになること自体が、既に捉われているのだと職場の喫煙室で水蒸気を吐き出してはため息と溶けた。
水曜のその日、柾の心は浮き立つというよりはずっと緊迫した状態で日中を過ごす。いつもより締め切りが多く偏ったせいもあったが、勢いを付けずに平静の状態からどのようにして行為へなだれ込むかを考えるとぴり付かずにはいられなかったのだ。
昼を過ぎた時点で悠太からは短い連絡が入っていた。『今夜、待ってる』、たった一言の短い言葉で柾の鼓動は跳ねた。
まるで思春期を思い返すようで、しかし、その時だってずっと簡単で単純に、容易くこなせたはずだと思い直す。
(先が思いやられる。酒に逃げたくなる気持ちってのはこういうことか)
定時きっかり仕事を切り上げる準備はできていた。この頃は同僚含め、柾が水曜だけは定時で上がることを周知している。電車を乗り継いて小雨の降る中を歩く足並みは自然と緩やかになった。
ドアベルを鳴らす指が震えて、思わず柾は笑った。迎える悠太はいつもの通りに見える。ルーティンをなぞるように鴨居のハンガーに外套を掛け、テーラードはソファの背へ掛け置いた。
振り返るテーブルの上にはいつもなら揃いのグラスや酒菜が並んだが、今日はすっきりと片付けられている。
「……食事は」
「それは、後で、かな。……シャワー浴びる?」
いつも通りに見えた悠太が少し、声を落とした。柾の動向を探るように視線を上げるのを見て、柾はその身体を腕に留める。
「一緒になら」
耳に掛かるくるんとした髪を指で避けて、口付ける。その鼻孔に真新しいシャンプーの香りが届いた。余裕のなさを見抜かれるのが怖かった。心音ひとつでそれは容易く見抜かれただろうが、表情を見られるよりはずっといいと考える。
返事を待たずに衣服に手を掛けると、悠太は抵抗なくそれを助けて動き、柾のシャツのボタンをひとつひとつと外した。
浴室の濡れたタイルに湯を掛けて、そのまま湯気の立つ中で身体を寄せ合う。『クリムソフト』の暗い部屋で見るより明度の高いくっきりとした視界で抱き合うのは、改めて新鮮だと感じる。準備が必要だと言っていた悠太は、身じろぎながらも柾の手の動きに今度こそ動揺を見せない。肌の至るところを指で触れて確かめてから、意を決して秘部に触れる。
浴槽の縁を上手く使いながら、悠太は柾を導いた。
浴室で抜くのが習慣になっているのが、悠太が手にしたローションで分かった。指でならす様子を目の当たりに、柾自身驚くほど心が昂った。待ち侘びたように埋める熱は案外と容易くは行かない。呼吸を浅く合わせるようにして奥深くまで繋がる時、感慨を吐き出すように声を殺して悠太が喘いだ。
換気窓のある壁際へ両手を付いたその顔がどんな色をしているのは柾には窺えない。浅く、荒い呼吸と小刻みな震え。あの日が初めてだった、という言葉を思い出してそこに嘘はないことを感じ取れるたどたどしさだった。
少なからず意識の幾ばくかは、今まで体感してきた女体との差に注がれる。ただ、その快楽よりはそうしていることへの実感に感情が煽られ、半ば夢中になって柾は腰を穿った。
時折、呼気混じり悠太が名前を呼ぶ。芳野さん、と。
「……名前で呼んで、悠太」
悠太は躊躇うように息を漏らしていたが、差し迫ると湯音に溶けそうな声色でおずおずと柾の名を呼んだ。
イツキのことや、悠太の初めてのことはもう頭になかった。ひとつひとつの反応の繊細さに魅入られて行くのが分かる。掌で弾けたのを見届けた後、柾は熱を引き抜いてから果てた。
悠太が振り返って、改めて吐息の掛かる距離で見つめ合う。熱に浮かされた瞳は煽情的で、貪るように口付けた。
後始末を終えて部屋に戻る頃には指の腹がふやけていた。久しい気怠さを覚えながら下着だけ身に着けた柾は、吸っていいか訊ねてから電子タバコを吸った。悠太は冷蔵庫からお決まりのように缶ビールをふたつ取り出し、ひとつを柾に差し出した。
「さっき気付いた。今日も飲んでたろ」
「分かってるでしょ、酔わなきゃ無理だって」
「……いつかシラフにも慣れるだろ」
「だと、いいけど」
悠太が腰を下ろしたソファの隣へ柾が並ぶと、肩口にそっと重みが寄り掛かる。柾としては上々の距離感だった。まだアルコールなしには難しいようでも、避けられるよりはずっといい。
ひと缶開けるまでゆったりと過ごしてからふたりは服を着直して、遅めの食事を摂った。食事の際にも悠太は酒を開け、ほろ酔うと共に砕け、終始相好を崩した。
距離感はずっと縮まったはずだ、と柾は思う。自分の中の価値観も一掃してこれでようやくスタートラインに立てたつもりだった。そしてそれは悠太にとってもそうであるはずだと信じて疑わなかった。
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