Episode13:LOTUS
関東外の出張は久し振りだった。同じ原稿を使い回すことが多い広告も、新商品や商品内容の変更に伴って新原稿を書き起こす。その素材集めにライターと撮影班を従えて向かう今度の出張は三泊四日、そのうち半日は接待を含んだ。
ライターを除いては男メンバーが並ぶ。それは、この福岡出張が酒と風俗に塗れる予兆を示した。
柾自身も酒や色に暇のない生き方をして来ただけに、それを大っぴらに咎めるようなつもりは毛頭ない。ただひとつ、悠太と付き合いを持ってからはそこに一定の躊躇いが生まれるようになったというだけだ。
(よりによって博多だ。中州へ行くなというほうが無理ってもんだ。連中をどう誤魔化して帰るかが問題だな。……なんならその足で直帰したいよ)
帰りの航空券の用意はない。基本的に仕事最優先のスケジュールはその遅延等を踏まえて余裕が組まれている。営業担当である柾は自分の仕事が終わりさえすれば後は任せて帰ることも視野に入れていた。
悠太からの連絡は控えめなもので、スタンプひとつや極短文で終わることが多い。『行って来る』という文言にもやはりスタンプのひとつが返るだけであるのを、寂しく思う気持ちは否めなかった。
営業として客先へ向かう柾は顔馴染みへ挨拶を済ませ、取材に立ち会った。その希望を取り入れつつ、効果的な構図を取り入れて写真を撮影するのを補佐する。
それを繰り返して四日の朝を迎えた。
予定では昼過ぎまでに最終確認を終えて戻るはずだった。昨晩、客先主催の飲み会の後にやはり同僚たち男メンバーは夜の街に繰り出した。柾は一件目こそ付き合ったものの、そこで大酒を食らう振りをして水割りでやり過ごし、千鳥足を演じて抜け出すことに成功した。
朝、全員が揃ったところでほくほくの笑顔と艶さえ感じさせる同僚に、やはりと息を吐く。
「芳野さんが来ないなんて珍しい夜もあったもんだよ」
「いい顔しやがって。俺がいなくても十分楽しんで来られただろ」
「コレのせいでしょ」
小指を振り立てる。その仕草は今どき古めかしいだろ、と言い掛けて柾はその言い訳が通るのならこれ以上ないと思い、煩そうにあしらって流した。
これで同僚の間では新しいオンナがいるらしいという噂が立つ。冷やかしを受けるのは上等だった。
「そういう訳だから、俺は一刻も早く帰りたいんだ。わかってるよな?」
ある意味では間違いじゃない。堂々と言い放ち、最終確認の場に臨んだ。
同僚たちは独身揃いの遊び盛りで、仕事を終えた後も真っ直ぐに帰る気配を見せなかった。柾はライターの女性同僚とふたり飛行機の手配を済ませて戻ることになった。言葉数も多くなく、ストイックさを表からも滲ませている彼女と空間を共にするのは元来であれば少し気揉みをする。それが、今はなぜかありがたいと柾は感じていた。
悠太からの連絡はこの出張中に一度もない。マメに連絡をしないのは柾とて同じであるため、それを気にするのは野暮なのかも知れなかった。
(でも、もう少しぐらい連絡があっても罰は当たらないと思うんだが。……そう思うならお前がしろってか)
土産の用意はしてあった。次の悠太の休みに持ち寄るつもりで生ものを避け、互いの嗜好を考慮すればそれは自ずと酒のアテになってしまう。その内容を伝えるだけでもすればよかったのかも知れないが、柾はその手間を怠った。取って付けたような理由が気恥ずかしかったからである。
紙袋を機内へ持ち込んだ柾は、座席頭上の荷物入れにそれを直しながら、ふと思い立つ。
「真木さん、オフィス戻った帰り飲みに行きませんか」
呼ばれた彼女は驚いたように柾を見上げる。
「馴染みの店があるんですよ、よかったら」
真木は当然のように何故自分なのか、と首を傾げていた。柾自身も、その思い立ちは口にしたところでとんだ行き当たりばったりの愚策だったと気付いては後に続く言葉も上手く出なかった。
「社内の人間口説くこともあるんですね、芳野さん」
「いやあ、さすがにそういうのを手近にやるのは……」
「冗談です。ちゃんと折半させてくれるならいいですよ」
「どうして?」
「お金を払って男らしさを主張されるのは嫌いなので」
淡々と話す真木に、なるほど、と相槌を打った。
彼女はミステリアスで、自分を語らないことから社内でも少し異色を放つ存在だった。興味がないわけではない。
先の接待の席でも真木が酒をどれほど飲んでいたのか記憶にない。酒癖が悪いということはまずないだろう。
柾は、これを足掛かりにひと目でも悠太の姿を見ようと考えていた。
(彼女とならそういい雰囲気になったりはしないだろうから、詮索されることがあっても問題はないだろ)
これが、女優顔負けと名高い女営業だった場合を想定すると事態の面倒くささは計り知れない。
無論、それは真木の容姿が優れないといった話ではない。黒髪のショートに寒冷色のパンツスーツが公私を混ぜることがない誠実さを表しており、色恋でその物腰が崩れるタイプではないことを普段から柾は知っていた。
男の同僚たちと打ち上げに行く時よりずっと心を落ち着けて店の様子を――悠太を見ていられるだろうというのも大きな理由だった。
行き当たりばったりの思い立ちではあったが、真木は気を悪くしたようには見えない。四角い小さな窓から滑走路を眺める横顔は、普段と変わらずに見えた。
オフィスでの残務を片付けた後の酒の席は予想通り仕事の話で時間が過ぎた。真木は酒を飲んでもその冷静さを欠くことがなく、帰り際も手際よくタクシーを拾ってひとり、帰路に就いた。
一方の柾は根底にあった悠太の姿をひと目見ることすら敵わずで、彼女を見送った後でひとり落胆の息を吐いた。
金曜の夜、繁盛の中を案内された席が店奥の半個室だったのは通常を思えば奇跡的だっただろうが、それが痛かった。厨房を見回すには視界がいかんせん悪い。それに加え、ドリンクの注文を取りに来たのが店長である城之崎であったのも拙かった。頭の端には城之崎と顔を合わせることがどういうことになるのかを考えていたはずだった。
本来の目的を果たせず一人気まずい思いをすることになった柾に、追い打ちを掛けるように着信が鳴る。
表示された「城之崎」の文字に、一拍の躊躇いの後応答する。
「勤務中じゃないのか」
「だから手短に伝えとこうと思って」
「……なんだよ」
真木のことを言い訳してみせるのは簡単だったが、柾はそれを諦めた。勤務中の相手への配慮と、己の過失を受け止めるべく。城之崎の声色が、予想通りワントーン低かったせいもある。
「悠太を煽るつもりなら止せよ。俺はあの子にイツキみたいな思いして欲しくないから。あんまりふざけたことするなら出禁にする」
イツキ。懐かしいその名前を耳にして、柾は眉を寄せる。それはいい記憶とは言い難い、自分のした愚行を思い出させる名前だった。
「軽率だったよ、悪かった。……だけど、イツキの名前をそこで出すのか」
「当然でしょ、アンタはどうせ女を捨てられないただの男なんだから」
(……無理もないか。俺だってそう思っていたんだから)
鋭く切り返す城之崎の言葉には、柾も返す言葉がない。
「レンちゃんと別れて一時寂しいだけでしょ。他に手軽に抱ける女さえいれば、すんなり女を選ぶはずよ。……ちょっとぐらい言い返そうとは思わないの?」
「言い返して、俺の言葉を城之崎が信じるならな。俺のことを学ばないやつだと思ってるんだろ、その言い方は」
手短になるはずの話は、長引きそうな気配を見せる。
柾は繁華街の隅にあるタバコ屋の前の喫煙スペースに足を運んだ。
「『女しか抱けない』なんてセリフ言った手前はね」
痛いところを突く。悠太からどこまでを聞いているのかを測ることは難しいが、柾もこれには言葉を返せず、スマホを耳に挟み置きながらジャケットから電子タバコを取り出すしかない。
「……聞きたいんだが、それじゃあ同性のソレってのはどうやって確固たる関係だって証明するんだ?」
「他人に証明するものじゃないでしょ」
「じゃあ結局、俺が本気で同性と付き合っていたってそれを証明するものはないってことだな」
城之崎が言い淀んだように思えた。
柾は静かに吸い口を吸って、水蒸気を吐き出す。九ヵ月前に別れた恋人のことと、イツキのことを思い出していた。
市井
大学の先輩後輩である城之崎と柾は、城之崎が立ち上げた野郎だらけのロードバイクサークルで出会い、現在に至るまで彼女を交えて長い付き合いが続いていた。
蓮は城之崎に柾との付き合いの中での愚痴を頻繁に零していたものの、その仲は不思議と順調に育まれていた。新入生ルーキー・笠木イツキが同サークルに入って来るまでは。イツキが入ってくる頃には城之崎のオープンな性嗜好を知って入って来るサークルメンバーが増えており、イツキ自身も隠さないゲイの一人だった。
城之崎をはじめとする先輩に可愛がられる愛嬌のあったイツキが柾に引っ付いて回るまでそう時間は掛からなかった。
その頃悪評から女子を捕まえることができずに持て余した柾が、ほんの出来心でイツキを揶揄ったのが運の尽き、いや、すべての悲劇の引き金になった。
城之崎の目の届かないところで火遊びは続き、一方的な性欲を満たしていた柾にはイツキを慮る心はなかった。
イツキが想いを寄せていることには当然気付いていたが彼女である蓮の存在を強調することで一線を張り、その上で相手の望みに応えてやっていることに己の寛大さすら感じていた始末だった。
イツキが歪んだ感情を持つのを誰が咎められただろうか。その矛先は当然のように蓮に向いた。彼女の家に転がり込む半同棲をしていた柾の後を付け、その場所を突き止めたイツキは、蓮が独りのところを狙って彼女に暴行を働いた。
当然のように警察沙汰になり、後から鉢合わせた柾がその場でイツキを警察に突き出すことになってしまった。
その後、イツキは姿を眩ませ程なくして退学したという情報だけが残ったのだった。以降、誰も彼のことを語る者はいなくなり、卒業までサークルは実質その活動を休止することにも繋がった。
憔悴し切った蓮を前に、柾はその存在を繋ぎ止めたい一心で肩甲骨の間に蓮の刺青を刻む。今にして思えば、あまりにも浅はかな懺悔の方法だった。
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