禁軍へ(其の五)

 岳賦がくふ黒蓉師こくようし孟焔もうえんの身柄を引き受ける旨を報告し、彼を迎えるに当たり、かつて鳳凱ほうがいが務めた兵法師範に類する役職を禁軍内に新たに設け、そこへ配置する予定であると告げた。


 黒蓉師こくようしも宮中に広まった孟焔もうえんの武勇伝には喫驚しており、孟焔もうえんがそれほどの力量の持ち主とは思いがけぬ様子であった。


 岳賦がくふ孟焔もうえんから辞退の申し出を受けたのは、国師からの任命書を手に孟雋もうしゅんの邸を訪ねた折のことであった。


 孟焔もうえんの禁軍入りを周知させ、禁足状態から解放するには、国師の任命書が必要不可欠であった。


 これを手にせず孟焔もうえんが勝手に岳賦がくふのもとへ出向けば、張魏ちょうぎをはじめ反孟焔もうえん一派に恰好の攻撃材料を与えることになる。


 禁軍大統領自ら足を運ぶというのは異例中の異例ではあったが、これも他に方法がないのであった。


 当然、任命書が渡される際は孟雋もうしゅんも同席していたので、孟焔もうえんが任官の辞退を言い出すや、岳賦がくふ以上に驚き、狼狽して孟焔もうえんをなじった。


「愚か者! 邸でこのまま朽ち果てるつもりか! せっかく岳賦がくふ殿が助け船を出してくださったというのに、何が気に入らぬ。えんよ、おまえは家門の長子たる身なのだぞ。何度父母を悲しませれば気が済むのだ!」


 岳賦がくふも驚く大音声で怒鳴りつけ、すぐさま前言撤回するよう迫ったが、孟焔もうえんは父の言葉に応えず、一心不乱に岳賦がくふを見つめている。


 縋るような切実な視線に、岳賦がくふは興奮する孟雋もうしゅんを宥め、孟焔もうえんに問うた。


「皇嵩から聞いておる。おぬし、耀輝ようきがあの折に手を抜いたと申したそうだな。それが理由か?」


「その通りです。しかも、耀輝ようき殿はそれを決してお認めになりませぬ。ゆえに、私にはあの方が信じられぬのです」


耀輝ようきは確かに手を抜いてはおらぬと申しておる。では、おぬしは耀輝ようきが嘘をついておると申すのだな」


「恐れながら……」と、孟焔もうえんは固い表情で肯いた。


「馬鹿を申すな!」


 孟雋もうしゅんが激しく頭を振って、


「あの仕合は、あきらかにおまえが優勢であった。その証拠に、耀輝ようき殿は防戦一方、おまえの攻めを躱すだけで精一杯だったではないか」


耀輝ようき殿は私の力量を測っていたのです。ゆえに、闘気のこもった反撃は一度もなかった。父上には見えていましたか? いや、皇嵩こうすう殿とて気づかなかったはず。あの方の受けは、まるで風に靡く葦のようでござった。私が内力を振り絞ったことに気づいたのでしょう。ゆえに、いずれバテると踏んだ。ところが結果はあの通り。いったい何が起きたのか……あれが耀輝ようき殿の全力とは到底思えぬのです」


 岳賦がくふは首を捻った。


 胸前で腕を組み、孟焔もうえんの言葉に耳を傾けていた。


 先日目にした耀輝ようきの様子からは嘘を言っているとは思えぬが、孟焔もうえんの態度にも偽りがあるようには見えなかった。


(果たして、嘘を言っているのはどちらなのか)


 いや、誤解があるだけで、どちらも本心なのやもしれぬ。


 こうなってしまうと、判断の材料は限られてくる。


 誤解の根は、何故耀輝ようきが突然無防備になったのか、その点にありそうであった。


 すでに、岳賦がくふ黒蓉師こくようし孟焔もうえんの禁軍入りを申請し、その際の役割までも明言した。


 それに対し、黒蓉師こくようしもまた自ら任命書をもって応えている。


 孟焔もうえんの辞退を受け容れるには、それなりに正当な理由が必要であった。


「おぬしの言いたいことはわかった」と、岳賦がくふは言った。「だが、ことはそう簡単ではない。俺の手にあるこの任命書は、俺の意思であり、同時に国師殿の意思でもある。二つながら拒絶すると申すなら、然るべき理由が必要だ。いまおぬしが述べた言葉だけでは、俺も国師殿も納得することはできぬ。おぬしがどう感じたにせよ、それを耀輝ようきが認めぬ以上、正当な理由とすることはできぬ」


「は……」


「だが、おぬしの言葉が事実なら、俺もまた耀輝ようきに裏切られたことになる。そう思いたくない気持ちはわかってもらえるであろう、孟焔もうえん殿」


「は。ですが……」


「ならば、答えは一つ」

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