禁軍へ(其の一)

「なんと! それはまことか?」


「はっ!」


 使者の報告に、丁玄ていげんは耳を疑った。


「馬鹿な。あの耀輝ようき殿が敗れたと申すか」


「はっ。この結果は主孟雋もうしゅんにも望外の歓びであったようで、私に急ぎ閣下への御報告を命じられました」


「それで」と、丁玄ていげんが身を乗り出して詰問する。「皇嵩こうすう殿は? 何か言づてがあるのではないか?」


「はい。耀輝ようき殿の内傷深く、しばらくは動けぬそうで。邸でしばし休ませた後、詳しく御報告申し上げるとのことにございました」


 丁玄ていげんは言葉が出なかった。


 思わず膝から崩れそうになるのを堪え、岳賦がくふを振り返った。


「……閣下」


 岳賦がくふも意表を衝かれたが、大勢の兵たちの手前もあり、丁玄ていげんのように表立って驚愕するわけにはいかなかった。


 内心の驚きを押し隠し、鷹揚に肯くと、急ぎ駆けつけた使者の労をねぎらった。


「そうか、耀輝ようきは敗れたか。孟焔もうえん殿も只者ではないと思うておったが、よもやそれほどの強者であったとは。俺の目も節穴であったわ」


 静かな口調でそう言って、


「御苦労であった。すまぬがさっそく立ち帰り、孟焔もうえん殿は然るべき待遇をもってお迎えすると孟雋もうしゅん殿に伝えてくれ。決して悪いようにはせぬゆえ、御安心くだされとな」


「はっ!」


「それと、俺自身が立ち会わなんだ無礼をお許し願いたいと」


「はっ、その御言葉を聞けば、主も大層喜ぶと存じます。では、さっそく立ち帰り、そのようにお伝え致します」


 包拳する使者の肩に手を置き、岳賦がくふは言った。


「よい主に仕えておるな。励めよ」


「身に余る御言葉。恐縮至極にございます」


 岳賦がくふの言づてをもって使者が立ち去ると、ようやく正気に帰ったらしい丁玄ていげんが傍らで大きく溜息をついた。


 岳賦がくふは苦笑交じりに、


「どうした、そんなに驚いたか」


「いや、閣下でも将の力量を測り違えることがあるのだな、と。安堵の溜息です」


「あたりまえだ、誰にでも間違いはある。この結果は予想外ではあったが、決して悲観することではない。国の行く末を思えば、頼れる味方は多いほうがよい」


「国の行く末? それはどういう……?」


 不思議そうな表情で訊ねた丁玄ていげんに、岳賦がくふは饒舌になりすぎた自身を戒めるように、


「なに、独り言ゆえ気にするな」


「はあ」


 と、丁玄ていげんはいよいよ不審げな表情をした。


 孟雋もうしゅんの邸に一泊した皇嵩こうすうが、いまだ内傷癒えぬ耀輝ようきを連れ岳賦がくふの執務室へ現れたのは、翌朝のもう昼近くになってからであった。


 使者の報告では当分動けぬとのことゆえ、岳賦がくふは無理せず休むよう伝えたのだが、耀輝ようきは通常勤務に戻りたい旨を申し出ていた。


皇嵩こうすうの言によれば、非常な痛手を被ったというではないか。まさか一晩休んだだけで通常勤務に戻ろうとはな。さすがは耀輝ようき、俺が招いた将だけのことはある」


 耀輝ようきはすっかり恐縮した様子で、


「閣下にはさぞや失望されたことでしょう。期待を裏切ってしまい、合わせる顔もござらぬ」


 失望させるな、と告げた言葉を気にしているらしい耀輝ようきに、岳賦がくふは声を上げて笑った。


「すまぬな耀輝ようき、あれはおぬしをやる気にさせるため焚きつけたのだ。勝敗は時の運、昨日は孟焔もうえんがおぬしより強かっただけのこと。おぬしが弱いのではない。俺にとっては、新たに優れた将を迎えることができ、むしろありがたいといえよう」


 岳賦がくふ皇嵩こうすうへ視線を移して訊ねた。


「で、立会人から観てどのような感想をもった? 耀輝ようきはいかにして倒されたのだ」


「はあ」と、皇嵩こうすうは歯切れが悪い。「それが、お二方の動きがあまりにも速く、私には何が起きたのか見えませなんだ」


「なんだと?」


「まこと申し訳ござらぬが、気がついた時には、耀輝ようき殿が武舞台から叩き落とされ、私も孟雋もうしゅん殿も呆気にとられていた次第……」


「では、何もわからぬと申すのだな」


「はっ、面目次第もござりませぬ」

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