腕試し(其の八)

 どうやら、後頭部への一撃で脳震盪を起こしたらしい。


 皇嵩こうすうは背後で心配そうに見下ろしている孟焔もうえん孟雋もうしゅんを振り返り、


「よかった、大丈夫なようだ」


「しかし、あの一撃を食らって脳震盪だけとは、さすがは禁軍総大将殿。鍛え方が違う」


 孟雋もうしゅんが驚嘆したように言い、隣の孟焔もうえんへ、


「のうえんよ、そうであろうが」


 孟焔もうえんはなお納得できぬ様子で、不承不承に肯いている。


 確かに孟焔もうえんにとってありがたい結果には違いない。


 だが、あの時、耀輝ようきはなぜか一瞬何かに気をとられて集中を切らし、動きが緩慢になった。


 そこへ、渾身の一撃が偶々入ったにすぎぬ。


 ――俺にはわかる!


 と、孟焔もうえんはまた唇を噛んだ。


 あの白熱した緊張の刹那に、彼は何に気をとられたのか。


 あの油断さえなければ、勝負はまだ続いていたはずであった。


 孟焔もうえんは朦朧とした状態からようやく我に返ったらしい耀輝ようきに、重い口調で問うた。


耀輝ようき殿、あれは何なのだ?」


「あれ……とは? 何のことだ?」


 支えていた皇嵩こうすうの腕を外し、よろめきながら立ち上がった耀輝ようきが、大儀そうに問い返した。


「そうキツい声を出さんでくれ。頭に響く」


「俺の最後の一撃、あなたなら躱せたはず。なぜ避けなかった?」


「避けなかったのではない。避けられなかったのだ」


 孟焔もうえん耀輝ようきの言葉に、いよいよ逆上したようになって、


「嘘だ!」と、声を張った。


 耀輝ようきは大袈裟に耳を塞ぐ仕種で、


「だから言うておるであろう、そう大声を出さんでくれ。まだ衝撃が残っているのだ」


「納得できぬ」と、孟焔もうえんは言葉を継いで、皇嵩こうすう孟雋もうしゅんへ交互に視線を投げてから、また耀輝ようきを問い詰めた。「観ていたお二人にはわからぬやもしれぬが、俺にはわかる。あなたはあの時、一瞬だが気を抜いた。闘いの場で、あのように手加減されたのでは納得できるはずがあるまい。俺を哀れんだつもりか」


「これえんよ。禁軍総大将殿に向かってその言い草は何じゃ」


 孟雋もうしゅんが厳しい口調で窘めると、それを制して前へ出た耀輝ようきが、心外そうに応じた。


「哀れむだと? あんたは人に哀れまれるような身の上なのか? 手加減などせぬ、この結果がすべてだ。あんたが俺より強かった、ただそれだけのこと。あんたの強靱な肉体と圧倒的な内力は、常人のそれではない。禁軍の訓練でもおそらく身につかぬであろう。あれをどこで身につけたのか、俺のほうが知りたいくらいだ」


 耀輝ようきは一息に言うと、横で支えてくれている皇嵩こうすうへ、


「すまぬが、俺は見てのとおりしばらく動けぬ。一足先に閣下へ報せてもらえぬか」


「そんなに応えたか、孟焔もうえん殿の一撃は」


「さすがは閣下、俺もこれほどとは思わなかった。よくぞ見出したものよ」


 皇嵩こうすうは肯き、


「あの方の武人を見る目は大したものだ。しかし、今後のこともあり、孟焔もうえん殿と詰めておかねばならぬことは多い。御自ら立ち会わぬが悪いのだ。閣下も少しは気を揉んだがよかろう」


「ならば、代わりに邸の者を遣わしてくれ」と、孟雋もうしゅんが身を乗り出して告げた。「倅の一大事ゆえなあ。吉報を届けるのは早いほうがよい」


「だが、孟焔もうえん殿は御自身の勝利に納得できぬようですぞ」と、皇嵩こうすうは苦笑して、「だが、結果は報告せねばならぬ。なんなら日を改めて再戦でもしますかな」


 冗談とも本気ともつかぬ口調で皇嵩こうすうが提案すると、耀輝ようきは億劫そうに、


「御免被る。孟焔もうえん殿が納得する頃には俺は満身創痍だ。そんなに闘いたいなら閣下に挑め。あんたなら万が一もあるやもしれぬぞ」


 耀輝ようきの言葉は孟焔もうえんの胸を抉った。


 ――こんなものか。


 と、孟焔もうえんは半ば失望を禁じ得なかった。


 あの時、この男は確かに集中を欠いていた。


 あんな負け方をして何も感じぬのか。


 言うにことかいて岳賦がくふ殿に挑めなどと、よくぞ吹いたものだ。名将にあるまじき無様な敗北をこうもたやすく受け容れるとは、こやつに武人の誇りはないのか。これがあの岳賦がくふ殿とともに禁軍を束ねる総大将なのか。


 孟焔もうえんにはおよそ信じられなかった。


 というのも、あの地獄の森で、孟焔もうえんは蛮龍の猛威から武器を持たぬ鳳凱ほうがいによって救われ、九死に一生を得ている。


 超級魔獣最強の龍族、蛮龍を素手で倒したという光武将軍鳳凱ほうがい


 残念ながら失神していてその瞬間を目にすることはできなかったが、雪舞せつぶによれば、一撃で巨大な龍の土手っ腹に風穴を開けたという。


 鳳凱ほうがいはそれほどの猛者なのであった。


 そして、禁軍大統領の岳賦がくふは、かつてその鳳凱ほうがいと互角以上に闘った武人であり、孟焔もうえんごときが挑める相手ではなかった。


 総大将の耀輝ようきは、その岳賦がくふが唯一認める部下だと聞く。それがこのような結果になろうとは。


 もしや岳賦がくふ殿の差し金か? 俺を禁軍へ入れるため、わざと負けるよう命じたのか。いや、そもそもこれも国師殿の思惑なのか。俺が敗れぬよう裏から手を回したのでは?


 様々の思考が飛び交い、孟焔もうえんの胸中は千々に乱れた。


 何か巨大な渦に取り込まれようとしている気がしてならぬ。


 孟雋もうしゅんは倅の心中を知る由もなく、むしろ浮かれた様子で邸の者の中から特に気が利く脚の早い者を選び、使者として岳賦がくふのもとへ遣わしたのであった。

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