神護院の対決

 ――ひつじつ。


 約束の刻限になっても、人の現れる気配はなかった。


 神護院じんごいんの境内は荒れ放題で、御神体はから、それを守護し奉る一対の石像も頭部が打ち落とされ、原形を留めていなかった。


 寺がいつ廃寺となったか、耀輝ようきには知る由もなかったが、荒れ方からみるに、そう旧い話でもなさそうであった。


 本堂の大穴や、破れた屋根。


 地べたに転がった石像の頭など、どれも人為的な痕跡であった。


 天狼てんろう街の剣呑な空気や、荒んだ民の姿をみれば、信心など無縁なのはあきらかで、そんなものに金を注ぎ込むなら、自分たちに寄越せというのが本音であったろう。


 そうした神仏への憎悪が民の胸に吹き溜り、捌け口を求めて破壊に走ったのであろうと、耀輝ようきは思った。


 つらつら考えながら、境内の周囲を散策していると、いつからいたのか、本堂の陰から二人の武藝者らしき男が現れた。


 二人とも着衣は粗末なもので、差料も質で調達したかと見まごうほどに貧相であったが、そうした外見とは裏腹に、なかなかの内力を秘めているようであった。


 一人は筋骨逞しい偉丈夫、いま一人は、均整のとれた中肉中背のまるで凄味を感じさせぬ武藝者であった。


 膂力は外見で判断できるが、内力は見た目通りとは限らぬ。


 耀輝ようきに感じ取れる二人の内力に差異はなかったが、直観的に、華奢な武藝者は敢えて実力を伏せているように思われた。


 巨体の武藝者がゆっくりと進み出で、耀輝ようきに声をかけた。


「あんたが剣山道場の耀輝ようき殿か」


 見知らぬ男に問われ、耀輝ようきは怪訝そうに眉をひそめた。


「誰かは知らぬが、俺の待ち人はおまえではない。失せろ」


「そうもいかぬ」と、偉丈夫は言った。「われらが主に斬りかかった償いはしてもらう」


(……なるほど、そういうことか)


 耀輝ようきは境内に響き渡る大音声で、


「いるのであろう? 勿体をつけるのもいい加減にしろ! 斬りかかったことはすでに詫びた。これ以上愚弄する気なら、帰らせてもらう」


 すると、やはり境内に響き渡る姿なき大音声が、何処からともなく答えるのであった。


「帰りたければ帰れ。そして、また己の実力を隠しながら、無為なる人生を送るがよい。俺はいっこう構わんぞ」


「なんだと?」


「おぬしの師範が、まことおぬしより強いのなら、俺に斬りかかりはしなかったであろう。あの時、おぬしは己を誤魔化しきれなかったのだ」


 それは、確かにあの武人の声であった。


 その言葉は、人に優れるがゆえに満たされることのない耀輝ようきの心の空洞へ、津々と沁み入るのであった。


 武人は、耀輝ようきの最も痛いところを突いてきた。


 自分より遙かに劣る者の下で、己を偽りながら生き続けねばならぬことに、耀輝ようきは確かに飽いていた。


 だが、全能者たる耀輝ようきは、いかなる方面であれ、自身より優れた存在などほぼ皆無なのを知っていたし、ひとたび能力を発揮すれば、いたずらに醜悪な者ばかりを周囲に集めてしまうことになるのも、経験から理解していた。


 かの武人こそが、全力で立ち向かうにたる稀有な者であると感じたればこそ、わざわざ天狼てんろう街の廃寺まで出向いてきたのである。


 その男の正体を知るためなら、


(多少の座興には付き合ってやるか)と、耀輝ようきは思い直した。


「よかろう。それで償いとは? 俺にどうせよというのだ?」


 まずは偉丈夫の武藝者が踏み出して、


「わが主の名を知るに値する者かどうか、確かめさせてもらう」


「――存分に」と、耀輝ようきは剣を抜いた。


 しかし、武藝者は剣に手をかけようとしない。


「抜かぬのか?」と、耀輝ようきが訊ねると、武藝者は不敵に笑い、


「剣は不得手なのだ」と、答えた。


「では、何が得意だ?」


「これだ」


 武藝者は拳を固め、力瘤をつくってみせた。


「拳か」と、耀輝ようきは肯き、剣を鞘へ戻した。「よかろう。ならば、俺も拳で相手をしてやろう」


 偉丈夫の武藝者と耀輝ようきは、境内の前で向き合い、互いに構えをとった。


 頭のない二体の石像と、もう一人の武藝者が見守る中、睨み合った二人から抑えきれぬ闘気が溢れ出て、それぞれの身体を包んでいった。


 強い闘気は周囲に触手を伸ばすかの如く広がり、ぶつかりかけたその一瞬、二人の格闘者は、弾けるように間合いをつめた。


 目にも止まらぬ速さで次々と拳が繰り出され、一方が打ち込めば一方は的確にいなし、反撃されるとまた素早く躱した。


 有効打のないまま、技は惜しげもなく披露され、思いがけぬ手応えに、耀輝ようきは技の応酬を楽しむかのようであった。


「おまえ、思ったよりやるな!」


 耀輝ようきが声をかけたものの、武藝者には余裕がなくなりつつあるようであった。


 調子づいた耀輝ようきの速度が跳ね上がると、ついに躱しきれなくなった武藝者の脇腹に、強烈な蹴りが入った。


 本気に近い蹴りであったため、肋骨がいくつかへし折られたらしく、武藝者はもんどりうって地べたへ転がった。


「い、ち、ち、ち……!」


 苦痛に顔を歪めた武藝者が、脇腹を抑えて立ち上がると、痛みを堪えて包拳した。


「お見事、俺の負けだ。おまえを認めよう」


「思いのほか潔いな」


「だが、もう一人は俺より強いぞ」


「そうか。楽しみだ」


 武藝者は石像の横に立ち、二人の闘いを見守っていたもう一人に歩み寄り、


「見ての通り俺は負けた。後はおまえ次第だ、頼むぞ」


 中肉中背の武藝者は、困ったように人差し指で鼻の横を擦りながら、


「あやつの技は、なお奥が深そうだ。まあ、せいぜい引っ張り出せるよう頑張るさ」


 大柄の武藝者は、相方の肩を軽く叩いて送り出した。


 その息の合った様子をみた耀輝ようきは、


(あの武人の弟子たちなのか?……いや、主と言っていたな)

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