辻斬り

「何をそのように殺気立っている」と、武人は振り返らず言った。「俺は、おぬしに恨まれる覚えはないぞ」


「俺もおまえに恨みはない。悪いが、腕を試させてもらう」


「腕試しは結構だが」と、武人は振り返った。「辻斬りはいただけぬな」


「――問答無用!」


 耀輝ようきが素早く間合いをつめると、武人も同じ速さで間合いをとる。


(思ったとおりだ。俺の速さについてくる!)


 天才を自負する耀輝ようきには、初めてのことであった。


 魔族はしらず、これまでその神速の抜剣を躱した者は一人もいない。


 耀輝ようきの間合いからひらりと抜け出た武人が、笑いながら右手をかざし、


「――待て、待て、待て!」と、制止にかかる。「わかったから、辻斬りはよせ。腕が泣くぞ」


「構わぬ。ようやく本気で闘えそうなやつを見つけたのだ。この機会を逃してたまるか!」


 その言葉に何を感じたか、武人の足が止まった。


 耀輝ようきの常人ばなれした高速の打ち込みをことごとく躱し、武人は抜くこともなく、素手で迎え撃った。


 耀輝ようきの眸が怒りに燃えた。


「舐めるなっ!」と、耀輝ようきの速度がさらに上がった。


 ところが、武人は耀輝ようきが剣速を上げると、その都度しっかり対応してくる。


 ――どうした、そんなものか?


 と、力の違いを見せつけるかのようであった。


 素手の相手に翻弄され、耀輝ようきはいつになく昂ぶった。


 そのためか、動きが大味になり、隙が生まれた。


 冷静に相手の剣を見切ったその武人は、サッと耀輝ようきの後ろをとり、素早く点穴を施した。


「なにっ!」


 動きを封じられた耀輝ようきの顔が、屈辱に歪んだ。


 しかし、相手のほうが役者が上だということは、認めざるを得ぬようであった。


「参った、俺の負けだ」と、耀輝ようきが観念したように言った。「点穴を解いてくれ」


 そして、動けるようになると、すっかり兜を脱いで包拳し、


「いや、恐れ入った。敗け知らずの俺を、ここまで子供扱いとは」


 武人は微笑み混じりに首を振って、


「……でもない」と、上衣の袖口を摘まんでみせた。


 見ると、鋭く切り裂かれている部分が数ヶ所あった。


 武人の動きは、まるで風を捕らえる如くに感じられたが、掠り傷程度は与えていたらしい。


 武人は斬られた箇所に触れながら、


「うまく避けたつもりであったが、剣気を躱しきれなかった。なかなかどうして大したものだ」


 ――やはり、相当に名のある武人らしい。


 耀輝ようきはいきなり斬りかかった自身の無礼に思い至り、恐縮しきりであったが、


「辻斬りのような真似をいたし、大変失礼仕った。それがし昊天大路こうてんおおじの剣山道場にて師範代を務める耀輝ようきと申す者。よろしければ、貴殿の御尊名を伺いたい」


昊天大路こうてんおおじの剣山道場……師範代だと?」


「はい」と、耀輝ようきは答えたが、武人は不思議そうな顔で、


「師範代ということは、当然師範がおるのであろうな」


 耀輝ようきは肯いた。


「その師範は、おぬしより腕が立つであろう?」


「もちろんです」


 耀輝ようきが答えると、武人は納得したように肯いて、


「俺の名を知りたければ、明後日のひつじつ、天狼街てんろうがいの外れ、神護院じんごいんの境内へ参るがよい」


 それだけ言い残すと、耀輝ようきの返答も待たず、さっさと歩き去ってしまった。


 耀輝ようきは大きな背中が遠ざかるのを見送りながら、


(ずいぶんと勿体をつけるのだな)と、苦笑したが、それでも、あの武人の正体を知りたい気持ちに変わりはなかった。


 耀輝ようきの本気の剣を、ああまで虚仮にした者はいまだかつてない。


 どうあっても突き止めずにはいられなかった。


 天狼街てんろうがいは都の北西に広がるいわゆる貧民街で、治安は最悪、犯罪者が跋扈する吹き溜まりの如き無法地帯であり、神護院じんごいんはその北端に位置する廃寺であった。


 あの武人の上等な身なりとはまるでそぐわぬ場所であったが、耀輝ようきは必ずや出向かずにいられぬ自分を知っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る