魔神誕生

 時に、報賞のために国を売る支配者まで現われ、その本末転倒が他国の笑い種になったりもしたが、当事者にとっては笑い事などでは決してなく、燕滅崖えんめつがいを味方にできるか否かで死命を制される現実が厳然としてあったため、我が身を守るのに国まがいの組織を手放すことなど、至極当然の判断なのであった。

 

 燕滅崖えんめつがいは常人にはない奇妙さを時折覗かせたが、象徴的なのが、その無欲さであったという。

 

 いかに莫大な報賞を積まれてもそれで動くことはなく、決まって弱者の側について強国と戦った。


 幾度かの戦争を経て、助けた小国が領土を拡げると、忽然と姿を消し、今度は他の小国の側へ寝返って、かつて救った者たちを平然と殺戮するのである。

 

 はじめはその心意気に打たれ、天晴れ武人の鑑と褒めそやす者もあったそうだが、同じことが幾度も繰り返されると、味方を次々に裏切る性根が非常に卑しく禍々しい印象を与え、彼の行動は、やはり、常人には理解し難いものとして映じてゆくのであった。

 

 費亥ひい燕滅崖えんめつがいのこうした点をさして、史書の中で一種の遊戯であると断じているが、確かにそうとしか思われぬ節があった。

 

 後年武将の衣を脱ぎ捨て、恐るべき本性を顕わして人族を絶滅寸前まで追いやったのも、そのためであろうと推測される。

 

 人族の殺し合いに乗じて殺戮を楽しむことが、遊戯であったからこそ、つまりはしまったのであろう。

 

 ある日、突然いっさいの消息を絶ち、その後しばらくは、大陸全土のいかなる戦場にも姿を現わさなかった。

 

 圧倒的な武力を誇る燕滅崖えんめつがいの退場により、大陸を覆う戦の炎も少しは鎮まるかと思いきや、さにあらず、かえって人族同士の殺し合いは激化した。

 

 敵に回せば確実に命がない燕滅崖えんめつがいという枷が外れたため、彼の登場以前にも増して、各地で領土を巡る戦争が頻繁に勃発し、徒に多くの人命が失われていった。


 しかし、そのことを悼んだり悲しんだりする者はなかった。


 当時の人々にとって、土地を守り拡大することが、それほどに生存の大前提となっていたのだ、と費亥ひいは述べている。


 燕滅崖えんめつがいが再び人族の前に現われたのは、およそ七十年の後であった。


 彼は、以前と違い、自前の軍団を引き連れていた。


 それも数百、数千の数ではなく、何十万とも映る視界を埋め尽くすが如き大軍で、砦の櫓から初めてこれを見た兵らは、衝撃のあまり昏倒し、その場でみな息絶えたという。


 それもそのはず、燕滅崖えんめつがいの軍勢は、人族のような武器を持たぬ代わりに、鋭利な爪や牙を持つ全身武器のような人外の集まりで、人族から見ればもはや軍隊ではなく、化物の群れであった。


 燕滅崖えんめつがいがいかにして魔獣を生み出し、支配下に置いて軍を編成したのか確かなことはわかっていない。


 魔獣が無から生成されたものか、既に大陸に棲息していた生物を独自の手法で造り変えたものなのかも不明であった。


 この点については費亥ひいも言及しておらず、残存する資料もない。


 同族同士で殺し合い、領土を奪い合って豊かさの指標としてきた人族にとって、これは由々しき大事であった。


 互いの武力が拮抗してこそ、獲ったり獲られたりが可能になるわけで、燕滅崖えんめつがい率いる魔族の軍団は、どだい力が違った。


 誰の部下か、どこの軍かに関わりなく、一方的な虐殺によって山野は人族の骸に埋め尽くされ、流血が大河となって巌を砕き、大地をどす黒い紅に染め上げた。


 人族同士なら、時に講和も成立したであろうが、そもそも殺戮が目的の魔族には、そのような概念すらない。


 深い絶望の淵に立たされながら、人族は空しい抵抗を続けた。


 幸か不幸か、同族同士の殺し合いが日常と化していた人族は、いかなる事態に立ち至ろうと、座して滅亡を受け容れるような種族ではなかった。


 領土を奪われ、大半の兵力を失って、日々の糧すらままならなくなっても、生き延びるためには徹底して足掻あがき続けた。


 燕滅崖えんめつがいには、その無駄な足掻あがきを見物することも、適当な退屈しのぎであったろうといわれている。


 人族は、その凄まじい暴力と、残虐非道な性質に対し、畏怖と嫌悪の情を込め、いつしか、彼をえん姓で呼び慣わすようになった。


 すなわち、魔神怨滅崖えんめつがいの誕生である。


 ただし、燕滅崖えんめつがいえん姓で呼ばれはじめた当初は、まだ魔神という概念は存在していなかった。

 

 そのように、「防魔戦役史」は伝えている。

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