第2話 最悪の出逢い

 頭が痛い。

 硬い感触を感じながら桜花はゆっくりと目を開けた。そこが知らない床だと認識した途端、桜花の意識は完全に覚醒する。

 頭の痛みに顔を顰めた桜花は自身の体の異変に気づき、視線を彷徨わせると布のようなもので手足が縛られていた。

 縄や枷じゃないんだ、とよくわからない感想を抱く程度には現実逃避をした桜花だが、このような扱いを受ける理由が思い浮かばず途方に暮れる。


(考えられるのはあのUSBだけど……ていうか昨日の今日だとそれしかないよね。口も塞がれているし、どうしたものか……)


 ひとまず動ける範囲で体を起こす。ラグ一枚敷かれただけの床に転がされているため、起き上がるのは比較的簡単だが体が痛い。

 見渡す限りかなり特殊な室内だった。窓は高いところに一箇所だけで家具はシンプルな机と椅子、それから簡素なベッドのみ。

 必要最低限の生活を維持する程度の部屋、という印象だ。

 なにに使うんだ、と思わず首を傾げてしまった桜花だが、逆にここは必要最低限の扱いで充分だという人が生活する場所という見方もできる。


(隔離もしくは保護の用途かなこの部屋は)


 もっとも保護であればこのような場所よりもセキュリティがしっかりした部屋に置くだろう。そもそも縛ったりは絶対にしない。

 間違ってもこの状況は保護ではない。よって桜花が出した結論はひとつだ。


(私……監禁されたってこと?)


 普通の人間ならここで恐怖したり不安になったりするものだろうが、今桜花が考えていることはひとつ。


(どうやって脱出してやろうかな?)


 ということだ。全く可愛げがない。

 桜花はこれまで不幸を嘆いたことはない。そんな暇があるなら少しでも笑っていられる方法を考える。それが星宮桜花という人間だ。

 だが、何事もうまく行くはずはなく。


(さて、動くにはこの布をどうにかしないとだけど……)


 桜花は自分の腕を縛っている布を目で追うと、ベッドの脚にしっかり結び付けられていた。机の角までいって切れるまで擦り付けることはできるだろうが、圧倒的に時間がかかる。他の方法を試そうにもペンの一本も見当たらない状況では何かできようはずのない。


(仕方ない。ここはセオリー通りにやりますか。なんかあれこれ考える時間が勿体無いわ)

 

 不本意ながら体を転がし、一番丈夫かつ下手に動く心配のない机の角に布を当てて体を動かす。ベッドでもよかったがなるべく切りやすくしたかったのだ。多少でも距離があれば布は張り、時間が短縮される可能性がある。

 

 そうして何度か体を動かし、布が少しばかりほつれてきた時、ノックもなく扉が開き二人の人物が入ってきた。

 誘拐犯が来たのかと顔を上げた桜花は自分を見下ろす人物たちを見て目を見開く。


(なんで……)


 夜闇を溶かしたような漆黒の髪と濃い青色の瞳の男と、同じ漆黒の髪を束ねた灰色の瞳の男。

 どちらも世の女性が揃って頬を染めてしまうほど整った顔立ちをしている、が。そんな女性的反応をすっ飛ばし、桜花は目の前の人物たちの正体に唖然となっていた。なんでこんな質素な場所に来てやがるんだ、と。

 桜花の一番近くにいる短髪の男の名前は朱雀百夜すざくびゃくや。日本のみならず世界各地でリゾート、ホテル、カジノなどの事業を手掛ける朱雀財閥の御曹司だ。

 もう一人朱雀百夜の背後に控える男は久遠静くおんせい。数多の銀行を抱える日本金融界の王と呼ばれる久遠グループの第二子息であり、百夜の秘書兼護衛を務めている。

 どちらもメディアを賑わす大物で、その手の情報に興味がない桜花でさえも知っている程有名人だ。

 そんな人物が目の前で自分を見下ろしているという状況に桜花は頭が追いつかない。

 部屋に入ってきた百夜は桜花の状況を見るなり顔を顰めた。


「おい、まさか拘束を解いて逃げようとしていたのか? この女は」

「そのようですね。随分と元気のいい」

「全くだ。これはますます奴らの仲間である可能性が高まったな」

「では、尋問をしますか?」


 まるで桜花など存在していないかのように平然と会話をする男二人の姿に静かな怒りを募らせる桜花は、無駄を覚悟で二人を睨んだ。

 しかし百夜と静の表情は崩れず、百夜はゆっくりと歩き出し桜花の前でしゃがみ込んだ。


「尋問するのにこれは邪魔だな」


 そう言ってやや乱暴に桜花の猿轡を外す。ようやくまともに息ができるようになった桜花は、何度か荒い呼吸を繰り返し百夜を見据えた。


「へえ? 口の拘束が解けた者は大抵、自分の状況も弁えず文句を言うか質問をしてくるものだが……お前は馬鹿じゃないみたいだな。そのまま質問にも従順に答えてくれるんならいいんだが」

 

 感情のない声で言った百夜はチラッと静に視線を向けると静は心得たとばかりに頷き、徐にタブレットを取り出した。


「星宮桜花。生年月日7月10日年齢20歳。聖陵大学文学部所属。父母共に海外で仕事をしていたが去年の夏に母親が事故で他界。現在はマンションの一室にて一人暮らし。手作りの雑貨をネット販売と書店でアルバイトでお金を稼ぐ。ただし雑貨類の売上は友人と折半」

「合っているか?」


(なにをさも当然のようにバラしているんだ人の個人情報を!)


 朱雀財閥の力ならこの程度造作もないだろうが、実際に個人情報を漁られたことに桜花は心底怒りを覚えた。

 無表情のままに言葉を発しながら桜花の顎を掴み強引に上を向かせる百夜の長い指が、桜花の口に当たる。

 そして――。


「――っ!」

「百夜様!」


 桜花は百夜の指に思い切り噛みついた。反射的に桜花から距離を取った百夜の指にはうっすらと血が滲んでいる。

 噛みつかれた百夜は傷口に視線を向けた後、滲んだ血を舐め取り、桜花を見下ろす。


「やはり馬鹿だったか。 ……まあいい。ひとまず情報のすり合わせは今の反応で確認できた。星宮桜花、無傷で帰りたいなら俺の質問には素直に答えろ。俺は気が長い方じゃない。大人しく従った方が得だぞ」


 そう言いながら百夜はスーツのポケットに手を入れ何かを取り出し桜花に見せる。

 それは桜花が昨日拾ったUSBメモリーだった。


「昨日の夜、お前はこれを拾ったな?」

「……」

「沈黙は肯定とみなすが、無理矢理口を開かされる前に自分から話せ」

「……確かに拾ったけど、それがなに」


 ものすごく不機嫌な声で、それでも素直に話し始めた桜花に百夜は質問を続ける。


「その時、何か見たか?」

「……知らない。ただヤクザっぽい人たちがなにか争っていたっていう程度の情報しかない」

「……ではなんでこれを拾った?」

「足元に転がっていたから」

「……ほう?」

「帰ろうとしたら足に何かが当たって、見たらそれがUSBだった」

「その争っていたとか言うヤクザどもから受け取ったわけではないのか?」

「そんな真似するわけない」

「なぜUSBを持ち帰った?」

「……別に。ただ、放置しておくのは気が引けただけ。落とし物なら警察に届けた方がいいでしょ」


 桜花の言葉で百夜と静の眼差しが鋭さを帯びる。


「……これを警察に持っていこうとしていたのか?」

「文句ある?」


 ますます鋭利な眼差しになった二人を桜花は困惑しながら見ていた。百夜の口ぶりは届けたらいけないと言っているようで、桜花は首を傾げる。


「お前、これの中身は見たか?」

「……人のものだってわかっているものを勝手に開けるなんて真似するわけない」

「じゃあ中身は知らねえって言うのか?」

「だからそう言っているんだけど」


 桜花の答えを聞いた百夜は静と一瞬視線を交わし、再び桜花に向き直る。

 そして、衝撃の一言を口にした。


「これの中身は違法売買の商品詳細と顧客情報だ」

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