はなあさぎ

Mr.自己憐憫

はじまり

 「ねぇねぇ高いドーナツと安いドーナツ並べてさぁ、真中の穴の価値に違いってあるかなぁ?あ、ほらさ、高いドーナツから覗いたほうが空きれいに見えるじゃん?」

何が「じゃん?」なんだろうか。アホみたいに青く澄み切った空と目が痛くなるようなコントラストの大げさな雲が、このうだるような夏の暑さを一層腹立たしいものにした。

あなたはそんな恨みすら覚えそうな空を覗きながら、意味不明な質問を私に投げかける。アイスを買ってきてくれればほんの少しだけでも夏を許せたのに。私は長めのため息をついて聞き流して、幼いころこのクソ腹立たしい間抜けな空はどんな色に見えていただろうかと、バテた頭でふと考えた。

       

 多分小学2年生くらいの頃、祖母に国語辞書を貰った。それが自分の周囲数メートルだけしか分からなかった私が得た最初のマクロな世界だった。何かを見てきれいとか思ったとき、あるいは悲しさだとか不安なんかを感じたときに、その例えようのない歪な形をどうしても言い表して納得したくて、辞書に得た知識でなにか言葉を当てはめたいと思った。ふと見上げた積乱雲の形を、常に流れ移ろうそのカラフルで美しいなんとも言えなさを、なんとか言い表せるような、そんな言葉の羅列が欲しかった。


言葉というものは作者不明の作品群で、辞書は手のひらの美術館だと思った。でも輝く言葉たちがどんな色でどんな形をしているか、どんな触り心地なのか書いてある辞書は誰に聞いても出てこなくて、それがとても悲しくて祖母に泣きながら詰め寄ったのを覚えている。


 私は良くも悪くも純粋だった。純粋と言うといい響きだけれど、井の中の蛙だとか無知で傲慢だとか自己憐憫だとか言えば、大体それが幼い私のすべてだった。


 思春期というのは一生消えない傷を多く残していくもので、向けようのない苛立ちと焦りのような若い攻撃性は私の想像力をひどく萎縮させてしまった。


心の形にシワが寄ったってヒビができたって気づかないふりをして、ありきたりな言葉を無理に押し込んで自分自身を説得してなんとか自分を保っていることに気づいてしまった日、それが思春期だとやっと気づいたし、まるで夏の真っ盛りに青空に浮かぶ美しい積乱雲が突然覆いかぶさってきて豪雨を降らせるあの現象のようにひどく私は傷付いて、つまらない大人になってしまったと嘆いた。どこかで自分は他とは違う存在だと、きっとずっと前から私は信じたがってきた。

思い返せば、羞恥心すら持たなかったころの私の心と言葉が、うまくはまったことなんてきっと一度たりとも無かった。自分が腐敗したり変化したのではなく、大人になって腐敗を理解するに至ってしまったのだ。ものすごく大袈裟に言えば禁断の果実を食べて恥じらいを知った、その果実が私にとっては思春期だった。

 きっといつだってそうだけれど、あとから考えれば気づくのが遅すぎたってやつだ。


答えがないことだって分かってて、

救いがないことだって分かってて、

結局全ては自分の考え方次第だってことも分かってて、

それでも自分に相手に他人に世界に期待してしまう弱さを抱えて、気づけば私は成長とともに色をどこかに忘れてしまった。


 私は進学とともに上京したけれど、ご飯を誰も用意してくれないということは、同時に心の拠り所も誰も用意してくれないということだった。わかりきってるのにわざわざ暗いニュース見てアホみたいに心が荒んだり、それでも寂しさの中見る夕日だとか隅に咲く小さな花はあるがまま、やっぱり美しかった。その温かく映る美しさは心の冷たさを際立たせたけれど、その寂しいひんやりとした触感が不思議と気持ちよかった。暗い夜の眠れない酩酊の、重い頭を支えながら接種する美しい音楽や絵画や人形などの芸術は、ニコチンに疲労がじんわり溶け込むのに似た快感を与えてくれた。

 色は思春期の中に忘れて来たけれど、そのぶん温度には敏感になった気がした。絶対温度と相対温度の違いが把握できなくて、私の安定しない心を温め冷やし、いつも混乱させた。

 自分のちっぽけな頭脳と不自由な四肢だけで、この先をずっと歩いていかねばならないという得体の知れない漠然とした不安だけが、私をきつく現実に繋ぎ止めていた。

 幼い頃から期待だとか楽観だとか悲観とか、そういう大人びた思考はなかった。だから裏切られたとか許せないとか、納得できなくて間違いを指さしたいとか、そういうよくいる秀才っぽいことは考えなかった。ただ制御しきれない悲しさの波に飲まれ続ける辛さだけが、私を洗って磨いた。子供ながらにこの世では正しさを見つけることなど出来ないことを、薄々感づいていた。

 雲は白で空は青、夜空は黒だと信じ込むし、世界の正しさは教科書に書かれてて、答えのない疑問は考えるべきではなくて、大人は正しい事を言っていて、先生のような人間が目指すべき姿だと、全員で同じ答えを求めて同じ歌を歌って同じ意見を言うことが正しさだと教わった。その一方で


「みんな違ってみんないい」


と先生は切り取って持ってきた綺麗事を言うけれど、その詩を訓んだ女性が望まぬ婚姻のあとで娘を残して自殺したことなんてどうでもいいことで、何も理解しないままぬるま湯に浮いた綺麗事の上で平和に暮らすことが先生なりの正解だった。

 私は向き合わず解決せず愛想笑いで生きようとする先生が許せなかったけれど、今になって考えれば、暗いニュースだらけの日常に疲れてしまった先生なりの諦めとか励ましだったのかもしれない。世界には優しくあってほしくて、人と違うことを指される不安を感じたくなくて、うまく一生のゴールにたどり着けるように盲目であるべきだと、経験から導いた生き方だったのかもしれない。


しかし私は盲目や鈍感にはなりたくなかった。たとえ辛いものをたくさん見続ける事になったとしても、美しいものを眺める幸せはあまりにも尊かった。しかし同時に、正しさを求めたいだとか正しく在りたいと思うわがままな意思は確実に私を傲慢にし、弱さを受け入れる温かい柔軟さなど見つからないくらい奥の方にしまい込んでしまった。

悲しみに浸る時間も楽しんで、雲は見れば見るほど極彩色で夜空だって優しい色をしていると、私は私の信じる正解を信じることで自分を守り続けたかった。二十を過ぎても私は結局、つまらない大人になったとか生意気なことを考えたりするくらいには我儘な子供のままだったのだ。

 そして数年前のちょうど今くらいの夏、人間の正しさというものが如何に馬鹿げたフィクションで、正しさを求める行為がどれだけ身勝手で虚しいことであるかを、あなたはいとも容易く、あっけなく、私に見せてくれた。色の見え方だって、形の見え方だって、触り心地だって、人によって全く違うもので、だから決して辞書に書けるものではないことを、不思議なくらいあなたは分かっている大人だった。子供は大人に憧れる。私はあなたがとても大人に見えて、まるで父のような母のような何かを押し付けて受け入れてほしいと思った。私を、羞恥心も知らないきらきらとした少女でいさせてくれるんじゃないかと、なぜかそんな予感がした。

ずっとずっと言葉の中で藻掻いていた幼少期から、きっとずっと今まで、


誰かに私は、許されたかったのだ。

 

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