第44話 リリイ
領主の館はほぼ全焼と言っていい状態だった。
俺と領主が中に居るときに火を掛けられたうえ、不死神の使徒の火炎竜巻に巻き込まれたからだ。
「さて……街中はどうなっているかな」
不死神の使徒は撃退した。
逃がしたとは言え、神器で傷をつけたのだ。
回復まで、しばらく掛かるだろう。
そして、不死者にされていた騎士も兵士も、不死神の使徒の火炎竜巻によって燃え尽きた。
「あとは……墓場の死骸に無理矢理魂を取り憑かせた不死者だけかな?」
俺が不死神の使徒と戦っている間に、周囲は静かになりつつあり、喧騒は遠くなっている。
俺は領主の館の敷地を出ると、喧騒が聞こえる方へと走った。
どうやら、喧騒の中心は人神の神殿のようだ。
人神の神殿に向かって走って近づくと、状況がわかるようになる。
冒険者たちが、家の壊れた住民を神殿の中に保護しつづけてくれていたらしい。
神殿の中には千を超える民がいる。
建物の中に入りきらず、礼拝堂の扉は開いたままだ。
不死者たちも生者が沢山いることに気付いたようで、神殿に殺到している。
神殿側も、四方の門に机や木箱を積み上げて籠城する構えだ。
障害物の内側にいる冒険者と神殿の門番たちが、槍で近づく不死者を攻撃している。
(背後から不死者を斬るのがいいかな)
そう思って、走って近寄ると、
「こちらへ!」
リリイの大きな声が響いた。
どうやら、リリイの敷地内にいるらしい。
俺は不死者の背中を蹴って、障害物を跳び越えると、神殿の敷地内に入る。
そんな俺を見て驚く神官たちに、
「ご安心ください。私の従者です」
リリイはそういって説明する。
そして冒険者たちの一部は、俺を見て笑顔になった。
「あ、無事だったか!」
「というか、使徒さまの従者だったのか。道理で強いはずだ」
冒険者たちの中には、大鎌を見て俺に気づいた者がいた。
もっとも、冒険者フィルと気付いたわけではない。
先ほど一緒に民を神殿に連れて行った大鎌の男だと気付いただけだ。
「先ほどは助かった」
「使徒さまの命で動いていたんだなぁ」
冒険者たちは勝手に納得してくれた。
そして、リリイは俺の元に駆け寄ると、顔を耳に近づける。
「ごめんなさい、勝手に従者とか言ってしまって」
みなに聞かれないよう、リリイは小声だ。
「構わない」
だから、俺も小声で返事をする。
死神の使徒などと説明したら、皆が混乱する。
人神の使徒の従者と説明してくれた方が良い。
「フレキは?」
「街の外です」
それを聞いたとき、俺はフレキの意図がわかった。
フレキは自分が街の中に入れば、俺の足を引っ張ると思ったのだ。
つまり、フレキは俺が何をやろうとしているかわかっている。
「……リリイは?」
「下水道を通って」
短く端的に尋ねると、リリイは的確に知りたいことを教えてくれた。
「領主は?」
逆にリリイから尋ねられた。
「死んだ。不死神の使徒は傷付けたが逃がした」
「わかりました」
「不死神の使徒が、リリイを殺した犯人だった」
「そうですか」
自分を殺した者に対して、リリイはなんとも思っていないようだ。
「フィルさま」
「どうした?」
「ほとんどの動いている不死者は神殿の近く、人神の領域内に入りました」
「そうだな」
「はい。そして不死神の使徒が手負いになり、祝福の効果が薄まりました」
神殿は、弱いながらも人神の領域。
他神の影響力を弱めることができる。
加えて不死神の使徒が手負いになったことで、不死神の影響力が低下した。
そして、周囲にいる不死者は、朽ちかけた死体に、無理矢理魂を取り憑かせたものだ。
元々死体と魂の結びつきが弱い。
「街中には数多の不死者が残っています。路地裏に、壊れた家の中に、物陰に」
不死者の大半が神殿の周りに集まっているのは間違いない。
だが、全ての不死者が集まっているわけではない。
「全部見つけ出すのは、大変だな」
「フィルさま。いまこそ死神の奇跡をゼベシュの街全体に」
それは俺も考えていたことだ。
だが、ここには不死者であるリリイがいる。
「……巻き込むぞ」
奇跡を行使すれば、リリイの魂はすぐに天に還ることになる。
「私は既に死んだ身。天に還るべきなのです」
そういって、リリイは俺をじっと見つめる。
「あとは、いつ、どのように、天に還るか。です」
「わかった」
「フィルさまの正体は隠した方がよいのですよね?」
「そうだ」
「人神の秘儀で、不死者が天に還ったことにします。よろしいですか?」
「願ったり叶ったりだ」
俺がそういうと、リリイはにこりと笑った。
「付いてきてください」
そういって、リリイは歩き出したので、俺は後ろをついていく。
「使徒さま」
付いてこようとした神官をリリイは止める。
「大丈夫。使徒の秘儀を使います。少し離れて見ていてください」
「その者は……」
「私の信頼する従者です。先ほども言いましたね」
リリイは問答無用で神官にそういうと、全体に向かって大きな声を出した。
「みなさま。私は人神の使徒リリイです」
それは、神殿の敷地の外にまで響くほど、大きな、よく通る声だった。
「使徒さま」「ありがたや」
民はリリイをみて、使徒に対する作法で礼拝し始める。
「あの化け物たちは、いったいなんなのですか?」
民の一人がそう尋ねる。
「あれは領主が不死神と手を結び、呪法で編み出した不死者たちです」
「りょ、領主が?」
「ご安心を。領主は人神の神罰で既に死にました」
「おお!」
民も冒険者も神官たちも、安心した様子を見せる。
「ですが、まだ神殿の回りに不死者がいます。街中にも沢山の不死者がいます。この不死者たちを私はなんとかせねばなりません」
「どうやってですか? 使徒さま」
「人神からおしえてもらった秘儀を行使します」
リリイがそういうと、民はざわめいた。
「みなさま。どうか私ではなく人神に祈りを」
リリイは扉の開いた礼拝堂の中、神像を指さす。
「祈りが、力になるのですから!」
民も神官も神像に向かって祈りを捧げ始める。
「みなさまに、人神の祝福を」
リリイは礼拝する民と神官たちに祝福の言葉をかける。
「冒険者の方々。門番の方々。儀式が終わるまで、不死者を足止めしていただけますか?」
「もちろんです! 使徒さま」
「みなさまにも、人神の祝福を」
民と神官は神像を向き、冒険者と門番は神殿の外を向く。
俺とリリイを見ている者は、礼拝の意味がわからない子供だけだ。
「ふぎゃああああ」
俺たちの近くで母親に抱かれた、四歳ぐらいの子供が大きな声で泣き始めた。
この異様な雰囲気の中、緊張した親に抱かれているのだ。
幼児が泣いて、当然だ。
「使徒さまの邪魔をするな」
民の一人がそういって幼児を抱く母親を睨み付ける。
「しっ、ロミ、いい子だから。使徒さまの邪魔しちゃだめ」
慌てた様子で母親も幼児をなだめる。
「ロミか。良い名前だね」
俺はロミの頭を撫でた。
ロミをたすけてと言って、天に還った魂のことを思い出す。
生きているロミを見て、本当に良かったと俺は思った。
もちろん、このロミという名の子が、あの魂のいうロミとは限らない。
それはわかっているが、とても嬉しいと思ったのだ。
「ロミ、怖くないよ。使徒さまが守ってくださるからね」
そういって、俺はリリイを見た。
リリイは頷くと、ロミの頭に手を触れる。
「ロミ。あなたに人神の祝福を。これからの人生に幸在らんことを」
「しとさま?」
ロミは泣き止んで、リリイを見る。
「いい子ね」
そういって、リリイは微笑んだ。
それから改めて宣言する。
「みなさま、秘儀に入ります。人神に祈りを! みなさまに祝福を!」
神官と民が神像に跪くのを確認すると、リリイは俺の耳元で言う。
「お願いいたします」
「……わかった」
「……ありがとう。フィルさま」
リリイは大きな声で、人神に捧げる祝詞を唱える。
祝詞の内容は不死者とは関係ない。
単に人族への祝福を願う内容である。
朗々と祝詞を唱えるリリイに背を向けて、俺は心の中で死神に祈る。
(死神よ。ゼベシュに留め置かれた不幸な魂を、あなたのもとに送ります。どうか、彼らをよろしくお願いいたします)
そして、俺は大鎌を構える。
大鎌は神器。簡易神殿のようなものだ。
俺の行使する奇跡の力を増幅できる。
奇跡を行使するために力を溜めていると、
「……フィルさまに、人神の祝福を」
後ろにいたリリイが、祝詞を中断し、俺の正面に来ると、小声で祝福してくれる。
(人神さま。人族の街を、人族を守るため、お力をお貸しください)
俺は人神にも祈る。
ここは人神の神殿、神域なのだ。人神に協力してもらえれば心強い。
そして、俺の正面に立ったリリイは、俺の仮面を少し上にずらした。
次の瞬間、俺の唇になにか柔らかいものが触れた。
離れたリリイは、
「初めてです」
そういって、頬を赤くする。
初めての口づけは冷たかった。
ふと横を見ると、ロミが俺とリリイをじっと見つめていた。
そんなロミの視線に気付くことなくリリイは俺にぎゅっと抱きついた。
「死者となった私に、人神の祝福を授ける資格はないのかも知れませんが……」
そう断ってから、
「フィルさまに、祝福を。フィルさまの未来が明るいものになることを」
俺を再び祝福してくれる。
すこしだけ体を離すと、リリイは寂しそうに呟く。
「では、私は人神に怒られてきます」
「大丈夫。リリイは人神さまの娘だから。許してくれるよ」
親は死んだぐらいで、子供を見捨てたりはしない。
「……そう……かもしれませんね……。そうだといいのですが……」
至近距離で俺の顔を見つめていたリリイはにこりと笑う。
俺はリリイを抱きしめた。
「天はいいところだよ」
俺は使徒になって初めて全力で使徒の権能を行使した。
死神の力が、ゼベシュの街を覆うように広がっていく。
障害物を乗り越え、神殿に侵入しようとしていた不死者たちが、バタバタと倒れていく。
死体に取り憑いていた魂は、天へと還っていく。
死体は、死神に祝福され、二度と動き出すことはない。
「やった? 成功だ!」
「使徒さま! ありがとうございます」
みんながリリイにお礼の言葉を述べたとき、リリイは既に天に還っていた。
俺はリリイの亡骸を支え、静かに床に横たえる。
リリイの顔は満足げで、安らかだった。
「使徒さま?」
「え? どういうこと?」
リリイが倒れたことに、民や神官たちが慌てはじめる。
俺は皆に向かって言う。
「使徒さまは自らの命を犠牲にし、秘儀を行使し、この街をお救いになられました」
「そんな」「使徒さま……」
「うわぁぁぁぁぁん」
使徒リリイに感謝し、お礼を言いながら、皆泣いている。
神官の一人が、両手で俺の両肩を掴む。
「従者どの、そなた、使徒さまがこうなると知っていたのか?」
「はい。使徒さまも、当然知っていました」
「なぜ、なぜ言わなかった」
「使徒さまのご意志です。言えば止めるだろうからと」
「なぜ、なぜ……」
「それしかなかったのです」
そして、俺は歩き出す。
「従者どの、どこへ行く?」
「使徒さまの遺命を果たしに」
「遺命?」
「……万一にでも亡者が残っていたら、人族に被害が出ますから」
俺は歩いて神殿を出た。
誰にも止められることはなかった。
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