第29話 ゴンザ
男はなんでもないことのようにいう。
「アンナの家なら、そこにある雑貨屋を右に曲がったところだ」
「ありがとう!」
俺が走り出す前に、ゴンザは走りだしていた。
俺の鞄の中にある大腿骨から離れられないということを忘れているらしい。
だから俺もゴンザから離れすぎないように、追いかける。
雑貨屋を右に曲がると、金細工屋の看板があり、その店の前を女性がほうきで掃いていた。
「あの」
「どうしたんだい?」
俺が声を掛けると、その女性は笑顔で返事をしてくれた。
年の頃は二十歳ぐらいだ。
「あの、この辺りに……」
俺の言葉の途中で、
『アンナ? アンナ……大きくなって』
そういって、ゴンザは涙を流しはじめた。
『こんなに、こんなに小さかったのに、大きくなって』
十年経ち、姿が大きく変わったというのに、ゴンザは娘のアンナを一目で気付いた。
「えっと、アンナさんですか?」
「そうだけど?」
「ゴンザさんの娘の?」
「……そうだけど、……あんたは?」
アンナは俺を怪しんでいる様子だ。
「ええっと、話せば長くなるんだけど……」
俺は話を考える。
ゴンザが幽霊になったと言われても、信じられまい。
アンナが信じられ、かつ、ゴンザの行いの本質を歪めずに説明できる物語が必要だ。
「ええっと、俺はフィルという名の冒険者なんだけど、ダンジョンでこの瓶と、ゴンザの手紙を見つけて」
「父さんの手紙? みせておくれ」
アンナの目の色が変わった。
「いや、手紙は、帰り道で、魔物に襲われたときに……ごめんなさい」
「それは大変だったね。……謝らなくていいよ。それで手紙にはなんて?」
「この瓶は灰石病の治療薬だから、アンナに届けてくれって」
そういって、俺は治療薬の瓶をアンナに手渡した。
「そうだったのかい」
俺の説明には色んな矛盾がある。
なぜ人神の神殿しか持っていない治療薬をとりにダンジョンに入るのか。
そもそも、金属細工師のゴンザがなぜダンジョンに入るのか。
だが、そんな矛盾を、アンナは全く気にしていないようだ。
行方不明の父からの治療薬という情報がよほど衝撃的だったのだろう。
「……それで父さんは?」
「わからない。だけど、この手紙の近くに白骨死体があったから。多分、それがゴンザだと思う」
「……そうかい。……ほんとうに馬鹿なことを」
そういうと、アンナは涙を流した。
「ゴンザがいなくなったのって、何年前?」
「もう、十年になるかね。……あたしをおいて逃げたと思って、恨んだけど……」
『ごめんなぁ、馬鹿な父さんで……』
ゴンザは何度も何度も、アンナに謝った。
「ゴンザはアンナのために命を懸けたんだよ」
「それで死んじまうなんて……馬鹿だよ」
『親は子のためならば命を懸けられる。そういうものじゃ、なあゴンザ』
フレキが呟く様にいった。
ゴンザは頷きながら、ただただ、アンナを見つめ、謝り、涙を流していた。
「その手紙に、アンナは十歳で灰石病で死にそうって書いてたんだけど……」
「ああ、それは本当さ。灰石病で大変だったのに、父さんが急にいなくなってね」
「どうして、助かったんだ」
「父さんがいなくなって三日後のことさ。忘れもしないよ。人神さまの使徒さまが、患者全員に治療薬を配ってくれたんだよ」
その使徒は、リリィの先代の使徒に違いない。
「…………」
俺は心配になって、ゴンザを見ると、フレキもゴンザを見つめていた。
ゴンザの命を懸けた振る舞いは無駄だったということになる。
ゴンザは謝るのを止めて、ひたすらアンナを見つめ続けている。
何を考えているのかわからない。
「人族を守るのが、人神さまのご意志であり、代理人である私の勤めだっておっしゃられてね」
「そうだったのか。高い薬なのに、お金は大丈夫だったのかな」
「あたしら庶民にはわからないけど、王さまやら領主さまに出させたみたいだよ」
「すごいな」
人神の神殿が持つ権威と政治力を利用したのだろう。
「ああ、すごいんだ。人神さま、使徒さま。ありがとうございます」
アンナは首に提げた人神の聖印を握ると、神殿に向かって頭を下げた。
「治った後はどうやって暮らしたの?」
ゴンザが無言のままなので、ゴンザが知りたいであろうことを俺は尋ねる。
両親を亡くした幼子が、生きていくのは大変なことだ。
「その後は人神さまの神殿が運営している親のない子のための施設に入ったんだ」
「苦労した?」
「まったく。神官さまもみな良くしてくれたよ」
そのとき、金属細工屋から、男が顔を出す。
「アンナ、トムさんから依頼された…… えっ、どうした?」
アンナが泣いているのを見て、男が慌てて飛び出して、俺を睨み付ける。
「お前、アンナに何を――」
怒鳴りかけた男をアンナは止めた。
「あんた、違うんだよ。フィルは父さんの形見を届けてくれたんだ。あ、フィル。これがあたしの旦那」
アンナは俺がした説明を旦那にした。
「すまない。折角形見を持ってきてくれたっていうのに、怒鳴るような真似を」
「いや、気にしないでくれ。妻を泣かしているように見えただろうし」
「すまない。俺はダンという。フィル。アンナの父さんの形見を届けてくれてありがとう」
再び謝りながら、ダンは自己紹介してくれた。
「おかあたん?」
店から小さな男の子が顔を出す。三歳ぐらいの年齢だろうか。
その子は走ってきて、アンナに抱きつく
「おかあたん、泣いてるの? 痛い?」
「痛くないよ。嬉しいことがあったんだよ」
アンナはその子を抱き上げる。
「嬉しいのに泣くって、へんなの」
そう言いながら、子供はアンナの涙を拭いてあげていた。
「アンナとダンは、一緒に金属細工師をしているの?」
「うん、父さんと同じ金属細工師になったんだ。十五歳で施設を出たあと金属細工師の徒弟になって、最近やっと独立できたんだよ」
「アンナとは、同じ工房で修行した仲さ」
「姉弟弟子か。いいね」
そのとき、無言で泣いていたゴンザが尋ねた。
『アンナ。幸せか?』
俺がゴンザの代わりに尋ねる前に、アンナが言う。
「もし、そのダンジョンにもう一回行くことがあったら、父さんに伝えておくれ、あたしは幸せだって」
「……わかった。伝えておくよ」
そのとき、ゴンザがぼそっと呟いた。
『…………俺のしたことは無駄だったんだ』
法を犯し、命を懸けて、治療薬を手に入れた。
だが、そんなことしなくても、アンナは死ななかったし、幸せになれたことがわかってしまった。
つまり、無駄死にだったと、わかってしまったのである。
それを知ったゴンザはどう思うのだろうか。
俺はゴンザが心配になって、その顔を見た。
『……よかったなぁ。アンナが幸せで。孫まで見れた。本当によかった』
だが、ゴンザは本当に嬉しそうに微笑んでいた。
『使徒さま、ありがとう、本当にありがとう』
ゴンザの魂は笑顔で天に還った。
それは本当にあっさりとしたものだった。
ゴンザの未練は薬を届けることではなかった。
アンナを健康で幸せにしたいということが、未練だったのだろう。
『未練がなくなれば、魂は綺麗に天へと還れるのじゃ。それが魂にとっての幸せじゃ』
フレキが、さっきまでゴンザのいた場所を見つめながら呟いた。
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