12  草原の少女





そこは穏やかな草原だった。


乾いた気持ちの良い風が吹き、伸びている草の葉を揺らす。


そこでは様々な種類の植物が花をつけて伸びやかに息づき、

恒星の光を一身に受けていた。


私は駅からなるべく歩きやすい所をずっと歩いていた。

道らしい道はどこにも無い。


ここはあらゆる所に植物が繁っている。

ほとんどが草ばかりで、所々に目印のように大きな木があるだけだ。

芝のような背の低い草を踏みしめると足元から緑の香りがした。


気持ちの良い気候ではあったがかなり長い間私は歩いていた。


今回の雇い主の所より来る時から私は少々疲れを感じていた。


元々旅暮らしであちらこちらへ行く事は苦ではないが、

それでも疲労はたまっていくのだろう。

今度の仕事が終わったら自分の店に一度戻るつもりだった。


私は近場の草むらの影に腰を下ろした。

日の光は強くは無いがずっと日向を歩いていたせいか日影が恋しい。

私の背より大きな草のそばでほっと息をついた。


私のすぐ横で白い花が風に揺れている。

少し透けているような小さな花びらは薄く空の色を映して、

香りが私の鼻をくすぐった。


その時だ。


「どこから入ったの。」


よく響く少女の声がした。

そこには鳥頭とりあたまの少女が立っていた。


歳の頃は十二、三歳だろうか。

顔は翠藍すいらん色の柔らかそうな艶やかに光る羽毛に覆われていた。

瞳は黒く、嘴は黄色い。

白いワンピース着ていて、

胸元にはひどく手の込んだシャーリングが施されていた。


「いや、駅から真っ直ぐ歩いて来たのですが。」


私は少し言い訳をするように笑いながら立ち上がった。


彼女は私の胸の下辺りぐらいしか背が無かったが、

怒った表情の仁王立ちした彼女は妙に怖かった。


彼女は私の胸のうちを知っているかの様に鼻で笑うと言った。


「列車から誰かが降りて来たと思ったらこんな坊やかい。

口は達者だ。」


まるで子供に怒っているような言い方だ。

私は頭を掻いた。


「申し訳ありません。あまりにもここが綺麗だったので。

今が花の盛りですか?」


私は周りを見渡した。

お世辞ではなく確かにこの景色はとても美しかった。


その私の気持ちが分かったのか、

彼女は眉を上げると少し機嫌を直したように言った。


「そりゃそうだよ。

星の始まりからあたしが丹精しているからね。」


彼女が近くの蕾に触れると花びらを膨らませて花はすぐに散った。

それは風に乗ってどこかに飛んで行く。

青い空に花びらは良く映えた。


「色々な星を見ているけどここはかなり力を入れたからね。

元々植物しかない星だよ。

ほらあんた、後を向いて。動いちゃ駄目だよ。」


私は彼女の言う通りにすると、彼女はごそごそと何かをした。

すると私の疲れがたちまち消えた。


「ほら、こんなもの付けていたね。

でなければあたしの庭には入れないよ。」


呆れた様に言う彼女の手には小さなもやのような塊があった。


大主獏オオスバクだろ?あいつの糸がついてたよ。

重かっただろう。」


彼女には全てが分かっているらしい。

私は両の手の平を空に向けて肩をすぼめた。


「確かに大主獏様に言われてやって来ました。

でもこの糸は知らなかった。」

「まあ良いさ。」


彼女はそのもやを両手で強く固めると空に放り投げた。

するとそれは空中で音も無くはじけた。


私は彼女を見た。澄んだ黒い瞳が私を見返す。

そこには深い思慮の光があった。

それを見て彼女には何を隠しても無駄だと私には分かった。


「申し遅れましたが、わたくしはこう言う者です。」


私は胸元から名刺を取り出すと身を屈め、

恭しく差し出した。

彼女はそれを受け取りしみじみと見た。


「探し屋さんかい。正直一番か。」

「ええ。ご用があればぜひお呼びください。」


彼女は名刺を丁寧にポケットにしまった。

それは子供が拾った物を大事にしまうような

可愛らしいポケットだった。


「あっちにもこっちにも良い顔して、

あんたも大した商売人だねぇ。」

「生きて行く上では仕方がありません。

それでもやりたくない仕事は断る事もありますよ。」


私は本音を言った。

彼女の前では嘘をついてはいけないと私は既に分かっていた。

むしろ彼女は本当の事を言った方が喜ぶのだろう。


彼女はちらりと私を見ると歩き出した。

私は何も言われなかったが、彼女の少し後をついて行った。


歩きながら彼女は近くの花を摘み出した。


細く白い手が一つ一つ花を摘み取っていく。

今度はそれは散ることは無く、艶々と光ったままだった。


「大主獏は相変わらずかい。」


彼女は私を見ずに聞いた。


「相変わらずと言うか、私は十年程前からのお付き合いですが、

その間に三回姿を変えられましたね。

今は古い洋館で大きく広がっていますよ。」

「ああ、部屋中に広がっているんだろう。生温い感じだね。」


私は先日会った大主獏を思い出した。


私は時々彼に悩みの種を運ぶ。

それを食べるのが彼の趣味だ。


古い洋館は恐ろしいほど広く、その一番奥の大広間に彼はいた。


見上げるような扉を開けると、薄暖かい中の向うに小さな彼の顔があった。

そして体は部屋中に広がっている。

窓や壁などは見えるのだが、柔らかな毛皮の表皮は天井まで広がっていた。


「最初お会いした時は洒落た様子の紳士でしたがね。」

「ふん、体の調子が悪いんだろう。

まだあれを食べているのかい、悩みの種を。」

「ええ、そうです。」

「あれを止めるだけでも体は良くなるだろうに。

人の夢だけを喰っていればそれで良いのに、悪食あくじきは治らんねぇ。」


彼女は大きく溜息をついた。


「あのう……。」


私は恐る恐る聞いた。


「大主獏様とはお知り合いですか。」


彼女は立ち止まり私を見た。

その腕にはいつの間にか抱えるほどの花があった。


「ああ、大昔からの知り合いだよ。嫌になるぐらいのね。」


少し忌々しげに彼女は言った。

私は不穏な物を感じ、それ以上聞くのは止めた。


大主獏はこの宇宙の原始の時から生きていると言っていた。

するとこの鳥頭の少女も見た目通りの年齢ではないだろう。

私は女性に歳を聞く勇気は無かった。


「さあ、これを持ってお行き。」


長い間歩いた後、大きな木の下で彼女は立ち止まった。

木の陰には木造りの粗末なベンチとテーブルが置いてあり、

彼女はベンチに腰を下ろした。

私もそこに腰を下ろしたが、釘が緩んでいるせいかぎしぎしと嫌な音を立てた。


「悪いね、それは死んだ植物だから私には治せないんだよ。」


私は笑いながら首を振り立ち上がった。

彼女一人ならこのベンチも持ちそうだったが、

私が座ってしまうと壊れそうな気がしたからだ。


彼女はテーブルで摘んだ花を綺麗にまとめ出した。

それは全て雑草だ。だがどの花も生き生きとした様子で色が輝いていた。


「どうせみんな喰っちまうんだろうけど。」

「摘んでしまって枯れませんか。」

「大丈夫だよ。」


彼女は自分が作り上げた花束を満足そうに見ながら言った。


「あたしが作った花だ。

ちっとやそっとでは弱らない。特製の胃薬だ。

大主獏にこれに懲りて妙なものを喰うなと言っておくれ。」


やはり彼女は全てを分かっていたのだ。

私は彼女に深く頭を下げた。


「私が頼まれたものを既にご存知でしたか。」


彼女は面倒くさそうに手を振ると吐き捨てるように言った。


「話しているうちに分かるよ。

あたしの所に来る時は大抵は食中しょくあたりだからね。

薬を持って来てくれ、と言われたんだろ。」

「ええ。行けば分かると言われて。

それでその足でここまで来たのですが、今回妙に疲れまして。

でも大主獏様の糸が付いていたとは。」


彼女はにやりと笑った。


「それが無ければここには入れないし、

あんたがちゃんと出来るか心配だったんだろう。

何しろあたしと渡り合わなきゃいけなかったしね。」

「そうですね。」

「ま、あんたは上手くやったよ。」


彼女は私に花束を放り投げた。


「正直に言ったのが良かったのさ。

それにあんたはここが綺麗だと言った。」


私は周りを見渡した。


「ええ、それは本当にそう思います。」

「やっぱり自分が大事にしたものを誉められるのが一番嬉しいよ。

だけどあれはそれが分からなかった。」


少し沈んだ声で彼女は呟く様に言った。


「ずっと一緒にいたんだけどね。

でもあいつは取り込むだけだけど、あたしは作るだけだ。

あたしが作らないと全部死んでしまうのに、

それにあいつは気がつかなかった。

だからあたしは疲れてしまったんだよ。」


彼女の翠藍の羽根が揺らめくように光り出す。私は少し目を細めた。


「……失礼ですが、あなたは、」


聞いて良い事なのかどうか私には分からなかった。

彼女はひたと私を見た。黒々とした瞳が金色に光りだす。


「私は不死鳥だよ。

全ての始まりだ。全てを焼き尽くすが、その後に新しく生まれる。

新しくなったのはいつだったかねえ。

百年ぐらい前かね。だからまだこんななりだよ。」


彼女は自分の姿を見た。

この少女の姿はまだ再生されて間もない体だったのだ。


「なかなか難儀なものだよ。

中身はそれなりに歳を取っているが、見た目は子供だ。

まあ体が軽いのは助かるがね。」


彼女はふふと笑った。


「さあ、もうお帰り。」


彼女は指差した。


「木の影から出たらすぐに駅だ。もうすぐ列車が来る」


私は再び頭を下げて礼を言おうとした。


「ああ、面倒くさいのは無しだよ。あたしも暇だったからね。

もう二度と会わないかもしれないけど、元気で暮らすんだよ。

それと家に帰るなら留守番の人にこれをあげな。」


彼女はいつの間に作ったのか小さな花束を私に投げた。


「それもご存知でしたか。」

「ま、色っぽい関係でもない事も分かるよ。

だけどたまにはちょっとした土産も良いだろう。」


彼女は私を追い払うように手を振った。

私は再び頭を下げて歩き出した。


そして木の影から出た途端に周りの景色は揺らぎ、

目の前に降り立った駅が現れた。


その変化に私は驚き後を見た。だがそこには先程あった木も無い。

あるのはその星の草原が続く景色だけで、

静かに風に身を揺らしている植物だけが見えた。


私はしばらくぼんやりとそれを見ていたが

遠くから列車の音が聞こえて来た。

そして慌てて帰りの切符を確かめた。




花束は無事大主獏の元へ届ける事が出来た。

その帰りに彼の老執事から報酬を受け取った。


「よろしゅうございますね。」


目にも鮮やかな白い手袋をつけた彼は、

いつも通り抑揚も無く事務的に私に確認を求めた。


ある意味それは気が楽だ。だが、今回珍しく彼が言った。


「ところで大奥様はお元気でしたか。」


私は驚いたが、それを表に出さず返事をした。


「お元気でしたよ。

でも木のベンチが古くなっていて困っておられました。」

「……ベンチですか。」

「ええ、テーブルもずいぶん古かった。」


彼は少し黙り込んだ。


「それでは私はこれで。」


私は立ち上がると軽く頭を下げて彼に挨拶した。


「はい、お疲れ様でした。

また種をよろしくお願い致します。」


執事はいつも通りの顔に戻り、私を送り出した。


不死鳥の彼女を知っているとは、この執事もかなりの長寿なのだろう。

良くて百年ほどしか生きられない私には

考えられない時間を彼らは生きているのだ。


深い森の中にある古い洋館はどんよりとした様子で私を見送った。

迎えの車は駅前のタクシーだ。

執事が呼んだのだろう。


「お客さん。」


中年の運転手がバックミラー越しに私を呼んだ。


「なんだい。」

「お客さんはあの洋館に用があったのかね。」


私は頷く。この辺りではあの洋館は噂の的だ。


「あそこにはとんでもない年寄りがいると聞いたが、ほんとかね。」


私は苦笑いをした。ミラー越しに見える彼の目は好奇心で光っていた。


「あそこは私にとってはお得意さんだからね。

余計な事は言わないよ。

君もこれからも呼んで欲しかったら何も聞かない方が身のためだよ。」


すると彼は前を見たまま肩を竦めた。


しばらく彼も私も喋らず、車は走り続けた。

やがて街並みが変わり、車が増えてくる。

それを見て私はやっと現実に戻って来た気がした。


「お客さん。」


ずっと喋らなかった運転手が私を呼んだ。


「なんだい、とりあえず駅まで行って欲しいけど。」

「いや、それは分かってまさあ、

そうじゃなくてお客さん、なんか良い匂いするね。」


私は驚いて自分の身を見た。特に変わった事はしてはいない。


「そんな香りがするのかね。」

「香水かい?」

「いやそんなものはつけていないが……。」


私はふと思い出した。

鞄の中に小さな花束が入っている事を。

もしかするとそれが外まで漏れて来ているのかもしれない。


「君は結婚しているのかな。」

「古女房が一匹いるよ、でかいのが。」

「なら今日は花でも買って帰ると良いかも知れないよ。」

「うちのかかあに?すげえ冗談だ。」


彼は声を出して笑った。その時車が駅に着いた。


「私は本気だよ。

たまには土産でも持っていけば良い事があるかもしれん。」


私は車からの降り際に彼にチップを渡した。

運賃は大主獏が払ってくれるが、

なぜか今日はこの運転手にチップを渡したかった。


「奥さんによろしく。」


運転手はにやりと笑うと手を上げた。


その後彼が奥さんに花束を買ったかどうかは定かではない。

ただ、私の鞄に入っている花の香りが

何かのきっかけを作ったのは確かだった。


私は花束を作った少女の顔を思い出した。


彼女は自分が作った物が

このような出来事を起こしたとは思いも寄らないだろう。


私にはいつかそれを彼女に話す機会はあるのだろうか。

だが、私と彼女とは生きている時間はあまりにも違い過ぎる。

私にはその自信は無かった。


それでも私はもう一度彼女に会いたくなった。

今の話をしてみたいと。


あの気持ちの良い草原で。







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