11  岩山の博物館・ポチ





あの星系には近寄るまいとポチはずっと思っていた。


忘却レンズと言うものを体が透明な貴婦人に届けた後、

骨董屋の万年青おもとから言われたからだ。


『今頃博物館であんたの事を怨んでいたりしてな。』


の一言だ。

彼女はレンズを覗いて体が消えてしまった。

それは消滅したのではなく、

あの岩山の博物館の管理人が

貴婦人と入れ替わっているのではないかと言うのだ。


確証はない。

だがなぜか否定が出来ないのだ。


彼は近寄りたくはなかったのだが、

たまたまその星に行かなくてはならなくなった。


あのレンズはずっと鞄に入っている。

返せと言われたら返せば良い。

だから怖くはないはずだ。

だが、


「行きたくねえな……。」


その星に向かう列車で思わず彼は呟いた。


だが、その思いに反してその星での仕事は順調に進み、

思ったより早く帰れることになった。


「三十六計逃げるが勝ち。」


と帰りの列車に乗り込もうとした時だ。


さっと風が吹き、そしてすぐにざりざりとした感触がした。

鼻先が一瞬で乾き、目の前が赤っぽい砂色になった。

軽いめまいで思わず膝をつく。


この感覚は彼には覚えがあった。


「逃げられなかった……。」


少し離れた前には見覚えのある扉があった。


岩で出来た巨大な扉だ。

あの岩山の博物館の扉だ。


彼はしばらく呆然とそこに立っていた。


召還された以上行かなくてはならないだろう。

借り物は返さなくてはいけない。

だがこのまま返さずにいたら、


「延滞料を取られるのかな。」


ぼそりと呟いた時だ。


「ゴホン……、ゴホン……。」


後ろからせき込む声がする。

誰かいるのだ。

ポチは振り向いた。


そこには人がいた。

背の高さは彼の肩ぐらいか。

少しばかり古風な格好をした男性だった。


目の前の男性がポチを見た。


「あ、こんにちは。」


彼が声をかける。

彼は大きな背嚢を背負い、片手にピッケルを持っていた。

まるで探検に行くような格好だ。


「ああ、どうも。」


ポチも思わず間の抜けた返事をした。

ここで人と会うとは全く考えてなかったからだ。


「失礼ですが、あなたはどちらからいらしたのですか?」


背嚢を背負った男が聞いた。

表情は涼やかな様子だ。

言葉遣いも穏やかで知的な感じがする。


「あー、私は帰る途中で列車に乗り込むところだったのですが、

呼ばれたみたいで。」


ポチは頭を掻く。

相手にはきっと通じないだろうが嘘のつきようもない。


「ほう、この辺りには駅は無いから遠くから呼ばれたのでしょうか?」


目の前の男性は否定することなく、

むしろ目を輝かせてこちらを見た。


「興味深い話ですな。

私はイゴル・クユールエ、幻想学者です。」


イゴルと名乗った男はポチに握手を求めて来た。


「学者さんですか、先生ですね、

私はポチ・イクマヌ・ドクスクトと言います。

探し屋をしています。

ポチとお呼び下さい。」


ポチは胸元から名刺を差し出した。


「正直一番、探し屋、ポチ・イクマヌ・ドクスクト、さんですか。

ほう、なにやら面白そうなお仕事ですな。」


イゴルはにっこりと笑った。

どこか浮世離れした雰囲気がある。

学者故なのだろうか。

ポチはそれを見て怪しい人ではないと感じた。


「私も名刺があるのだが、どこだったかな。」


イゴルがごそごそとポケットなどを探りだした。

ピッケルがポトリと落ちたがお構いなしだった。


「ところでイゴル先生、どうしてここに。」

「ああ、私はガイドとはぐれてしまって。

と言うかガイドははぐれると思うので、

そうなったら待っていますと言っていたが……。」


イゴルは話しながらポチの後ろの景色を見た。

彼の言葉が止まる。

ポチも彼につられて後ろを見た。


あの扉だ。

ポチにとっては二度目だから特に感慨はない。

だが、イゴルは言葉もなく突然そちらに走り出した。


ポチはイゴルが落としたピッケルを拾いその後を追った。

足が砂にとられるがイゴルはお構いなしで走って行く。


「先生、ちょっと待って……。」


暑くて空気もカラカラだ。

ポチは息が切れた。


イゴルは扉のそばまで走りそこに張り付いた。


「岩山の博物館だ!」


彼は叫んだ。


「本当にあったんだ。」

「そうですよ。」


イゴルが振り向く。


「岩山の博物館なのだよ。」

「ですね。」

「……君は驚かないのかね。」

「私は二度目ですから。」


イゴルはあっけにとられた顔をして

しばらくしてへたへたと座り込んだ。


「まあ、先生、お水でも飲んで落ち着いて下さい。

暑い中を走ったのだから苦しいでしょう。」


ポチが彼の背嚢の横にぶら下げてある水筒を取った。


「……ああ、そうだね、つい夢中になってしまって、

まさか本当にあるとは思っていなかったから。

あ、君は二度目と言ったね。」

「ええ、二度目です。借りたものを返しに来たんですよ。」


彼は無理やり返却に来させられたとは言わなかった。


「そんなに気軽に来られる場所なのか?

世の中では幻と言われているが。」


イゴルは水を飲むと腕を組んで考え出した。


「いや、多分用事がある人しか呼ばれないと思います。

だから先生も向こうに呼ばれたのだと思いますよ。」


その時、扉からきしむ音が聞こえて来た。

扉がじりじりと開き始める。


二人はぎょっとする。

ポチは背筋がぞくぞくした。


「先生、その、お願いがあるんですが……。」


ポチが鞄からケースに入った忘却レンズを取り出した。


「これを返して来て欲しいんですよ。」

「えっ?」

「返却物です。忘却レンズと言うものですが、

今回私が呼ばれたのはこれを返すためだと思います。」

「見て良いかい?」

「構いませんが、使うなら遠くを見る時のように見てください。

反対から見ると体が消えるかもしれません。」


イゴルはケースからレンズを取り出した。


「綺麗なものだな。」

「遠くを見るように覗くと思い出したいものを見る事が出来ます。

でも反対に見るとすべて忘れてしまいます。」

「それは困るな。」

「でしょ?」

「しかし、実に興味深い。」


学者の興味深いと言う言葉は恐ろしいものなのだと

ポチは初めて思った。


「先生、だめですよ、反対に見ちゃダメです、絶対。」

「遠くを見るようにだな。」


イゴルがレンズを覗いた。

一瞬二人は無言になる。

地鳴りのような扉の開く音が響く。


ほんの三十秒ほどだろうか。


イゴルがため息をつきながらレンズを離した。


「先生、大丈夫ですか。」


虚を見るようにイゴルが上を向く。


「参ったな……。」


ぼそりと彼が呟いた。


「先生、何ともないですか?」

「あ、ああ、大丈夫だよ。

まあなかなか厄介な代物だね。」


イゴルはレンズを箱にしまった。


「これを返せば良いんだね。」

「そ、そうです、お願いできますか。」


彼が頼みごとを引き受けてくれそうでポチは少しほっとした。

だがやはり自分も呼ばれるかもしれない。

その時は腹を括るしかないなと思った。


扉は人ひとり入れるぐらい開いていた。


「じゃあ行ってくるよ。」

「一人で大丈夫ですか?」


心にもない事をポチは言った。

だが、


「常に一人で動いているからいつもと一緒だよ。

行ってくるよ、待っていてくれたまえ。」


イゴルは爽やかに笑いながら中に入って行った。

一瞬自分も行かなくてはいけないのかと扉に近づいたが、

その瞬間、じりじりと開いていた扉は目の前で閉まった。


そして数秒後、扉が開きイゴルが出て来た。


少しばかり薄汚れて髭もうっすら伸びていた。

彼はふらふらと倒れ込みそうになる。

ポチは慌てて彼を支えた。


「先生、しっかりして。」

「……ああ、すまん、しばらく中で色々見ていた。

実に興味深いものばかりだった。

そうだ、水が欲しい。」


ポチは鞄の中からボトルを出した。


「私の飲みかけですが構いませんか?」


ポチがイゴルにボトルを渡すと、

彼は一気にそれを飲んだ。


「ああ、美味い、水とは美味いものだ。」


イゴルはにっこりと笑う。

学者と言う人種とは初めて話すが、

こんなに風変りなのかとポチは思った。


「先生、こんな時になんですけどレンズは返していただけましたか。

「ああ、返したよ。管理人みたいな人に渡した。」


ポチはぞっとする。


「……どんな人でした?」

「白い帽子をかぶっていたよ、それと手袋を一つだけつけていた。」


やはりあの貴婦人はいたのだ。

自分は彼女を永遠の牢獄に送ってしまったのかと

ポチは気持ちが底から冷えた。


「……あのう、先生、ところでその人って、その、」

「あっ!」


ポチの言葉を遮るようにイゴルが叫んだ。


彼の目線の先には巨大な扉があったが、

それがゆっくりと砂に変わるように音もなく消えていく。


そして赤い岩の博物館自体が幻のように薄く消えていった。

残ったのは岩山だけだ。


二人は呆然とそれを見送った。

そして、


「ああ、先生、思ったより早かったあね。」


後ろから声がかかる。


振り向くと頭にターバンを巻いた現地のガイドがいた。


「おや、一人増えてる。この人はずっと前にも来たよなあ。」


ガイドはポチを見た。

ポチにも彼は見覚えがあった。


「前にお世話になったね、急だけど私も帰りを頼めるかい。」

「ありがたいなあ、お足が増えたよう。」


ガイドがにかりと笑う。

彼の前歯は一本なかった。


そしてガイドが座り込んでいるイゴルを見た。


「先生、すっかりくたびれてるなあ、なんか食うかい。」

「ああ、頼むよ、君の言う通り色々と持って行って良かったよ。」

「そりゃなによりだあ。」


ガイドはゴメランを引っ張ってくると、

持って来た食料をイゴルに差し出した。





この辺りの足替わりにされている

ふさふさとした毛を持つゴメランと言う生き物に

ポチとイゴルは乗った。


ゴメランには人が乗る鞍などは無い。

その毛の中にふんわりと乗るのだ。

体は沈みまるで緩衝材に包まれている感じで乗る。

しかも彼らの体温は二十度ぐらいで極めて快適である。


「悪いね、君のゴメランに乗ってしまって。」

「構わねえよ、二時間ぐらいで着くし。

ところで学者先生は大丈夫かね、

水とか食べ物をごっそり食べたが、腹壊してねえかあ。」

「何だかしばらくほとんど食べてなかったらしいよ。」

「そりゃ大変だ。」


ゴメランはゆっくりと進む。


「ところで君、」


ポチはガイドに話しかけた。


「ここに来るガイドは君だけかい?

前の時も君だったよね。」

「ああ、ここに来るおかしなガイドはわしだけだあ。

もしかすると何日も待たなきゃならんし、

今日はすごい早かったけどなあ。」


きひひとガイドは笑った。


「君は気味悪くないのかい?」

「いんや、全然。

田舎のガイドだが、世界の不思議の一つに

わしがかかわっているのは面白い話だろが。」


思ったよりこのガイドは

世の中が分かっているのかもしれないとポチは思った。


「君は偉いね。」

「ほほお、わしの事を誉めてくれるかあ、嬉しいのう。」


その時だ、後ろからイゴルが呼んだ。


「ポチ君、」


目が覚めたのだろうか、とポチは思った。

先程からイゴルがうとうとしていたのは分かっていた。

あの様子では仕方ないだろう。


「そう言えば君に伝言があるよ。」


ゴメランの背中から頭だけを出したイゴルが言った。

日よけをしているので顔がほとんど見えない。

どんな表情なのだろうか。

見えない分ポチは嫌な予感がした。


だが、


「悪い話じゃないと思う。

君に謝っていたよ。

戻ったら詳しく話すよ。」


ポチの気持ちが一瞬にして変わる。


いったい彼は何を見たのだろうか。

すぐにでもそれを聞きたくなった。


だがそれよりまず休むのが先だろう。

彼が話す気になったら聞けばいい。


そしてもう一度あの貴婦人を思い出し、

万年青に連絡をしようと思った。

恨まれてなかったようだと。


ポチがイゴルを見た。


首がふわふわと動いている。

また眠ってしまったのだろうか。


無邪気な面白い人だなと彼は思った。








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