8  完全なる真珠






地平線近くの空が透明な薄黄緑色に淀んでいる。



この星の冷えに冷え切った大気がその色に空を染めていた。

雲一つない大空は美しいが、体の芯までこごえるような色だ。


ホテルからがやがやと観光客が出て来てバスに乗り込んでいく。

彼らはこれから観光に出かけるのだ。

寒さに耐えられるようにみな着膨れしている。


「お客様はお出かけになりませんか?」


一週間ほどこのホテルに滞在しているので、

顔見知りになった支配人が私に話しかけた。

ロビーで椅子に座りタブレットで経済新聞を読んでいた私は

それをしまった。


「元々観光で来たわけじゃないんでね。」

「そうでしょうね、でも毎日お出かけになっていましたね。今日は?」

「ああ、昨日やっと目当てのものが見つかってね、

そのクライアントがこちらにいらっしゃるのを待っているのだよ。」


私は再びタブレットを出した。


「この新聞に載るようなVIPだよ。」


支配人は目を丸くした。


それからしばらくしてホテルの前に高級車が停まった。

ドアボーイがうやうやしく扉を開ける。

車からさっと男が降りるとそのすぐそばに立ち、

中から出る女性の手を取った。


「全く、なんて寒い星!」


いらいらした感じの怒った声が聞こえる。

ぬめりとした豹柄の猫人ねこびとだ。

いかにも高級な衣装でアクセサリーをたくさんつけている。


彼女は慌ててホテルに入って来て、

私を見つけると足音を響かせながら颯爽と近づいて来た。


「あなた、よくも私を呼びつけたわね。」


私は既に椅子から立ち上がり、直立不動だ。

彼女の迫力は凄かった。

女傑じょけつだ。


「いやいや、その、申し訳ありません、事情が事情でして……。」

「この私をここまで呼んでおいて、ありませんでしたでは済まないわよ。」

「お探しのものはちゃんと見つけました。でも持ち出せないのです。」

「持ち出せない?」

「ええ、現地までご案内します。

その時にどうされるかご自分で判断していただけるとありがたいです。」


とりあえず彼女はこのホテルにチェックインする事となった。

支配人が私に耳打ちした。


「あの企業のCEOの方ですね、理解しました。

精一杯おもてなしさせていただきます。」


彼女は銀河系に名だたる会社のCEOの一人だ。

極めて有能、決断力に富んでいる。

気の張る客だろうがホテル側としてもぜひとも欲しい上客だろう。


一時間もしないうちに彼女が用意を済ませて降りて来た。

さすがに早い。


「ご案内しましょう。」


私は運転手に行先を告げた。


「お手数をおかけします。」


私が頭を下げると彼女はため息をついた。


「いいのよ、私も少し苛ついていたから悪かったわね。

寒いのは苦手なのよ。」


以外と素直な言葉だ。


「アクセサリーはおとりになったのですね。」


先程までつけていた沢山の宝飾品が何もなかった。


「秘書から寒いからつけていちゃダメと言われたわ。」

「そうですね。それと秘書の方は。」

「置いて来たわ、ほっとしてるんじゃない?」


私は窓の外を見る。

白く凍った海が見えた。


この星は凍結している。


海も底まで全て凍っている。

だが、その海にも生き物がいる。

氷の中で生きているのだ。


やがて目的地に着いた。


切り立った崖のように見えるところだ。


「ここです、海の氷が切り出されています。」


広々と凍った海が切り出されていて、両側に崖のように切り立っている。

少し離れたところで先程の観光客が氷の崖近くを覗き込んだり、

そこを背景に写真を撮っているのが見えた。

私達や観光客は海の底に立っているのだ。


私と彼女はヘルメットを渡され、氷を切り出す現場に向かった。


「いらっしゃったか。」


そこの現場監督が私のそばに来た。

彼はセイウチのように大きな体をしていた。

ヘルメットをかぶった私と彼女を見降ろすと太い声で言った。


「完全なる真珠を欲しいのはあんたか。」

「ええ、そうよ。」


彼女は巨漢を見上げてくっきりと言った。

現場監督はははと笑う。


「あんたは運が良い。わしらでもほとんど見た事がないものだ。

こちらに来てくれ。」


私たちは氷の崖に近づいた。

氷の中に魚影が見える。


「この魚は生きてるの?」


彼女が聞いた。


「生きているのです。不思議でしょ?

じっと見ていると動かないんですが、

少し目を離して元の所を見ると移動したりいなかったりするんです。」

「そうなの?」


私が答えると彼女は立ち止り、しばらく崖を見ていた。

そして、


「どうして?凍っているんでしょ?」


現場監督が笑った。


「面白いだろう、それがこの星の不思議なんだ。

観光で見るものはこれぐらいしかないが、それでも客が途切れん。」


彼女はあっけにとられた顔をしたが、すぐに笑い出した。


「面白いわ、変わってるわね。

この星に呼ばれて寒いから嫌だったけど今は楽しくなって来たわ。」


機嫌が治ったようで私もほっとした。

そして大企業のCEOなので気難しい性格と思ったが、

思ったより素直な人なのだろうと感じた。


そして私達は見上げるような氷の崖下に連れていかれた。

ここは氷を切り出す工事現場だ。

回りは氷を出している最中でかなり騒がしい。


「これですよ。」


現場監督が指さす。


氷の中に手のひらぐらいの貝があった。


灰色の地味な貝で口が大きく開いている。

貝の中身が見えているが、そこが微妙に歪んで見えた。


「球体のようなものが見えませんか?

回りの氷と違うと言うか。」


私が言うと彼女は氷に近づき穴が開くほど見ていた。


「ここの氷は塩水えんすいが凍った塩氷しおごおりです。

ですがあの貝の上のあるものは真水が凍った物です。

屈折率が違うのであのように見えます。」

「じゃああれが完全なる真珠?」

「真珠ではありませんが球体の氷です。」


彼女は腕組みをした。


「それとわざわざお越しいただいた訳は、」

「なに?」

塩氷しおごおりから出すとあっという間に溶けます。」

「溶ける?寒いのに?氷よね。」


現場監督が答える。


「氷と言ってもこの星独特の塩氷しおごおりなんだ。普通は塩水えんすいは凍らねえ。

だから真水の氷も普通じゃないのかもしれん。

何十年もこの仕事をしていて今まで数回見つけたが、

大気に触れて一分もしないうちに消えちまう。

だから俺もこの真珠が塩氷しおごおりから出された瞬間は見た事がねえんだ。」


美しい猫人は眉をひそめてしばらく考えた。


「私は完全なる真珠と言う極めて珍しい宝石が欲しかったの。

誰かが大きなそれをつけていたけどあれは偽物だったのね。

本当の完全なる真珠はすぐに消えてしまう儚いもの……。」


彼女は監督を見上げた。


「切り出してちょうだい。

そしてみんなでその真珠を見ましょう。」


すぐに貝の部分は切り出され、

貝の周りだけに氷が残された状態で彼女の前に出された。


彼女が軽く金槌をふるうと氷は二つに割れて貝がむき出しになった。


そして微かな輪郭の氷が見えた。

大き目の飴玉のようなつまめるぐらいの淡い完全なる真珠だ。


みながため息をつく。


彼女はそれをつまんで少し見て、


口に入れた。


あっという間の出来事だ。


みなあっけにとられて彼女を見た。

彼女の頬がもごもごと動き、そして膨らみは消えた。

周りの人は全て言葉もなく彼女を見つめる。


彼女は笑い出した。


「なに、みんなの顔、おかしいわ。」

「いや、その、あまりの事で、

監督、今更だが毒性とか大丈夫だろうか。」

「ただの水だから大丈夫だと思うが、

魂消たまげたな……。」


彼女は朗らかに笑い続けた。


「こんなに面白かったのは久し振りよ。

みんなありがとう、苦労を掛けたわね、

その苦労に応えてみんなに金一封を差し上げるわ。

あなたの会社に働きかけるわよ。」


彼女が監督の腹を肘で軽く小突いた。

セイウチ顔が緩んだ顔になる。


彼女は帰り道も上機嫌だった。


「あのう……。」


私は恐る恐る彼女に話しかけた。


「大変恐縮ですが、報酬の方をお願いしたいのですが。」

「ああ、そうね、お支払いしなきゃ。」


彼女の機嫌を損ねたくはなかったので静かに切り出したが、

その心配もない様だ。


「おいくらだったかしら。」

「これほどお願いしたいのですが。」


私はキャッシュポケットを取り出し彼女に見せた。


「あら、思ったより良心的ね。」

「正直が一番と思っていますので。」


私は笑った。

彼女が送金をする。

私はそれを受けてキャッシュポケットを見た。


「あ、お間違えでは。」


一桁丸が多かった。


「良いのよ、あなたはそれだけの仕事をしたわ。

黙って受け取りなさい。ありがとう。」


私は少し戸惑ったが、


「苦労が報われた気がします。ありがとうございます。」




ホテルが近くなった頃、彼女がぽつりと言った。


「あの真珠が偽物だったとはね。」


現場で彼女が話したことだろう。


「ずいぶん自慢していたから悔しくて探してもらったけど、

あの人も私ももう見栄だけだったのね。」

「でもCEOとしてはそれなりの見栄も必要なのでは?」


少しばかり強い言葉だ。


「そうよね、見た目も大事よね、

でもここに来て宝石とか全部取ったら楽になったの。

何もつけていないと軽いわね。」


彼女は外を見た。


「私も昔はヘルメットを被って現場にいたのよ。」


思い出すように彼女は言った。


その後、彼女は数日その星に滞在し、

氷の切り出し現場に何度も顔を出したそうだ。

約束通り金一封が配られて、

彼女が現れた時はお祭り騒ぎだったらしい。


そしてあの星で新しい観光施設の開発計画が発表されたのは、

一年後ぐらいの事だった。


当然最高責任者に彼女の名前があり、

環境に配慮した画期的な施設である事が高く評価されていた。


私はそのニュースを新聞で読んでふと思い出した。


あの氷の味を聞くのを忘れたなと。


一体どんな味だったのだろうか。


きっと彼女には

昔を思い出させるような味だったのだろう。




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