7 音の記憶
列車は巨大な惑星の脇を掠める様に走っていた。
眠くなるような緩やかなカーブが続く。
「この線路は螺旋階段のように惑星の表面まで続いているんですよ。
まるでレコードの溝のように。」
ぼんやりと窓の外を見ていた私に、前に座っていた男が話し掛けて来た。
「レコードと言うと大昔の?」
私は答えながら彼を見た。
見た目は普通の人だったが、耳がとても大きい。
顔の横にそれはあるが、まるで大きな花びらのように柔らかく丸みを帯び、
向こうが透けそうな薄い桃色をしていた。
「そうですよ。見た事はありますか?」
彼は少しうれしそうに言った。
「ええ、ありますよ。蓄音機とともに一度店に置いた事がある。」
「店と言うと。」
「いわゆる骨董屋というものです」
私は自分の店を思い出した。
古い商店街の中にあるその店は
しかし、私はそこのオーナーではあるがほとんど何もしていない。
探し屋としての仕事の合間に見つけた価値がありそうなものを
たまにそこに持って行く。
「お店をお持ちとは羨ましい話だ。」
「しかしほとんど売れないし、私は旅暮らしですよ。」
「ははは。」
彼は笑うと窓の外を見た。
目的の地の惑星はまだ遠かった。
目の前にあるのだが、引力の関係かここでは時間をかけてそこまで降りて行く。
「聞こえますか?」
向かいの男が突然言い出した。
「なんでしょう?」
私は聞いた。
「この線路の音ですよ。」
「線路の音?」
「唄っているんですよ。」
「唄ですか。」
男は自分の耳をさすった。
「人より大きなせいか色々な音が聞こえるのですよ。」
「ほう。」
「だから列車の音と一緒に線路が唄っているのが聞こえる。」
男は遠い目をして外を見た。
「何を唄っているのですか?この路線は。」
「いや、分りません。」
男は苦笑いをして手を振った。
「自分から唄っていると言いながら分からないなんて締まりませんな。
申し訳ない。」
「そんな事はありませんよ。不思議な話で面白いです。」
「そうですか。」
男は少し嬉しそうに微笑んだ。
「分からないと言ってもたまに景色が見えるんですよ。
あれは何だろうな。今もずっと聞いていましたが、
固い景色や闇の姿とか、一体何でしょうな。」
「……さあ、さっぱり。」
私達の話は一瞬途切れる。
その奥で定期的に振動のある列車が走行する微かな音が聞こえた。
「今思いついたのですが、」
私はしばらくその音を聞いて彼に言った。
「レコードは音を記録するものですよね。
それは外部とは遮断された場所で録音されていますが、
もし外で録音したらどこまで記録されるのかってね。」
「ふむ。」
「思いも寄らない音まで録音されるはずですよ。
後から聞いてびっくりすると思うのです。」
「人の耳は案外と都合の良いものだけ聞こえるようになっていますからな。」
彼は目を閉じた。
再び規則正しい音が聞こえる。
外の景色は相変わらずで降りるはずの惑星の姿はほとんど変わらない。
緩いカーブは軽い遠心力がかかり、どことなく心地良い。
気がつくと私はいつの間にか眠っていたらしい。
目が覚めると耳の大きな男はそこにはいなかった。
私が眠っていたので飽きて行ってしまったのかもしれない。
大きく伸びをすると私は立ち上がり背を伸ばした。
彼がいなくなってしまったのは別に大した事ではなかった。
相手が寝てしまってつまらなくなったのは当たり前だ。
誰もまだ列車から降りられないし、彼はここのどこかにいる。
侘びを言うチャンスはまだあるのだ。
私は小腹が空いたのを感じ、
列車の車内販売を捕まえようと歩き出した。
しばらく歩くと、
客車と客車の連結部分の小さなテラスに
先程の耳の大きな男が立っているのを見た。
「おや、目が覚めましたか。」
彼はにこにこと笑いながら私に声をかけた。
「申し訳ありません、途中で眠ってしまいました。」
「気になさらずに。私こそつまらぬ話をしてしまって。」
彼は頭を掻いた。
「ですが、私はあなたの話を聞いて思いついた事がありましてね、
あなたが寝てしまってからずっとここで外を見ていたのですよ。」
「何を思いつかれたのですか」
「どこまで録音されるか、って事です。」
彼は線路を見た。
金属の路線は光を受けて輝きながら流れている。
固体ではあるがまるで水のようだ。
「ふと思ったのですが、私が聞く音は線路の記憶なのではないかと。」
「記憶ですか。」
「ええ。列車の車輪がレコードの針ですよ」
彼は遠くを見た。そこには流星雨の川がある。
銀白色に輝く流星雨の川は上流で嵐でもあったのだろうか、
かなりの水量があった。
「川の上を通ると水の景色が見えるんですよ。」
やがて列車はそこに近づく。彼は目を閉じた。
「白い光のような強い圧力と冷たい音がします。
体が持って行かれそうだ。」
私は川を渡る橋から下を見ながら彼の言葉を聞いた。
星の一つ一つが鋭く輝いて川の流れを作っていた。
その間を巨大な魚が流れに遡って泳いでいる。
彼は目を開けた。
「多分あそこの線路は川に浸かった事があるはずですよ。」
私は彼を見た。
「では先程言っていた固い景色や闇はなんでしょう」
「よくは分りませんが、まだ線路が鉱物だった時の記憶でしょうか。」
「ふむ。」
私は彼の話はさっぱり分からなかった。
だが、大きすぎる耳を持った男は
確かに人とは違う音が聞こえているようだった。
「大変興味深い話ですな。
ところでそろそろお昼ですがよろしければご一緒に食事でも。」
私は彼を誘った。
「ああ、確かに腹が空いてきましたな。
惑星に降り立つまでまだ半日ある。
こちらこそお付き合いいただけるとありがたい。」
彼と私は連れ立って食堂車に向かった。
そして半日が過ぎ、私達は駅で別れを告げた。
その時彼は私の店の場所を聞いたので名刺を渡した。
それから半年した頃か。
旅先で列車に乗っている時に、
万年青から耳の大きな男が店に蓄音機を買いに来たと連絡があった。
彼はたまたま入荷していた蓄音機と数枚のレコードを買って行き、
万年青にあの人によろしくと伝言を残した。
私は真っ暗な窓の外を見た。
彼は蓄音機を買って昔のレコードを聞いているのだろう。
そこから聞こえる音にはどんな記憶があるのか。
私は外に目を移す。そこには星しか見えない。
私は目を閉じた。
耳元に規則正しい線路の音がする。
だが残念な事に私にはその音しか聞こえない。
あの男にはこの音の向うに何か別のものが見えるのだろう。
私の旅はまだ続く。
だから別の楽しみを知っているあの男を、私はとても羨ましいと思った。
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