6  銀蝋のマドンナ





光彩こうさい宙港から極彩色ごくさいしき鉄道に乗る。

宙港のある翁草星おきなぐさせいはこの辺りでは一番の都会だ。

都会の空気はどこでも一緒だ。

きらびやかな眩しい光とその奥にある闇、

笑わない目のにこやかな表情の男達と

抜け目の無い仕草の女達。


私は宙港のカフェで行き交う人を見ながら、

一人用のテーブルが並ぶ一角で

香りの良いコーヒーを飲みながらぼんやりとしていた。


私はこれからクライアントの元に向かうのだ。

送られて来たのは銀蝋星ぎんろうせいに向かうチケットだった。


私は胸元からそれを取り出し眺めた。

初めて行く星だ。

そして銀蝋星には一つの逸話がある。


銀蝋のマドンナだ。


銀蝋星に唯一住んでいる生き物。


私を招待したのはその人かどうかは分からないが、

少なくともその星には行ける。


その時だ、隣に座っていた人が立ちあがり拍子に彼の肘が私に当たった。


「やあ、失敬。」

「ああ、構いませんよ。」


その人物は立ち止まり私を見下ろした。

私は不思議に思ってその人物を見上げたが、

妙に焦点が合わずまるで影のようにしか見えない。


「なにか、私に御用でも。」


私は彼に聞いた。


「これまた失礼。あなたは異星の方ですか?」


涼やかな声が私に聞く。

だがその凛とした声の印象とは別に

彼は黒い煙を固めてとりあえず人型にしただけの

ぼんやりとした姿だ。


「ええ、まあ。」

「僕も遠い所から来たのです。」


時間でも持て余しているのだろうか。

実はこの私もそうだった。


「ちょっと長い間故郷を出ていましてね、僕は千五百年ですよ。」

「そうですか、それはそれは。」


千五百年と言えば私には悠久の時間だが、宇宙には色々な人がいる。

時間の感覚も様々だ。

彼にとって千五百年はちょっと長い間らしい。


「ところであなたは?」


煙人えんじんは私を覗き込むように言う。

私はぼんやりとした輪郭を見ながら

一体どこを見ながら喋ればいのか迷ったが、

とりあえずその中心を見る事にした。


「私は銀蝋星までビジネスで。」

「……おお。」


彼は感動したように大きく手を広げた。


「となると依頼主は銀蝋のマドンナでしょうか?」

「いえ、分かりませんがマドンナの事はご存知ですか。」

「銀蝋のマドンナは男の憧れの素晴らしい存在ですよ。僕も会ってみたい。」

「あなたはお会いした事があるのですか?」


彼は首を振った。


「いえ、会える訳がありません。

何度か極彩色鉄道の鈍行に乗ったのですが、

その星にすら寄れなかった。

あそこには選ばれた人しか行けないと聞きましたが、

そうなのでしょうか?」


煙の人は羨ましそうに言った。


「まあ私は決められた時間の鈍行に乗れ、と

言われただけでそれ以上は知りません。」


私は冷えてしまったコーヒーを飲んだ。

そろそろ時間が来る。

それにこの好奇心の強そうな旅行者は

私に着いて来そうな気配すら漂わせていた。


「そろそろ私は失礼しますよ、時間なので。

有意義なお話をどうも。」


私は立ち上がると手を差し出した。

彼は残念そうにその手を握り返した。

全く感触が無い。


「僕も出来れば着いて行きたいですな。」


私は苦笑いをしてそこを離れた。



極彩色鉄道の始発駅は路線が無数にある。


私は送られた切符を差し出し、構内に入った。


わんとした空気が流れて様々な形の列車が並んでいる。

人々がミルクを流し込んだような構内を歩き回り、

それぞれに喋っていた。


私がうろうろと歩き回っていると、犬顔の駅員が話し掛けてきた。


「お困りですか?」

「ああ、これに乗りたいんだが。」


私は切符を差し出した。

駅員はそれの匂いをかぐと、


「ここを真っ直ぐ行かれて奥から三番目の路線ですよ。

霧が深いので足元の青いタイルを目印に行かれると良いでしょう。」


と言った。


私が足元を見るとそこには

湖のような青いタイルがずっと続いていた。


「しかし、この駅は霧が濃いですな。」


私は駅員に言った。


「それがこの駅の名物でもありますね。

駅員は犬ばかりで鼻が効くのであまり困りませんが、お客人には辛いでしょう。

たまに遭難者が出ますよ。」

「君の鼻が羨ましいね。」


私はそう言うと足元を見ながら歩き出した。


青いタイルはゆらゆらと揺らめいている。

見ていると酔ってしまいそうだったが、

見失うと私も遭難してしまうだろう。


やがて駅の端まで来るとさすがに外気に触れて霧が薄くなり、

構内の壁が見えてきた。


「あれかな?」


そこには煤けた赤い色の古ぼけた電車が一両あった。

その車体に薄い鉄板にかかれた「銀蝋」の看板がある。


開かれた扉から中に入ると木製のベンチ椅子が

進行方向に向かって並んでいた。

仕切り板で隔てられただけの運転席には

運転手が俯いてメーターを見ているのが少し見えた。


まだ発進するまで時間があった。

私は自分の足元を見た。


油を染み込ませた黒い床板が妙にベタベタする。

きっと私の靴裏は汚れてしまっただろう。


その時だ。


「おお、ここでしたね。」


あの煙の紳士だ。

彼は客車に入り込むと私の隣に座った。


「着いて行くのに必死でしたよ。

ここは見通しが悪いので。」

「失礼ですがあなたはこちらにご用事があるのですか?」


私は少々冷たい声で言った。

依頼主とこの仕事の秘密を守るようにとの契約は特には無かったが、

連絡も無く別の人間を連れて行っては相手も嫌だろう。

しかも先ほど初めて会った人物などは論外だ。


「いやもう気になさらずに。

僕にとってこんなチャンスは二度とありませんから。」


彼は知ってか知らずか惚けた感じで言う。


「いえ、そんな話ではなくて、

別の人間を連れて行っては都合が悪いと言うことですよ。」


だが、その瞬間列車の扉は閉まってしまった。

そして細い警笛が鳴る。


「ほら、行きなさいとの響きが。

お付き合いしますよ」


煙の紳士は嬉しそうに言う。


「お願いですから列車からは降りないで下さいよ。」


私は念を押した。

それでも彼は降りて着いて来るかもしれない。

私はどうしようかと思った。


列車はゆっくりと翁草星を離れた。


鈍行のせいか特急なら近くの星が流れていくが、

動かない点のまま宇宙に浮かんでいた。

宇宙風うちゅうふうが虹色に輝きながら

形を変えて遠くへと消えていく。


「銀蝋のマドンナは、」


煙人が言う。


「永遠の乙女と言いますね。

孤高の処女。」


私は返事をしない。


「銀蝋星にたった一人で住んでいる女性。

ほとんどの人が見た事も無い謎の人。

僕は会った事のあると言う人に話を聞いた事はありますが、

あまり多くを語りませんね。」


私は前を見た。

行き先には漆黒があり、

電車のヘッドランプが果ての無い闇を照らしている。


運転席の後には白く濁ったガラスが立てられて、

直接は運転士は見えないが、辺りは妙に暗く沈んでいる。

その暗闇に蒼白いメーターの光が浮いている。

彼は身動き一つしなかった。


古い車両に見えたが、

どうやらそれは見かけだけの事で

実際はそれほど古い電車ではないらしい。


「彼女は孤独に耐えて生き続ける素晴らしい女性。

美しいらしいですよ、彼女は。」


煙人は私に構わずうっとりと喋りつづける。

私は遂に返事をしてしまった。


「白銀のように脆く危うい存在。

夢の世界の貴婦人……。」


ははと煙人は笑う。


「そのようにも例えられますね。」


私が返事をした事で彼は満足したのか、

彼は窓辺に肘をかけて景色を眺め出した。




外の景色は既に姿を変えていた。


所々に放牧されている星和牛ほしわぎゅうが見える。

星々の間で飼われている食用の牛だ。

牧歌的な景色が続く。


私と彼は喋る事も無く窓の景色を見ていた。


そしてふと気が付いた。


列車には他の乗客は誰一人としていなかった。

地方へ向かう列車ではあるが他に一人もいないと言うのは滅多にない。


「まるで特別列車だな。」


私は呟いた。


「知っていますか。」


唐突に煙の紳士が喋り出した。


「命の片割れを。」

「片割れですか?」


謎の言葉だ。


「生き物にはどこかに自分と対になる者がいるのですよ。」

「男と女のようにですか?」

「宇宙には色々な生命体がいるので様々な生殖方法がありますが、

二つの性が融合して増えることが多い。」


同種の生き物が生殖細胞から一つの命を作り出す仕組みは、

この宇宙でもスタンダードな方法だ。


「僕もね、探していたんですよ。

片割れを、ね。」


少しばかり私はぞっとした。

会ったばかりの者からまるで妄想染みた話を聞かされるとは。

何しろ一両編成のこの列車には、運転手と私と煙の紳士しかいないのだ。


「勘弁してくださいよ。

片割れって誰ですか?まさか、」


私ですか、

言いかけた時、紳士が笑い出した。


「違いますよ、すみません、説明しなきゃ駄目ですよね。

僕の片割れは銀蝋のマドンナですよ。」


私はあっけにとられた。

それこそ妄想としか思えない。

この男は狂人なのだろうかと思わず私は腰のレーザーガンを確かめた。


「彼女は卵子です。

僕は精子。

千五百年前にそれぞれ宇宙のどこかから生まれ出でた生命いのちの欠片です。」


本当なのかどうかまだ分からない。


「それがどうしてここにいるんですか?」

「彼女は精子を招き入れるためにあらゆる方法を試します。

多分僕の同胞も何かしらの方法で銀蝋星に向かっているでしょう。」

「どうして私が銀蝋星に向かうと知ったのですか?」


彼は自分の胸元を差した。


「あなたはコーヒーを飲みながらポケットからチケットを出したでしょ、

あれを見たのです。」


カフェに座っていたあの時だ。

多分にやにやしながらチケットを見ていた私の後ろから覗いたのだろう。


「僕が銀蝋星に行くために選んだ方法は、

そこに向かう人を探すことでした。」

「……いつからですか?」

「千五百年前からですよ。」


大宇宙鉄道の歴史は古い。

いつからあるのか分からない程だ。

当然翁草駅や極彩色鉄道がいつからあるのかもはっきりしない。


その構内で煙人は千五百年間、

人のチケットを覗き続けていたのだろう。


「銀蝋のマドンナがあなたにチケットを送ったのは、

精子がそこにたどり着くための一つの方法だと僕は悟った。」


何となく背筋がぞわぞわする。


「それを見つけた僕は彼女にある意味選ばれたのだ。」


何かに狂信するもののような言葉だ。

私は何も返せず言葉を飲んだ。


やがて遠くに銀蝋星が見えて来た。


白っぽい真球の星だ。

中まで均一な成分で出来ているので、惑星ではないのかもと言われている。


そして調査に入った者が稀に巨大な女性が、

星の表面を歩いているのを目撃している。

それが銀蝋のマドンナの由来だ。

まだ映像に残された事が無く目撃談しかない。


見た者は全て


「巨大だが、白く銀色に輝き、

長くトレーンを引くような衣を纏った美しき女性。」


と言う。


星が見えてくると煙人がそわそわとし始めた。


「まだ星の様子は変わっていないですよね。」


早口でしゃべりかけて来る。


「そんな様子ですよ。」

「まだ誰もたどり着いていないと思うが……。」

「……もし、」


少しばかり人聞きの悪い事が聞きたくなった。


「あなたが二番目だったらどうなるのですか?」

「……!……。」


頭を抱えて彼が呻く。


「止めて下さい!そんなことを言うのは!」


相手の顔は煙だが、私をしっかり睨んでいるのが分かった。

思い付きで相手をつついて怖い思いをしたのは私が悪い。


冷や汗をかきながら、

レーザーガンは持っているが煙の体には当たるのだろうか、と思った。


そして、列車は銀蝋星に降り立った。


小さな小さな駅だ。

この星にはこの駅しかない。


扉が開いた途端、煙人は列車から飛び降りた。


よろめきながら走り出す。


私も慌てて彼について行く。


「君、列車はいつ発車する?」


私は運転手に聞いた。


「アナタが戻ったらスグ。」


彼は生き物ではなかった。アンドロイドだった。

どおりで生き物の気配がしないはずだ。


先に行ってしまった煙人に追いつくと、

彼は笑いながら空に向かって手を広げていた。


「僕が一番だ、誰もいない!」


彼は私の手を握ると大きく振った。


「ありがとう、ありがとう!

あなたは僕の愛のキューピットだ!」


銀蝋星には何もない白っぽい平らな大地が広がっている。

だがすぐ近くの地面が徐々に盛り上がって来た。


その盛り上がりはふわふわと広がり、

あっという間に見上げる程の人型になった。


「ああ、ああ……。」


煙人が歓喜の声を上げる。


人型は白いドレスを纏った巨大な女性の形を取った。

その女性も煙人に手を広げた。

彼が駆け寄る。

その周りに光が満ち溢れるような景色だ。


その時、


「待って下さい!」


私は叫んだ。

二人がそのまま止まりこちらを見る。


「お支払いをお願いします。」







「待たせたね。」


私は列車に戻りアンドロイドに声をかけた。


彼がどうしてアンドロイドなのか。

よく分からないが、万が一の時に生きている者を運転手に選んだら

事故に遭うかも知れないからだと思った。


客の私はどうするのかと思ったが

会社側からすれば自ら進んでこの星に行くから、

少しばかり不満だが自己責任と言う事なのだろう。


「発車させてヨロシイデスカ。」

「頼むよ、早く戻りたい。」

「……シバラクお待ちください。接近物アリ。」


その時、近くに小さなロケットが下りて来るのが見えた。

個人用だろうか。

まるで墜落する勢いで着陸し、すぐに中から人が出て来た。

あの煙人とそっくりの人だ。


彼はよろよろと少し歩くとばたりと倒れた。

着陸のショックか間に合わなかった落胆か。

どちらにしてももう彼には未来がない。

助けようがないのだ。


空を見るとぽつぽつ光がある。

ここが目的のロケットだろう。


「出せるかい?」


私はアンドロイドに聞いた。


「イケそうです。出発シマス。」


列車がゆっくりと走り出す。

彼らの宿命とは言え気持ちの良い景色ではない。


私は勝者となった煙人を思い出した。


千五百年待ち続け運も味方につけて勝ったあの煙人。


「お支払いをお願いします。」


と言うとキャッシュポケットを出すと、


「全額あげるよ、もういらないし。」


と言った。

確かにそうだが、


「足りません。」


彼のキャッシュポケットには残金がほとんどなかった。

すると銀蝋のマドンナがキャッシュポケットを出した。


私は彼女の高貴なイメージにあまりのそぐわなさにびっくりしたが、

このチケットも彼女が送って来たのだ。

お金を持っていても不思議ではない。

それにもらうものはもらわなきゃいけない。


巨大な体の下の方から小さな手が現れてキャッシュポケットを操る。


「この額をお願いします。」


私は提示する。

そして彼女のポケットを見ると、やはり足らなかった。


煙人が申し訳なさそうに言う。


「あのう、新しい生活を始める私達、若者にご祝儀と言う事で……。」


確かに若い人の中にはお金がなく苦しい中から愛の巣を作る人も少なくはない。

そしてその無計画さは若さ故だ。


だが、


「多分あなたたちは私より遙かに年上ですよ。」


恐縮しているのか小さくなり座っている

銀蝋のマドンナは正直言って面白かった。


「仕方ありません。あるだけ頂きます。」


次はありませんよと言いかけたが、

多分彼らとはもう二度と会えないだろう。


必要な作業を終えて、

彼らは今度は本当に抱擁した。


白く半透明に輝くマドンナに包まれて溶けていく黒い煙人は、

今まで感じた事が無い程の歓喜に包まれていただろう。

その景色は少し羨ましかった。



私は帰りの列車から外を見た。


白っぽい星が遠ざかる。


この星がどう変わるのか私には分からない。

千五百年と言う長い時間生き続ける彼らの生態は全く分からない。

その変化の瞬間に私が携わったのは少しばかり誇らしかったが、

あのキャッシュポケットの中は寂しすぎた。


二人が消えた後にもう使わないポケットが大地に捨てられていた。


本当の愛に出会った時には

全てをうち捨てても貫くことが出来るのだろうか、と思った。


私は出来ない。

生きて行くにはやはりお金も大事だからだ。


「すっかり世俗にまみれてぇ……。」


適当に節をつけて歌う。

ちらとアンドロイドがこちらを見る。


彼が人ならもやもやとしたこの気持ちを

話すことが出来たのにと思った。


星がぼんやりと光る。


放牧の牛が遠くで座っていた。

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