4  星の宮駅




白銀鉄道が新ノ川を越えて、

ゆっくりとカーブを描きながら昼の中に入って行くと、

やっと星の宮駅が見えて来た。


小さな駅だが、

近くに大きな恒星があるので誰かが必ず下車して行く。


私は重い鞄を持ち上げて列車から降りた。

ずっしりとした重みで、私は思わず両手で持った。


中には『日々の悩みの種』が入っている。

私が色々な所から集めた種だ。


大体誰もが喜んで渡してくれる。

難点は小さいくせにかなり重い事だ。

私は昔からの馴染み客のためにそれを運んでいる。


その客はずいぶんと金払いが良い。

かなりの上得意だ。


だがいつもなんとなく気が重い。

鞄の中の「ブツ」のせいなのかはよく分からない。


降り立つと小さな駅には珍しく私一人しかいなかった。


改札には陽炎の駅員が立っていた。

いつも薄くてゆらゆらしている奴だ。


彼は私の切符をすっと取ると、

丸めて自分の口に入れてしまった。

相変わらず妙な性癖だ。

腹の中で切符がぼんやりと浮かんでいる。


私は鞄を抱えて駅の前で立っていた。

馴染み客の迎えが来るはずだった。


駅のローターリーの真中には申し訳程度の小さな花壇があった。


恒星から流れてくるちりちりした乾いた風が、そこを通り過ぎる。

咲いている花がその瞬間乾いてぴんと伸びると、

次には根から水を吸い込むのかあっという間にふんわりと咲く。


そんな様子をしばらく見ていたが、

全く迎えが来る様子も無く時間はどんどん過ぎて行った。


(タクシーでも捕まえて行ってみようか、それとも帰ろうか。)


このままでは帰りの列車に乗れなくなる。

それを逃すともう今日は帰れないので

客の屋敷に泊まる事となる。

それはなんとなく気が進まなかった。


この種はある意味では客の道楽のようなものだ。

無くても特別困りはしない。

来ないのは今はいらないという事かもしれない。

一度連絡を取って帰れるものなら帰ろうかと思った時、

一台の車がやって来た。


「遅くなりました、申し訳ございません。」


そう言いながら車から降りて来たのは一人の猫人ねこびとだった。


光り輝く真っ白な毛並みの女の猫人は伏目がちに私のそばに来た。


「申し訳ございませんでした。

いつもの運転手が急な用事で出払いまして……。」


何所どこの星の出身か分からなかったが、実に美しい猫人だった。

毛皮がぬめりとした光を持ち、足音も無く近づいてくる。


「私は大主獏オオスバクの家内でございます。

お初にお目にかかります。」


ふわりと麝香の香りがする。

少しぞくぞくした感触を感じながら、私は彼女に答えた。


「いえいえ、待つ事も商売ですから。

ところで大主獏様はお元気ですか。」


大主獏とはとてつもない年寄りの獏の事だ。

正確な歳は分からないが、

本人の言う事には宇宙が出来てまもなく生まれ出でたそうである。


『恐竜の夢は大味だったが、人の夢は複雑な味で美味い』そうだ。


その大主獏がここ何百年かのお気に入りが、

人々の『日々の悩みの種』だった。


元々悪夢を食べる獏だが、

実際の悩みを食べるなど悪食も甚だしい。


「口が悪くて困っております。

でも元気で食欲だけは人一倍ですの。」


猫人の話を聞きながら車に向かうと、

黒塗りの大仰な車の扉を端正な顔立ちの若い男が開けてくれた。

館の使用人だろうか。

以前は見なかった顔だ。


私が先に乗り込み、婦人が後に続いた。

若い男は猫人の手を取り、入りやすいように導く。


ぎゅっと彼の手を掴んだ彼女の赤く整った爪が妙に光る。

その色はなんとなくいかがわしい。

私は自然と見ないふりをした。


「出しておくれ。」


猫人は男に声をかけた。


車はゆっくりと走り出した。

運転席と後部座席の間は昔の車のようにガラス窓に隔たれていた。

こちらの声はあまり聞こえないだろう。


バックミラーでちらちらと男がこちらを伺っている。


「おほん。」


私はわざとらしく咳払いをした。


「相変わらずお元気な方ですねえ。

今度の種もかなり急かされましたから、慌てて集めましたよ。」


車は既に町を抜けて森に近づいていた。

窓の外には細く白い幹を持つ木が見えていた。


「ええ、そうですわね……。」


彼女は外の景色を見ながら上の空で答えた。

その時、バックミラーの男の目がじっと私を見ているのに気が付いた。


「??」


そして車はさっと脇道に入った。

それはいつもとは違う道だった。


私は身構えた。

何かあれば逃げなくてはいけない。

しかし、この悩みの種はどうする?

これを捨ててしまうには惜しい。

だが命も惜しい。


しばらく走ると車は止まった。

奇妙な沈黙が続く。


「あのう……。」


猫人の真剣な目が私を見る。

そしてバックミラーの目も私を見ている。


「お話があるのですが。」


彼女の手がそっと私の腕に触れた。柔らかな肉球を感じる。

思わず生唾を飲んだ。


「あの……、

私の悩みの種も持って行って戴けないでしょうか。」


私の肩から力が抜けた。


「色々あってとても苦しいのです。どうかお助けくださいまし。」


私は間近に彼女の目を見た。


左右の色が違う不思議な瞳の色は、

興奮しているせいか揺らめくように輝いている。

縦長の切れ込みのある瞳の奥は真っ暗な闇だった。


私は思わず大きくため息をついた。


「ええ、まあ、よろしいでしょう。しかし、突然の事で驚きましたよ。」


私は胸元から薄い緑の液体が入った小さなビンを取り出した。


「このビンの中にそれを取り出す薬が入っています。

少し苦いですが、

かっきり十ミリリットル計りますから、一気に飲んでください。」


私は小さな入れ物に液体を入れて彼女に渡した。


「しばらくすると吐き気がしますから素直に出してください。

なあに、小さな物だから大丈夫です。

咳が出るみたいに出て来ますよ。」


彼女はそれをクッと飲んだ。


白いハンカチを口に当てて彼女はしばらく顔をしかめていたが、

やがて真っ黒なビー玉ぐらいの丸いでこぼこした塊が出て来た。


「それがあなたの悩みの種ですよ。

それがなんであるか、私は聞きますまい。

さあ、お入れください。」


私は鞄の口を広げた。


彼女は白いハンカチ越しにそれをつまみ、鞄の中に入れた。

さすがに直接持つのは嫌らしい。


しばらくすると彼女は生気を取り戻し、にっこりと笑った。


「なんだか随分すっきりしましたわ。

少し辛くて涙が出てしまいましたが、お願いして良かったわ。」


バックミラー越しにこちらを伺っていた目も少し緩んでいる。

私もなんとなくほっとした。


再び車は走り出した。


「ところで、」


私は詮索好きと言う訳ではないが、

あの種を見てその元がなにであるか少し気になった。


「奥様は大主獏様の所へ来てもう何年になりますか。

私とは初めてお会いしますね。」

「そうですね、もう一年かしら。」


心のつかえが取れたからだろう。彼女の口は軽かった。


「親同士の約束で、

子どもの頃から大主獏様の所に行く事は決まっておりました。」


窓の外を見ながら彼女は言った。


「でもそれが嫌だった訳ではありませんの。

随分な年寄りですから、

ある意味ではお世話だけすれば良いと分かっていましたから。」


彼女が嫌々ながら輿入れした訳ではないらしい。

ならば彼女の『日々の悩みの種』とは何だろう。


だがこれ以上客の個人的な事に興味は持つのは良い趣味ではない。

その後は差し障りの無い話をしながら時間は過ぎていった。


そして森の向うに大きな屋敷が見えて来た。 

屋敷の入り口には整った顔立ちの若い執事が待っていた。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。」


以前はいなかった執事だと思いつつ、

運転手もかなりの美形だったが、この男も相当な美形だと思った。


静かに車は止まり執事が扉を開けた。


猫人と男はさっと目配せをする。


一瞬の視線の中に、ふと彼女の『日々の悩みの種』が何であるか

私にはなんとなく分かった。


だがそれはもうどうでも良い。

早く種を置いて帰ろう。


私は決心した。


大きな扉が開き屋敷の奥の奥に私は通される。


中に通され、老齢の仏頂面の執事にかばんの中を確かめられた。

彼は一つ種を持つと、ふんとでも言うようにそれをまた鞄に投げ入れた。


「大主獏様がお待ちですので、部屋までご案内いたします。」


長い廊下を歩いて行くとだんだん薄暗く、

空気が濃く重くなってくる。


その果てにある人の背丈の2倍もありそうな重々しい扉を開くと、

中には何とも言えない物が広がっていた。


「待ちくたびれたーよ、やっと来たねぇ。」


妙な発音の声が中から聞こえて来た。


広い部屋は薄暗く、床全体に毛皮が敷いてある。

だがそれは所々脈を打っている。


それは大主獏の体だった。


部屋一杯に風呂敷を広げたように

大主獏の体は広がっているのだ。


そしてその真ん中に

小さなつぶらな瞳の大主獏の顔があった。


「入っておいーで。種を見せておくれ。」


にこにこと笑いながら大主獏は喋りかけて来た。

足元のぐにゃぐにゃした感じが少し気味悪かったが、

私は顔の方に歩いて行った。


「大変お待たせいたしました。

まとまった量が集まったので、お持ちいたしました。」


私は鞄を開き中を見せた。


その中をきらきらとした目で大主獏は見つめた。


「一つおくれ。」


私は一番上にあった種を出すと大主獏の口に入れた。


彼はそれを目をつむりながらゆっくりと嘗め回し、味を確かめた。

部屋の中にそのしゃぶる音だけが響く。


私は居たたまれない気持になったが外に出る事も出来ず、

足元から立ち上る生暖かい大主獏の気配に少しめまいがした。


「おやおや、これはわしの家内の種ではないかーい。」


その言葉に私はぎょっとした。


まさかいきなり先ほどの種に当たるとは思わなかったからだ。


「ふむふむ、そういう事か、あの男となぁ。」


こりこりと噛み砕きながら感心するように大主獏は独り言を続けた。


私は何もしゃべる事が出来ずただ立っているだけだったが、

その様子に気がついたのかにやりと笑いながら彼は喋りだした。


「わしほど色々な種を食べておると、微妙な味まで分かるのさー。

だから誰だかも分かってしまうー。

家内はどうも若い男と出来ておるようじゃな。

一人二人じゃないのーう。


ふーむ、ふむ、

逢引の場所は庭の中の東屋かや。


ほうほう、こんな風に、

おうおう、たまらんのう。


まあそんな事はどうでも良いわい。


問題は家内らでわしをどうにかするつもりの様じゃ。


これはいかんわーい。」


「……私はこれで失礼致しましょうか?」


恐る恐る私は聞いた。

正直な所、このような話に巻き込まれるのは嫌だった。  


「そうじゃのう、こう言う話は内々でするものじゃ。」


私はそろそろと後ろに下がった。


「おうおう少し待ってな。中の種を一度全部出しておくれ。」


私は言われるままにそれをテーブルの上に広げた。

様々な形の悩みの種がある。


すると大主獏は鼻を伸ばし、一個一個丹念に匂いを嗅ぎ出した。


しばらく嗅いでいると、


「おうこれじゃ、これじゃ。」


と一つの種を探し出した。


「これは持って帰っておくーれ。

恒星の近くにでも捨ててくれれば、吸い込まれるじゃろう。」


大主獏は鼻でそれを器用につまむと私の手のひらに乗せた。

冷たく湿った鼻の感触が気持ちが悪い。


「これは毒じゃ。」


果物の種のような小さな黒い種だった。


「えっ!」

「どうもあれが入れたようじゃのう。だがこれぐらいじゃ、わしゃ死なーん。」


自分の悩みの種を入れた時、ハンカチにでも忍ばせてあったのだろうか。


「もう帰って貰って結構じゃよ。

お疲れだったのう。

一年ぐらいしたらまた持って来てくれるかーえ?」


私は深々とお辞儀をすると、その部屋を後にした。


長い廊下を戻ると仏頂面の執事が待っていた。

彼はすました顔で代金を払い、

私に出るように扉の外を指差した。


「いや、今帰っても戻りの列車が……。」


だが、ふと気がつくと私は星の宮駅のローターリーの前に立っていた。


恒星からの風が吹き、花がしおれたり立ち上がってしている。


狐につままれたような感じでしばらく立っていたが、

手元の鞄の重さに気がついた。


鞄の重さが今は全く違う。


中を見るとあの種は一つも入っておらず、

代わりに札束が入っていた。

調べてみるとあの種の代金と、余分に札束が一つ入っていた。


そして私の手のひらには黒い種が一つ。


私はびっくりしてそれを振り払おうとした。

だが何かが間違えて食べてしまうと危ないと思い返し、

ハンカチで包んでポケットに入れた。


私はさっぱり訳が分からなかったが、

あの年寄りの大主獏のことだろう、

人には分からない何かしらの力を使ったのかもしれない。


納得出来ない事だらけだったが、代金はちゃんと貰ったのだ。

私に文句がある訳が無い。


時計を見るともうすぐ帰りの列車が来る時間だった。


私は駅の中に行こうとした時、

駅前を警察の車がけたたましく何台か通って行った。


「何事だろうね?」


私は近くにいた陽炎の駅員に何気なく聞いた。

彼はゆらゆらと自分の体の形を変えた。

するとその体からラジオの音が聞こえて来た。

受信出来るように形を変えたのだ。


『……崖下で大主獏氏の車が発見され……

二人の遺体が……

よそ見運転ではないかと……』


遠くに警察の車の音が去り、

そしてまた違う方向から列車の音が聞こえて来た。


私は黙ったまま切符を駅員に見せると構内に入った。


騒がしく列車は止まり、溜息をつく。

私は中に乗り込んだ。

やけに鞄が重い。


札束一つ分、

心のつかえのように。


恒星が見えてきたら種は捨ててしまおう。

すぐに燃え尽きてしまって何も残らないはずだ。


ぎらぎらと光る恒星は揺らめいているはずだ。

あの奥方の瞳のように。


列車は走り出した。


恒星の風をごうごうと切って夜に向かっている。

窓から種を放り投げると、

私は音の煩わしさに思わず窓を閉めた。













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