3 和菓子 フラクタル菊
地平線までその輝く白は続いていた。
私は用意していたサングラスをかけた。
それをかけなければ
しばらくすると目が眩んで見えなくなってしまうだろう。
白い塩の大地を渡って来た風にはほとんど湿気は無く、
鼻先が少しばかりひりつく気がした。
この星に降り立つ前から私はこの白い大地を見ていた。
宇宙の中にぽつりと輝き浮かぶ白い星は美しかったが、
降りてみると本当に何もない所だ。
「主な産業は塩の出荷、か。」
星全体が塩の塊らしい。
星間列車が行ってしまって一時間ぐらいだろうか。
私の依頼主が来る時間はとうに過ぎていた。
塩のレンガで出来た駅は無人駅で周りに何もない。
「参ったな。」
私は呟いた。
相手から仕事を頼まれた時は信用できる人物だと思ったのだが
間違っていたのだろうか。
彼から探すように頼まれたのを私は持って来たのだ。
その時だ。
遠くの陽炎の中に一つの影を見つけた。
丸く大きい影だ。
どうやらゆっくりと近づいて来るようだ。
私はそれを待つ事にした。
そして三十分ほどしてそれが大きな巻貝のようなものだと分かった。
私はため息をついた。
多分こちらに来るまでかなり時間がかかりそうだ。
私は立ち上がりそちらに歩き始めた。
「いやあ、すまんかったの。
もっと早く着く予定だったが出掛けに色々あっての。」
近づいてみるとそれは見上げるほど大きな巻貝だった。
高さは十メートル以上はあるだろうか。
白っぽい貝殻にウミウシのような体がついている。
頭と思われる所に伸びた目が二つあり
口元には触手のようなものがいくつかあった。
伸びた目がゆっくりと動き上から私を見ている。
殻の途中に座面がつけてあり、その上から真っ白な顔の男が私に話しかけた。
男はそこから降りて来ると帽子を取って申し訳なさそうに頭を下げた。
「ちょっと焦りましたよ。誰もいないし。」
「すまんかった。どうぞ乗って下され。」
男が私に座面に乗るよう勧めた。
その時だ、ウミウシが触手で少し私を小突いた。
私はよろめいた。
「こら、何するだ!」
男が怒った声でウミウシの触手を引っ張った。
触手が一斉に縮む。
「大丈夫か、すまねえ、いつもはこんな事は無いんだが。」
「何ともないです、しかし、嫌われたかなあ。」
どうにか座面に乗ると男はウミウシを動かした。
ウミウシは巨大な足をひらひらと動かし始めた。
「すまねえ、朝からこいつの機嫌が悪くてなあ。
一番足が速い奴に乗って来たんだがなかなか動かんで。」
「まあいいですよ、ところでこの乗り物は貝のあるウミウシみたいなものですか?」
「そんなとこですわ。」
男はウミウシに鞭を一つ入れた。
「元々この星はほとんどが海だったが徐々に減っていって
塩だけが残って塩の星になったんですわ。
海にいた生き物もそれに合わせて
塩の大地に生きられるようになったんだとか。」
「ほう。」
「こいつの貝の中には水が入っとります。」
私は貝を見上げた。
太陽の光に透けてその中に液体のようなものが動いているのが見えた。
「わしらも同じように塩の中でも生きられるように
塩まるけになったんですわ。」
男は自分の手の平をこすり合わせた。
さりざりと音がして粉が落ちる。
「わしの顔も塩だらけだ。」
真っ白な顔のその男は私を見て少し物寂し気に笑った。
「ところで探し屋さん、わしが頼んだもの持って来てくれたかね。」
男が言った。
「え、ええ、ここにありますよ。」
私は手に持った鞄を見せた。
「そうかい、そうかい、ありがとうな。」
男はもう一度鞭を入れた。
一時間ほどかかっただろうか、ウミウシが一軒の小屋についた。
小さな家だ。
もしかすると自分で歩いた方が早かったかもしれないが、
こんな真っ白で何もない所では方向感覚がおかしくなるかもしれない。
「わしの塩田の小屋で申し訳ないが。」
何かが変だ、と私は思った。
私が頼まれて持って来たものは全く変なものではない。
堂々と自宅に呼んでもらっても良いはずなのに。
「こら!」
貝から降りた途端またウミウシが私を小突いた。
「また、すまんのう。」
やっぱり変だ、心に警報が鳴った。
「さあ入って。」
小屋は塩のレンガで出来ていて中には粗末な机と椅子があるだけだった。
私は恐る恐る入る。
一応腰には小型のレーザーガンは用意してある。
これでも今までそれなりに危ない目には遭っているのだ。
「さあ見せとくれ。」
男は椅子に座りこちらを見た。
彼の目が急にギラっと光る。
私は椅子には座らずテーブルに鞄を置いた。
そしてゆっくりと開く。
「依頼の品、和菓子フラクタル菊、です。」
それは菊の形をかたどった上生和菓子だった。
丸めた練切を鋏で一つ一つ花びらを作る。
練切は色を変えた何層もの球体でそれに切り込みを入れることで
花びらに色どりが加わる。
その切込みはフラクタルのようなのでこの名がついたらしい。
今の時代、天然の素材で加工まで全て人の手で作られた手作りなのだ。
そして多分上品な甘みがあるだろう。
極めて珍しく、かつ人気がありなかなか手に入らない。
私はそれをこの男から依頼されて探し出したのだ。
男の喉が鳴る音がした。
「素晴らしい。」
男が呟いた。
確かに素晴らしい。
だがこのような所で見るものではない。
品の良い美しいものだ。
他人に見せびらかしてもおかしくない。
「食べて良いだろうか。」
掠れた声で男は私に聞いた。
「ええ、構いませんが…。」
震えながら男の手が伸びた。
変だ。
「ちょっとお食べになる前に精算の方を……。」
何が起こるにしてもまず金だ。
私はキャッシュポケットを取り出そうとした。
その時だ。
「やめて!!!」
大きな音を立てて扉が開いた。
誰かが立っている。
男と私の動きが止まった。
「それを食べたらいかん!!あんた隠して!!」
女性が私を見て叫んだ。
男と同じように真っ白な顔の中年の女性だった。
「お父さん、やめて!」
と若い女性がもう一人飛び込んで来た。
「お父さんにそれを食べさせないで!
甘い物は私たちには猛毒なの!!!」
彼女が叫ぶ。
私と彼女の目が合う。
一瞬間が開き、
私は和菓子を一口で食べた。
男はがっくりとうなだれて椅子に座っていた。
その横で中年の女性が泣き声を上げながらすがっている。
若い女性もそのそばで呆然とした感じで立っていた。
私はしばらく身を縮こまらせて居場所もなく部屋の隅にいたが、
そろそろ列車が来るはずだ。
ともかく帰りたかった。
「私は、そのう、失礼したいのですが。」
「あ、ああ、申し訳ありません。」
若い女性が正気に戻ったように言った。
「本当に申し訳ありませんでした。駅までお送りします。」
彼女が母親だろう中年女性に声をかけた。
女性はこちらを見ると頭を下げた。
外に出ると先のウミウシの横に一回り小さいとがった巻貝のウミウシがいた。
二匹は触手で触れ合っている。
何か話をしているようだった。
彼女はとがった貝殻のウミウシに私を招いた。
先ほど私はウミウシに小突かれたので警戒したが、
その時驚くことが起きた。
私を小突いたウミウシが触手で私を持ち上げて
もう一匹のウミウシの座面に乗せたのだ。
「ありがとう、おりこうさんね。」
彼女が触手をなでた。
「驚いたな、さっきはこいつに何度も小突かれたんですよ。」
「……、ごめんなさい。」
「いや、あなたが悪い訳ではないので。」
彼女はウミウシを走らせた。
「多分あの子はあなたが私の父に何かをすると感じたのだと思います。
この子たちは賢いのです。
さっきの様子を見て
あなたは悪い人ではないと分かったのでしょうね。」
私は彼女を見た。
小さな白い横顔だった。
「あなたのお父さん、どうしたかったのでしょう。」
彼女の顔がゆがむ。
泣いているような顔だが涙は出ていなかった。
「死にたかったのだと思います。
ここのところずっとふさぎ込んでいましたから。
でもしばらく前から元気になって来て、でも何だか変で…。」
「少し前にお父さんから依頼があったのですよ、
有名な和菓子のフラクタル菊が欲しいと。」
彼女は少し口をゆがめた。
「この星には塩以外のものは大昔から無くて、
私たちには塩味以外のものは猛毒なのです。
父も知っているはずなのですが、
知らないあなたに頼んで別の味のものを
持って来てもらったんですね。」
「すみません、事情を知らなかったので…。」
彼女は首を横に振った。
しばらく私たちは無言だった。
日が傾き黄昏が近づいている。
白い大地の色が変わりつつある。
「でもね、私、少し父の気持ちが分かるんですよ。」
彼女がぽつりと言った。
「ここってなにもないでしょ。真っ白で。」
「まあね。」
「かと言って別の星に移住も出来ないんです。
湿気で体が溶けてしまうから。
ともかくここから出られないんです。」
景色の中に駅の姿が見えた。
「私はここから歩きます。多分歩いた方が早い。」
彼女は少し笑った。
「それとですねぇ、こんな時になんですが料金の方を…。」
彼女ははっとした顔をした。
「そ、そうですね、えーと、そのおいくらでしょう。」
少し彼女は焦った顔をした。
一瞬どうしようかと迷ったが私も商売だ。
「まあ、食べてしまったので
必要経費プラス成功報酬ちょっとでこれぐらいですが。」
と彼女にキャッシュポケットを見せた。
「思ったより……、」
「思ったより?」
彼女はホッとした顔をした。
「良心的なんですね。」
私は笑う。
「正直が一番と思っていますので。」
お互いにキャッシュポケットでやり取りをして面倒事を済ます。
これで私もホッとした。
「じゃあこれで。」
私はウミウシを降りた。
彼女が言う。
「お気をつけて。」
「あなたも。
お父さんとお母さんによろしく。」
そしてしばらく歩くと彼女が後ろから聞いた。
「和菓子は美味しかったですか?」
私は振り向いた。
「そこそこですよ。」
そして私は再び歩き出した。
列車の時間が迫る。
美しい星だが退屈な星だ。
もう来る事は無いだろう。
私はほんの少し軽くなった鞄を見た。
少し口元が緩む。
実はずっとあのフラクタル菊が食べたかったのだ。
あれは確かに美味しかった。
機会があればもう一度食べたいものだ。
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