第7話 郁美の自覚

 諒一は正直なところ斉木の話がすんなりとは受け入れられなかった。信じられないことだと思った。

 が、現実に姉が『誰も私のいうこと、私の記憶を信じてくれない』と言っている。誰も、というには対象者が少ないので語弊が生じるが……夫、息子、自分諒一くらいにしか話していないはず。斉木に相談して良いものか否か。諒一は話の通じる者が現れて有頂天になっていたが、この期に及んで斉木の言葉の信憑性を疑ってしまう。

 諒一は答えに詰まった。姉の話を続けたいが、姉の了解も得ていないことに気付く。

 斉木は沈黙した諒一の言葉を待っていたが、諦めて更に続けた。

 「先輩、この話にはまだ後日談があるんですよ」

 「え、後日談……」

 「はい。おばさんの、違う世界線の呟きを見たと思われるフォロワー五、六名のうちの一人が、再就職を果たした彼女の呟きを読んで、それだけではなくてやり取りをしていたんです」

 「……ごめん。ちょっと俺にはいきなり過ぎて頭が付いて行けないな。その世界線が違う呟きを読んだだけじゃないのか?そのおばさんとフォロワーは真実を語っているのか?ああ、ごっちゃになって来るぞ……ネットでどうやったら違う世界線の呟きが読めるんだよ?どちらかが嘘か作り話でもしてるんじゃないのか?」 

 諒一には理解は難しい。自分でネットサーフィンを行った時に仕入れた『嘘松・釣り』と言ったワードが頭を掠める。

 注目を集める為のやらせ?誰と誰が仕組んでやったか?ネット世界では、ありとあらゆることに対して疑ってかからねばいけないのではないのか……?

 「先輩の仰りたいことは分かるような気がします。ま、最後まで一応お聞きください」

 淡々と再び斉木は初めから話し始めた。お前の妄想でもなさそうだしな……。と、諒一は性格上、真面目にメモを取るのだった。


 「うーんと、こんなところか?」

 諒一は箇条書きしたノートを斉木に向けた。


 一、五月頃、医療事務の五十代女性が『この歳で履歴書を書いた経験が無い』と呟く。 

 二、彼女のフォロワー百名のうち五名が再就職を心配するリプライをする。

 三、彼女は今も同じクリニックに勤めていると言う。

 四、前述の五名は彼女が『勤務先の院長が高齢で後継者不在な為に閉院し、履歴書を書いて再就職活動をしなければならない』と呟き、フォロワー達は慰め励ましたと説明する。

 五、彼女は『そんなことは呟いていないし、そんなやり取りをした覚えも無い。しかし近隣の医療機関が院長の急病により休院している』と話す。

 六、前述の五名のうちの一名が『再就職は割と早く近場で出来た。が、郵便番号が微妙に異なるので戸惑っている、という呟きをしたので、郵便番号が間違っていても、配達人はプロだから大丈夫と返した』と彼女に説明したが、彼女はそれは自分ではないと。 

 七、履歴書を書いていない彼女(五十路女性)が思うに、(世界線違いの)自分が再就職した近場の医療機関とは彼女の世界線では休院している医療機関ではないか、と。そこは隣町で、現在の勤務先から一番近いが市が異なり、郵便番号の下四桁が微妙に違うことと、公共交通機関を使わねばならない通勤条件にぴったり当てはまる。そこ以外の医療機関だと通勤が難しい。


 「そうです!まんまこれですよ!さすが先輩!」

 斉木がノートを読み返してブツブツと独り言を言う。

 「そうなんだよなあ……このを一部始終ROMってて、何言ってんだ、この人たち、って思ったんだよな……」

 二人は空になった皿やグラスを横に退かして、ノートの文字を追った。

 「で、これが真実だと斉木は思うのか?して、根拠は?」

 諒一は、この呟きの応酬を全て見ていた斉木が騙されているのではないのかと疑った。

 斉木はうんうん、と首を振る。

 「そう思うのは当然ですよね。俺も最初は疑いました。それがですね、そのおばさんが、結構個人情報だた漏れの呟きをしてるんですよ」

 「だから、がどうして本当のことだと分かるのかと言ってるんだよ」

 「うーん……呟きを読んでいた感じ、作り話じゃあなさそうなんですよね……この他にも数点エピソードがあります。他のフォロワーたちのリプライも含めて。あ、それと、おばさんは住所とか名称を濁していたけど、フォロワーのひとりに勤務先を特定された、って呟いてましたね。そういうの得意な奴っているんですね。それからもう一人に近隣の医療機関を特定されたそうで。確かフォロワーに彼女のリア友は数人いるだけとか何とか言ってましたんで、特定した人たちはリア友ではないそうで。そんなことも含めて、本当なんじゃないかな?と」

 諒一はうーん……、と唸った。

 「しかし、そのおばさんが世界線を跳んだのか、そのフォロワーたち五名が跳んだのか……?違う世界線の呟きを見たんだろ?」

 「おばさんは約二年前に、『は違う、私の居た世界じゃない、体が違う、地理も歴史も違っている』と言ってましたから、彼等は全員世界線を跳び越えていると思います。

て言うか、往き来してるんじゃないかな……?マンデラーのフォロワーたちが時々呟いているんですよ……でもって、彼等?彼女等のネットが様々な世界線に繋がっているような気配がしますし……コレに言及すると徹夜しても語り明かせませんよ……複雑過ぎるし」

 「俺、姉貴に他言してもいいか了解得てないんだよな……斉木がこのノートを見て反応したからさ、コイツ知ってるぞ!と興奮しちまったんだ」

 斉木があ、と言う顔をする。

 「……先輩、日を改めて、俺、先輩のお姉さんにお話を伺いたいです。俺もお姉さんに話すことが沢山あります。このノートに書いてあるやつは……全部お姉さんのマンデラなんですよね?」

 諒一が書き記した郁美の体験に目を留めて、斉木はSNSのフォロワーたちが話題にしていたものと酷似していると思ったのだ。中には全く同じ現象もあった。


 「……そうだよな……斉木と姉貴が直に話してくれた方がいいかもしれないな。あれから姉貴はとあるカウンセリングを受けているんだ。微妙なラインにいるんだよ」

 とてもデリケートな問題で、姉の家族には詳細を隠していて、カウンセリングに通うことは伏せ、カルチャースクールへ通っていることにしていると付け加えた。

 「……先輩、これ、本当かどうか分かりませんが、フォロワーたちの中のマンデラーが言ってました。『マンデラエフェクト』はつい最近の現象ではないそうです。今のところ自覚した最古参は四十年前に気付いた人ですね。三十年前の人もいましたよ」

 諒一は目をカッと見開いて斉木を睨み付けた。

 「……な、んだよ……それ」

 「お姉さんがカウンセリングに通っていると伺ったので、言います。その三十年四十年前に現象を体験した人たちは、現在のようなネット環境もなく、当然世界規模の情報など手軽に入手出来なかった。当時、彼等は最年少は小学生だったそうだし……」

 「……信じられないな……そんな前から……」

 どこからどこまでが真実なのだろうか。職場で容疑者を相手に取り調べを行うこととは勝手が違いすぎる。諒一は焦りを感じた。信じたい。信じたいが、信じたくもない……。常識が常識でなくなりそうだ。

 「はい、それなんですけど、そのマンデラーの内の数名は精神科へ入院したり通院したりしていました。おばさんは、幸いなことにマンデラ初日にSNSで『大丈夫だから、病院へ受診しなくてもいい。ひとりじゃない。少ないが、同じように世界線を越えた人はまだ他にもいるから』と先輩マンデラーから言われたそうです」


 「……斉木、有難う。そしてすまない。俺に少し時間をくれ。駄目だ。頭と気持ちが付いて行かない……」

 「……はい、先輩のお気持ち、分かります。当事者である自分のフォロワーたちがそれをSNS上で悩みを吐き出したり苦悩を呟いたり現象を共有したり原因究明をしようとしたり……凄い人たちは量子力学やスピリチュアルや多次元宇宙論や」

 「ストップ!俺、もう限界だ。斉木、次のお前の非番の日を空けといてくれないか……?是非、姉貴に会ってもらいたい。今日の話とか、もう一度話してやって欲しい。出来ればその日、俺も同席したい……有給が取れて事件が発生しなければ、が前提条件だけどな」

 斉木は静かに頷いた。

 斉木は、自分は体験してはいないが、フォロワーたちが毎日どこかで体験したり、様々な学んだことについて呟いている。それを読み、嘘をついたりデマ情報を流しているとは思えなくなっていたのだ。

 斉木は諒一と別れる際に、郁美の連絡先を教えて貰った。

 それは、直接自分と会う前に、おばさんが呟いているSNSの過去ログや、彼女が別のツールで体験談をブログにしているので、先にそれらに目を通しておいて欲しかったからである。

 諒一は、斉木に教えて直ぐに姉に短いメールを送った。

 深夜であるにも拘わらず、郁美からは割と早く返事が来た。


 盗難事件が発生してからひと月が経とうとしていた。



 郁美は斉木と連絡を取り合いながら、教えて貰ったフォロワーたちの呟きや、ブログを読み漁った。時には涙声で斉木へ直線電話をかけて寄越し、斉木の彼女に浮気疑惑を持たれたりもした。

 斉木の彼女には諒一からそれとなく釈明をして貰い、疑惑は晴れた。

 しかしその後、斉木が郁美や諒一と頻繁に勤務外で出掛ける機会が増えてきた為に、彼女にもありのままを話さざるを得なくなった。

 斉木の彼女もSNSのフォロワーだったので、幾分理解は早かった。

 が、彼女も当事者ではない。体験していないことにはいまいちピンと来ない。彼女が実際に詳細を理解出来たきっかけは、彼女の弟と彼女の記憶が異なっていることだった。


 有名人、芸能人の生死。

 二人の記憶が現実と異なっていた。


 人は自らが体験してみないことには理解し難い生きものである。

 諒一の姉、郁美はカウンセリングと斉木や諒一との対話を両輪として、自らをしっかりと前へ進めるように前向きに考えることが可能になった。

 そして自らが『マンデラー』といった自覚がこの頃から目覚め始めた。

 前向きに生きて行ける者がいれば、そうでない者もいる。

 現実世界でもネット世界でも同様である。

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