第6話 斉木が鍵に

 「ん?先輩、何か勉強してるんですか?」

 机の上のノートに視線を落とした斉木は、やはり上司から昇級試験を受けるよう促されている。ホワイトカラーとは無縁ながら、やれることだけはやっておけ、と諒一と同じく叱咤激励されている。

 「いや、それはちょっと」

 諒一が言葉を濁すと斉木が素早くノートを取り上げた。

 「休憩時間も惜しんで何を勉強してるんですか?」

 言うが早くペラペラとページをめくる。

 「ちょ、おま、返せよ!それより早く着替えて来いよ!」

 時既に遅し。

 斉木は、とあるページで手を止めた。そして、諒一の顔を険しい表情で見つめる。

 「いいから返せよ。ろくなこと書いてなかっただろ」 

 斉木が険しい顔のまま再びノートに視線を戻す。

 事務の女性は書類を置いて行くと部屋から出て行った。あとの数名は自らのデスクワークに勤しんでいて、斉木と諒一のやり取りなどお構いなしだ。

 諒一は好奇心旺盛な刑事たちに知られたくないと思っている。実の姉が多少変な言動をしているなどと口外したくはない。

 斉木に知られてしまったら、鋭い勘の持ち主である彼は色々と詮索をして来るに違いない。面倒なことになるのは目に見えている……ここは何とかして誤魔化すべきだ、と諒一は言葉を探した。

 「……先輩……まさか先輩しちゃった人ですか……マジで?」

 だが、斉木の疑問形な返答は逆に諒一に疑問を抱かせる。

 「…………?何の、だ?」

 女装を解かぬまま、斉木が諒一を不審な眼で眺めている。

 (おい、それは刑事に向けていい眼じゃないぞ。取り調べ相手に向けるべき……)

 あ、と諒一が言葉を飲んだ。

 「斉木、着替えを手伝ってやるからちょっと来い!」 

 「は、えっ、先輩?手伝うってっ」

 腕を掴んで斉木と更衣室へ滑り込む。早く話の要点をまとめたい。疑問を消し去りたい。斉木は何かを知っている?

 斉木は、先に化粧を落としたいと言って、バッグからポーチを取り出して洗面所へ行ってしまった。

 更衣室に残された諒一は、咄嗟に持って来てしまったノートに目をやる。斉木はどこに注目したのだろう。

 (?)


 「はぁ~サッパリした~やっぱスッピン最高だな!」

 瑞々しい顔をして更衣室へ戻って来た。ローションでも付けたのだろう。

 「……ヤケに慣れてるな」

 「えっ、そりゃこれで三回目になりますからね、まあ……って、あの」

 「着替えながら聞いてくれ」

 「やっ、先輩?聞きたいのはこっちですって」

 お互いがお互いの情報を欲しがっていた。

 勤務中であるのに、二人ともを頭の隅に追いやることが出来なかった。

 「今、俺から一問ずつ尋ねる。だからそれについて簡潔に答えてくれ。詳細は退勤後だ。いいな?」

 服を脱ぎながら、斉木が「はい」と頷いた。仕事は待っていてはくれない。いつ緊急出動がかけられるとも限らない。田舎ではあるが、それなりに事件は起きているのだ。

 

 時間が惜しい。でも、後回しにしたくはない。

 「さっき、斉木は俺がしたと言ったな?だ?」

 「……マンデラエフェクト、です」

 コイツも知っている!諒一は心臓が飛び跳ねた。斉木も何かを言いたそうであるが、着替えに集中したいので黙って次の言葉を待った。胸を作るためのパッド入りブラジャーと奮闘している。諒一が背中のホックを外してやった。

 「あ、すみません」

 「次な。お前はどこでそれを知った?」

 「ネットです」

 「……お前も体験者か?」

 「え?体験者、って、マンデラーってことッスか?」

 「おい、今は俺の問いに答えてくれ」

 「っ、はい」

 「マンデラーとは何だ?」

 「マンデラエフェクトを実際に体験した人らしいです」

 「!お前も体験者なのか!?」

 「ちが、違いますって!先輩こそ、どうしてどこでそれを……っ」

 ストッキングが上手く脱げずに指が突き抜けて、破けた。斉木はくしゃっと丸めてゴミ箱へ投げる。

 「ネットで知ったのか。お前は体験していないんだな」

 「はい、SNSで知りました。俺はそこで読んだだけで」

 諒一はノートに何かを記入しながら斉木へと疑問を投げた。

 「体験していない、ネットでしか知らない……現実世界では……マンデラーとやらに会ったことはあるのか?」

 「いえ、今、先輩と話題にしたのが初めてです……現実リアルでは」

 制服に着替えた斉木は、脱いだ服やパンプスやバッグを別々の紙袋へと入れた。

 「……有難う。ヤバい。興奮が収まらない……」

 「先輩の口調ではそうは聞こえませんけど、俺も今心臓がばっくばく言ってますよ!」

 こんな身近に『マンデラエフェクト』とやらを知っている者がいるとは。もっと詳しく突っ込んで話を聞きたいとお互いが思っていたが、勤務中である。とても難しい。

 「残業が終わったら、俺んちに来るか、それともどこか店に寄るか?」

 「……酒飲みたいですね。一台で行って代行使いますか?」

 「……そうだな。酔わない程度には入れたいな……だけど、移動時間が惜しいな」

 結局、アルコールは抜きで回転寿司併設の個室があるダイニングに決まった。和洋折衷の店だ。



 「ここならラストオーダーが深夜までだし個室もあるし、そこからパネル注文すればいいので店員がうろうろしないし。味もまあまあですよ」

 「……彼女と良く来るのかよ」

 「あ、バレました?実はそうなんです。リーズナブルで時間に縛りがなくって楽で。へへ」

 確かに他の客や従業員に聞かれたくはない話をするにはうってつけな店である。

 (監視カメラや盗聴器がないだろうな?)

 個室という閉鎖空間に疑いを抱いてしまう諒一刑事だった。


 個室は定員四名のテーブル席で、狭い空間を上手くディスプレイを利用して奥行きを見せていた。

 「今度は俺に質問させて下さいよ、先輩。もー勤務中も頭ん中ぐるぐるしててもどかしかったんですから!報告書作成が苦痛で苦痛で」

 「斉木はいつものことだろうが」

 「主任!そりゃないっスよ、いつもよりもハードだったんですよ!」

 斉木にノートを見られた時は誤魔化そうとしていた諒一だが、斉木が何かを知っていると分かった時点で姉の話に及ぶことを覚悟した。それよりは、願ってもない相談者が確保出来たと嬉しくなった。

 チャリリン、とパネルから可愛い音が聞こえる。

 「あ、注文しませんと」

 発注の催促か機械のランダム音かは分からないが、音に促されて二人はパネルを押した。

 料理が運ばれて来たのは割と早かった。


 軽めに腹ごしらえをして、後は追加注文することにする。今は食事よりも情報交換の方が重要事項だ。

 「先輩は、いつどこでその言葉を知ったんですか?俺は去年の春でした」

 諒一は軽く深呼吸をして、問題のノートを広げた。

 「……実はさ……コレ、俺の姉貴が四月頃に気付いたことなんだよ。息子が中高一貫校に入学してさ、従兄弟が教科書を見たいと言ったらしくて……姉貴も一緒に眺めてたら、偶然妙な違和感でもって目に留まったって」

 「はっ?お姉さんだったんですか!……マジですか……てか中高一貫校って入学する人いるんだ……」

 「そりゃいるだろうが。斉木はネットで知ったんだよな?」 

 「ええと、そうです。俺の同期が去年生活安全課に配属になった時、サイバー犯罪対策課なんて無いから、ネット被害対策とかを兼ねてくまなくチェックするようになって……その頃っスね。アドバイスと称してSNSに詳しくなっておけば将来役立つからお前も見聞を広めておけとか何とかウザくて煩くて」

「SNSか……俺はあんまり詳しくないな。第一暇が無い」

 「……それなんですよねぇ。あ、なんか追加します?俺ノンアルビールとつまみ頼むかな……味気ないけど雰囲気だけちょっと」

 「雰囲気かよ。俺はもちろんスイーツだな。ケーキにするか、パフェも捨てがたい……うーん。サンデーか……お、アイスとケーキのミックスフルーツ添えも……」 

 「……寿司の後にスイーツ……さすが先輩……」

 「シメは甘いもんて相場が決まってんだよ」

 二人はそれぞれの好みに合わせて追加を頼んだ。


 「はあ……それでですね、数カ所のSNSに登録してみたんです。書き込むのはやめといて読むだけ…ROM 専て言うヤツですかね」

 「怪しげなサイトか?」

 「初心者には二とか五の付くサイトなんて迷路みたいですから、有名どころの中でも平和そうなSNSを選びましたよ。動画サイトでも同じく、初心者に優しいところをチョイスで」

 「そこで『マンデラエフェクト』を知ったんだな?」

 「はい。例の呟くヤツです。そこで俺がフォローしてた五十路のおばさんが」

 諒一がコーヒーを吹き出しそうになった。

 「おま、そんなオバ、いや熟女をフォローしてんのかよ。言っちゃなんだけど、お袋さんと同じくらいな年齢だろう?」

 斉木は笑いながらノンアル飲料をちびちび飲む。

 「熟女、って……あ、そうですね。母親とそんな変わんないかもです。初めはフォロワーのフォロワーだったので、タイムラインにそのおばさんの呟きが流れて来たんですよ。それが先輩、おかしいと言うか妙だと言うか」 

 「そのおばさんがか?」

 「はい。そのおばさんと彼女のフォロワーの会話がどうも噛み合わなくて。話がちぐはぐと言うか」

 「……俺にもその気持ちが分かるぞ……話が噛み合わない、ってのも」

 「……ああ……そうッスよね」

 斉木はそのな話を簡単に説明し始めた。


 去年の五月か六月頃、『おばさん』が『この歳(五十路)になっても履歴書を書いた経験が無い。情けない』と言った趣旨の呟きをした。

 すると、彼女のフォロワーたち数名が彼女に『再就職はどうなりましたか?』と尋ねてきた。

 五十路のおばさんは、小さなクリニックの医療事務で、顔見知りのつてで高校を卒業してすぐ、履歴書や試験や面接をスルーして就職したらしい。

 そのままずっとそのクリニックへ勤めているにも拘わらず、彼女のフォロワー数が百数名いる内の五、六名が『』と言う。

 もちろん彼女は『同じクリニックに勤めている』と答える。が、数名のフォロワーたちが『そんなはずはない、院長先生が高齢で後継がいない為、クリニックを閉院するので履歴書を書いて再就職活動をしなければならない、とても先行き不安だ、と言っていた!数名のフォロワーが大丈夫だよ、医療事務の資格があるんだからすぐ見つかるよ、となだめていたのに!』と返したと言う。

 「……なんだ、そりゃ」

 諒一はアイスクリームを口に入れるのも忘れて、斉木の話に固まってしまった。

 「それが、もっと不可思議でして」

 斉木は飲もうとしたグラスをテーブルに置いた。

 「そのおばさんの勤めるクリニックではなくて、って返事をしたんですよ!」

 「……は?どういう……?」

 「だから、ほらここの」

 諒一が書き留めたノートのあるページの『平行世界・パラレルワールド』の文字をなぞる。

 「おばさんのフォロワー数名が、違う世界のおばさんの呟きを見たんですよ!」

 「へ?違う世界のおばさんの?」

 それが『マンデラエフェクト』とどう関連があるのかが諒一には分からない。

 斉木は諒一の思いを知ってか知らずか、ひと言で述べた。

 「俺、思うんですけど、『マンデラエフェクト』を自覚したマンデラーって、『パラレルワールド、世界線』を移動してるんじゃないでしょうか?先輩のお姉さんはどうですか?」

 


 諒一には一度ですんなりと頭には入りきらない質問であった。

 

 

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