第5話 早苗の言い分 郁美の言い分
車中では、早苗はずっと黙ったままであった。
諒一は無理もないと思って、そっとしておこうと自分からは口を開かずに後部座席を確認の為に眺めるだけにしておいた。
たまたま、あの日あの時刻に路地から出て来た人物が白い車に乗り込んだ所を見てしまったばかりに、多分そんなことがなければ一生刑事などには無縁そうな娘さんである。
その上、精神科にまで受診をさせられて。同意を得ているとは言え、やるせない気持ちが湧き上がっていることだろうと諒一は気の毒に思った。
「……あの、この辺でいいですから」
早苗が自宅に着かないうちに、降ろして欲しいと訴えた。
無理もない。覆面とはいえパトカーで、諒一は藍色のTシャツ姿ではあるが、それとなく警察の関係者と見て取れる。自宅まで送った場合、近所の目なども気にするだろう。だがしかし、しっかりと自宅に入るまで見届けないと、この
「そうだ、川浦さん、トイレットペーパーとか切れてない?」
「……えっ」
信号待ちの間、カーナビ情報を確かめつつバックミラー越しに早苗を見た。
突然脈絡もなく、トイレットペーパーの在庫の状況を問われても、咄嗟には思い出せない。
底をつきそうになって、購入の予定が立つというものだと一般的には思う。
確か早苗は父親が単身赴任で、実家住みで、母親と会社勤めの兄と三人暮らしであり、この春大学を卒業して隣町の個人経営の茶店に就職したはずで……。
諒一は運転中であるため、頭の中の情報を引き出そうとした。
独り暮らしではないから、トイレットペーパーが沢山あってもまあ、大丈夫だろう。
早苗は一旦考えた風である。真面目な性格そうだ。
「ええと……まだ幾つかあったと思います……多分」
「じゃあさ、俺んちのヤツを買わなくちゃならないんだけど、こっちの近くに◯○ドラッグってありましたよね?確か今週は安売り週間なんですよ。一緒に行きませんか?結構お得ですよ」
聞き込みや巡回で仕入れたお年寄り情報も記憶から引き出してみる。早苗はそれを知っていたらしい。
「……あ、そうです。○○は、週替わりに安売り商品を変えるし今週はトイレ用品が……。えっ?刑事さんが買われるのですか?」
さっきまでのどんよりした車中の空気が一変した。トイレットペーパーのお陰だ。
「そうなんです。勤務中に寄り道したことは黙ってて下さいね。ですから一緒に買いに行きましょう」
そう言いつつ、車線変更をしてカーナビ画面から逸れた。
早苗は「えっ、いいんですか」と、バッグを開け財布を取り出して中身を確かめていた。ポイントカードを確かめているのだろうか。買う気は有りそうだ。
購入したトイレットペーパーを抱えて、諒一は川浦宅へ早苗を送り届けた。
(多分、俺はヘンな刑事だとフラグ立ってるんだろうな。ま、いいけど)
この件で、少しばかり早苗は諒一に抱いていた警戒心を緩めることになる。諒一の意図とは外れた所で功を奏したのである。
幾度となく繰り返された早苗の聞き取り調査及び情報収集はだんだんと諒一に任されることになるのだった。
諒一は早苗の話を聞いているうちに、妙な既視感を覚え始める。
が、しかし、このようなケースはどう考えても初めてである。
そのうちに、既視感は姉の郁美が同じ感情を持って同じ言葉を語っていたというものだと気が付いた。
「どうして自分の言うこと信じてくれないの?」
二人とも、とある記憶について他者から「思い違い、記憶違い、勘違い」と評されているのに対し、絶対譲らない。自分の記憶が正しいと言い張る。
諒一も真剣に話を聞いているが、実際現実問題として、彼女たちの記憶と事実が異なっている以上、間違っているのは彼女たちの方なのである。
それなのに、彼女たちは一向に自分を曲げない。
どうしたものか、と休憩時間にも拘わらずメモを取ったノートを見返してはため息とコーヒーを交互に口にする。
(……なんで二人ともあんな素直そうなのに頑固なんだよ……自分が間違っているっていう落とし所に行かないのがおかしいよな。現実にそうなんだからさあ!いい加減認めてくれたって……なあ)
何度も読んだメモを見ては、ネットで調べた情報を書き加えたりアンダーラインを引いたりして、さながらテスト勉強をしているようなノートになってしまった。
が、いつまで経っても答えが出ない。
『マンデラエフェクト』の文字が書いてあるページをもう一度見つめる。
(都市伝説なんだろう……?コレって)
姉がどうやらマンデラエフェクトとか言う現象にヒットするらしい。
世界地図や日本地図、地理だけに留まらず歴史まで変わっていると言うのだ。
郁美は諒一よりも記憶力や思考力、洞察力に長けていた。
歳が七つ上であることは関係無いと思っている。諒一が15歳……受験生になった時に姉には敵わないとハッキリとわかった。頭の出来が違うのだ。偏差値も最低五つは離されていた。
その背景を知りながら、郁美に『勘違い・記憶違い・思い違い』とはむやみに言い出せない。
だが、現実に事実が異なる。
・東京タワーは赤一色
・国鳥は『トキ』
・オーストラリアとニュージーランドの位置が東南アジアに近すぎる
・心臓はもっと左寄り
・ピカ○ュウの尾の先は黒い
・第二次世界大戦中、日本軍はオーストラリアへ空襲などしていない
・二点しんにょう、異体字など教わらない。見たことは無い
・肋骨の下部は胸骨に完全には付いていない
・相撲は国技
・国会議員の氏名に相違点がある
・既に他界した芸能人が生きている
郁美が語った差異をまとめる。当人は至って真剣なのだ。
(世界線……?パラレルワールド……?SFかオカルトじゃないのか?それか多重人格とか?あ、解離性なんとかって言うんだっけ?統合失調症だったか?)
「あ~~~クソ!頭痛え!」
アラームが静かに鳴ったので、パタンとノートを閉じて休憩を終えた。
仕事に向かっても頭の痛い問題は山積みになっている。
窃盗犯は入院中な為、調べるべきことが無尽蔵にある割には一向に進まない。
本人に直に問い質したい。
しかし、それは出来ない。
目撃者である川浦早苗とホシが同内容の証言を繰り返していることに言及すると、片や精神科へ入院中、片や普通に生活をしている。
(ワケ分かんねえ)
諒一は調書や報告書を何度も読み返しては、頭を抱え込むのであった。
郁美は夫や息子から、ストレス等が蓄積されて不安定な精神状態になってしまったので記憶違いが生じたのだろうと思われていた。
郁美は病院へは通わずに、心理カウンセラーの所へと足を運んだ。専業主婦が定期的に家を空けるので、名目上はカルチャースクールへ通うと話しておいた。
夫も息子もとても喜んで、これで郁美は落ち着くことだろうと安心したのだった。
諒一は時々郁美に付き添って、カウンセラーの元へと通った。話を聞いてくれる人が存在するということが、これ程までに本人にとって有り難いことなのだ、と諒一は感謝した。
自分が姉の話を聞いたとしても、堂々巡りにしかならない。事実を事実として受け止めなければならない職務のせいもある。
白黒つけることが正義。真理。当然。
それをオブラートに包みながら、毎日を生きている。
オブラートに包まねば、内外で紛争まがいの揉め事に発展してしまいそうだ。
事を荒立てず、着々と物事をただひとつの道へと導く為に突き進む。真理に向かって。
……が、大概一筋縄ではいかない。
(俺……なんで警察官になったんだろう。単にお袋が昔やってたから憧れでもあったんだっけ?いや、違うか。警察官はいいんだ。刑事が向いてないだけか?まさか俺が刑事になるだなんて思わなかったなあ)
町の防犯の手助けの一部として使って貰えたら、くらいの気持ちだけで志望していた。初志貫徹は果たされたのだろうか?いや、貫徹を求めるならば定年まで職務を遂行しなければならない。
(まさか刑事になれと言われるとは思わなかったな……希望も出してないし。なり手不足って本当だったんだな)
現在は巡査部長で刑事課では主任を任されている。試験を受けろと発破を掛けられて、その勉強もしたくはないが飴と鞭の相互作用により相殺されて断りづらい環境に陥っている。
若い内に試験を受けまくれ。経験を積みまくれ。歳を取った時に、やっておいて良かった、と思える日がきっと来る。独り身のうちに危ない橋を渡っておけ。渡りきる癖を身に付けておけ。後で何らかの役に立つ。
推薦が必要ならば書いてやる。その為には、何事にも着手可能な勉強をしておくことだ……。今しか出来ないことなのだ。
上司の口癖が脳内に刷り込まれている。意味は良く理解している。
これで恋人が出来て結婚して子供が出来でもしたら。今のようには行動を起こせないだろう。結婚や子育てはひとりでは出来ない相談だ。
(係長も課長も皆通った道なんだよな……やっぱり若い内に刑事課に回されたって事は、異動は署内では無し、かな)
諦めにも似た現状維持。公的に問題が山積みで、他の案件を抱えている身としては、いつまでも堂々巡りをしていたくはない。私的にも悩み台頭炸裂が幅を利かせている。
(こんな状態で恋愛は無理だよなあ……。斉木、お前は余裕あるな。尊敬するよ。)
後輩の斉木には、しっかり者の彼女がいるらしい。既に尻に敷かれている気配が話のそこかしこからしている。
斉木の彼女は彼のとある姿を見ても動じなかったと言う。むしろ助言を叩きつけられた、と言っていた。叩きつける彼女とは、どんな女性なのだろう。諒一は興味津々と斉木の愚痴に耳を傾ける。自分には到底考えられない世界であった。
その斉木が戻って来た。
カツカツとヒールのあるパンプスで署内を歩く姿は、背が高くスレンダーな若い女性に見えた。
「ただ今戻りました。装着後、報告書を作成します」
「……おか、えり……」
「え、先輩、俺に見とれてます?成功ですか?」
斉木は地声が高めなので、変に声を作らなくてもあまり違和感がない。
容姿は化粧のせいなのか、長い髪の簡単なエクステ、付け毛のせいなのか、色気が足りないがまあまあの線は行っている。
課には殆どの人員が出払っていて、数名しか見当たらない。
斉木が横に立っていると、妙な空間が出来上がってしまう。そのくらい女装が似合っている。首周りを自然に隠したデザインのトップスと、ロングスカートの組み合わせは彼女の案らしい。ストッキングの配色まで違和感がない。
持っているバッグや小物もチェック済みだとか。
「いや、見とれはしないけど……この姿で一緒に酒を飲めと言われたら、俺、出来るな」
「は?先輩、大丈夫っすか?中身俺、ですよ?」
「や、今度夜の活動時間帯にそれも有りだな、とかさ」
「俺にこの格好でお酌でもしろって仰るンスか……マジ勘弁してください」
「いや、お酌ならばもっとこう……セクシーな……」
「垣沼主任、それってセクハラですよぅ。斉木さんが可愛いのは分かりますけど」
微妙な年上の事務が会話を聞きつけて口を挟んで来た。
「ですよねー、って、俺、可愛いッスか?」
斉木が事務の方を向いて満面の笑みを見せる。事務は手を軽く振って止めに入る。
「あっ、ダメダメ。笑っちゃダメ。あまり話さない方が可愛いから」
諒一はふと独りごちる。
「セクハラ……?女装の後輩に酒をついで貰おうと思っただけなのに?」
斉木と事務が口を開けてから同時に閉じた。そして同時に囁いた。
「主任……疲れてますか?」
諒一はかなり疲れて果てているのだった。
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