第2話 異なる記憶

 静まり返った隣室で、おもむろに斉木が後ろ手で下向きのピースサインを出した。

 「ホラ、来たぞ」

 八木橋に言われて諒一はため息をつきながらUSBメモリとノートパソコンを取った。

 ヘルプお願いします、のサインである。

 「……、さっきもやったんですよね……ホシに。やだなぁ、俺、今日最悪ですよ……係長、代わりに行って頂けま」

 「ハイ、行ってらっしゃい」

 最後まで言い終わらない内に笑顔で八木橋にドアを開けられ、諒一は渋々と隣の部屋へと向かう。

 軽くノックをして、返事を待たずにドアを開けた。鍵は掛けてはいない。

 「失礼しまーす。ちょっと確認をお願いに来ました」

 ああ、これで解放される、と喜んだ斉木だったが、その声にギョッとして振り向いた。

 「えっ!垣沼……主任!?」

 「おう。後でお前にもお話があります。先ずはその前にこちらのお姉さんに確認して頂きたいと思います」

 隣室で待機していた刑事は斉木の同期の筈だった。が、別件で呼ばれ丁度小休憩していた垣沼と交代していたのだ。

 (あちゃー、さっきのを先輩に聞かれちゃったか。不覚っ)

 額に手を当てて落胆している斉木には目もくれず、諒一は早苗の真横に座ってノートパソコンにメモリを刺した。

 「こんにちは。今日はお疲れさまです。あと一息で終わりますからね。えーと、私は垣沼諒一と言います。宜しくお願いします」

 と、首に提げていた写真付き身分証を手にして早苗に見せた。

 「こんにちは……宜しくお願いします……」

 早苗は確かに見ているのか定かでない表情を浮かべて、斉木と二人を見比べている。

 (確認てなんだろう……とでも思ってそうな顔だな)

 諒一が感じた通り、早苗は不安になって再び表情を曇らせた。

 「あのですね、これは現場に一番近い防犯カメラの映像なんです。あの日の事件発生と同時刻の映像ものなんですけど、ちょっとご覧下さい」

 と、早苗に画面を向けた。

 「ここに停まっている車が容疑者の車です。で、それより少し先のこちらの歩道を歩いている方は……川浦さん、貴女ですか?」

 早苗は気持ち顔を近付けて、ノートパソコンの映像を眺めた。

 「……はい。私です。あの日はこの服を着ていました。バッグはこれと同じなので」

 今日も同じバッグである、と、横に置いたものを二人に見せた。

 「そうですね。同じだ」

 止めた映像を再び流そうとキーボードに指を置き、諒一は本日何十回目かの深呼吸をする。

 斉木は逆に息を飲んだ。 

 「では、この続きを良くご確認下さい。貴女がフラワーショップから職場へ戻る途中だと仰った、こちらですが……」

 と、動画を流し始めた。

 すると、早苗はそれまでの無表情に近かった顔が一瞬にして別人のようになった。

 「……え、何……これ……」

 早苗が車に近付く少し前に、容疑者が路地から出て来て、白い車に乗り込む様子が見えた。そこまではいい。早苗が見た角度とは異なっているが、同じ光景だと分かる。

 が、問題はその後……発進した車が、駐車していた向きのまま、早苗の向かう方向と同じ方へ直進して行ったのであった。現場から見れば左方向へ。

 「え、嘘……これ、何かの間違いじゃ……だって、あの時確かに……」

 道路脇に停めてあった白い車が方向転換をして、早苗がやって来た方へ走って行った。車体が左右にぶれていたのを見たので、危ないな、と思い、振り向いてあの車の行く先を見たのだ。そして、そのままカーブの先のフラワーショップの前を通り抜け、T字路で一時停止をするかしないかぐらいのスピードでウインカーも出さずに右折して去ったのだ。 

 そこまで眺めていたのである。わずか四日前の出来事である。間違いであるはずはない、と思った。

 「この車が本当に犯人の車なんですか?」

 確かにいたが、その他に別の車があったのではないのだろうか?確かに右折したはずである。

 早苗は運転していた人物の顔も車のナンバーも覚えてはいなかった。

 「こりゃ現場行くっきゃないね」

 隣室でモニターを見つめていた八木橋は、独りごちた。


 「報告書、読んだぞ。課長がお呼びだ。何故か俺と斉木もだけどな」

 八木橋係長が退勤間際に伝えに来た。これは帰らせない為の連行お迎えでもある。

 (出た……課長の十八番『間際のお呼び出し』!)

 上司にお迎えに行かせる。決して同期や部下ではない。理由をつけて断る可能性を無くす為。

 資料室か会議室へお呼びがかかると、ちょっと帰るのはお待ち下さい、になるのである。

 「係長、俺、思い当たる節がないんですけど」

 「違うヤマじゃね?おい、斉木、どこ行く?帰るなよ、会議室へ行くぞ!」

 斉木はそれとなく帰り支度をして廊下へ出ようとしていた。

 「きょ、今日こそ定時で帰れると……クッソ」

 「文句があるならバスチーユへいらっしゃい」

 「……ッス…」

 斉木は肩に掛けたバックパックを椅子の上に置こうとしたが、やはりもう一度持ち上げた。そのまま現場に向かうかもしれないし、帰宅出来るかもしれない。一縷の望みを抱いた。


 刑事課の課長には、別に自室等は用意されていない。

 班単位で行動をしている刑事達を、関連ある事件や大掛かりな問題に発展した場合に、別の班へ協力させたり、又は合流させて捜査に当たらせる、そのような狭い範囲での指示は、会議室等へ呼び出していた。

 協力の場合は、自らの任務の他にもう一つ仕事を抱える羽目になる。

 刑事達は、出来ることならば合流の方を望む。その方が書類作成やら対面調査やらの煩わしさが少なくて済むからである。

 

 「あ、帰るところ悪いね」

 少しも悪びれずに新井弘之あらいひろゆき課長がしれっと口にする。

 三名は嫌な予感しかしない表情を見せまいとそれぞれ「いえ」「ハイ」「大丈夫です」と応えた……が、こちらも口だけだと重々承知されてい

る。

 「まあ、座ってよ」

 ギクッとしながらスチールの椅子に座ると、「長くなるのか……」と全員が脳裏に同じ予想を浮かばせた。

 「今日の午前に被疑者に見せて、午後に証言者にを見せたんだね、垣沼くん」

 新井課長は、手元の報告書を見ながら諒一に顔を向けた。そろそろ還暦を迎えるはずであるが、いささか頭頂部が心許なくなって来たせいか、それとも特に腹部がふくよかな体型のせいか、老けた印象を与えている。

 「はい。両名とも自分が見せて確認を取りました」

 「調書これにあったように、二人とも動画を否定してるんだって?」

 諒一は気まずそうに頷いた。

 「はい。頑なに被疑者の車だと認めません。何かの間違いであるとか、被疑者本人は捏造したものだとか妙なことばかり口にするので、参りました。右折してT字路も右折した、の一点張りなんです。真逆な映像を見せても認めないんですよ……そもそもT字路は存在しません」

 「課長、妙ですよね。犯行を認めておきながら、逃走経路に関しては嘘と判りきっている証言を繰り返すなんて。しかも、目撃者のひとりが全く同じ内容の発言だなんて。自分も隣で見ていましたが、川浦さん、でしたか。あの子、真剣に言い張ってましたよ」

 八木橋の言葉に、諒一も斉木もうんうん、と頷いた。

 「あの、それと……」

 先輩方が話される前に意見しても大丈夫であるのか、と斉木は口ごもる。

 「なんだ、斉木くん。遠慮せずに言いなさい」

 新井課長は全ての部下を「くん」付けで呼ぶ。呼び捨ての方が無難であると思う。上司から「くん」と呼ばれると、何か良からぬ思惑があるのではないか?と疑心暗鬼になる斉木だった。

 「あ、の。被疑者の車なんですけど、あっ、右折云々は置いといて、やけにフラフラしてませんか?ヤクでもやってるんじゃ。怪しいと思いました」

 「自分もそれ、思いました。ラリって運転してましたかね……」

 諒一は、あれだけ嘘八百を自信たっぷりに言い切ることが出来るのは、麻薬や覚醒剤でも常習しているのでは、と思ったのだ。

 すると、課長は無愛想だった表情を満面の笑みに変えて、三名の表情筋を引きつらせた。

 「あ、分かってくれたんだ、良かった。そっちは別の班に洗わせている。結果がシロだったら次は精神かな?てことを念頭に置いて、現場検証までに二人の関係を洗って欲しい。被疑者には協力者がいることは分かっているが、まだ特定出来ていない。もしかしたら、目撃者の女性が、の線もあると思う。明日中に出来れば報告して頂きたい」

 三名は固まった。

 「明日……ですか?」

 八木橋が、課長の無茶振りに疑問形で(無理だろ!それ!)の意味を乗せて伺う。

 が、課長には全く伝わっていない。

 「そう。明日の午後イチに被疑者が、夕方迄には川浦さんだったか?の現場洗いが予定されているからさ、彼女には連絡してアポ取りしておいてよ。ご協力を再びお願いとね」 

 「明日中……」

 「三人寄れば文殊の知恵っていうでしょうよ。余裕余裕」

 新井は当たり前だと言わんばかりだ。予定通り進めると思っている。

 何も言えなくなってしまった諒一たちを横目で一瞥すると、思いがけない台詞を吐いた。


 「大丈夫。僕も手伝うから」

 「はっ?」

 「え……課長が?」

 「嘘……」

 八木橋も諒一も勿論斉木も新井課長が現場に出たことなど見たことが無い。係長の八木橋とも一回り以上歳が離れているので、現場では教えを受けられなかった。

 「あ、勿論、後方支援だけだよ。現場には行かないよ」

 どんな手伝いをするつもりなのだろうか。まさか発破をかけるだけなのではあるまいか、と諒一は不安になった。

 「精神科の簡易検査なら早く返して貰えるけどね。詳しくやられちゃったら、調査にも支障を来すでしょうが。それを狙った初動の撹乱かもしれないしね。一気に多方面からやりましょうや」

 あ、と我に返り、三名はやっと納得が出来た。時間との勝負は日常茶飯事である。



 

 『なんで信じてくれねぇんだよ!俺がやった!って白状したろうが!信用ねぇのは分かってるけどよ!でも!本当なんだよ!』

 『これ、絶対変ですよね……私、確かに見たんです。あの白い車が左右に揺れていたんです……だから……だから危ないな、って見届けたのに……私のこと、信じて頂けないんですか……』


 『誰も信じてくれないの……諒くん?諒くんも……信じてくれないの……?』

 諒一は、ハッ!とした。『信じて貰えない』といった言葉を、最近もう一人から言われ続けていたのであった。

 それは、実の姉である。

 事件が起きる約二カ月前のことであった。

 

 

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