目撃者はマンデラー

永盛愛美

第1話 事件発生

 マンデラエフェクトという言葉を聞いたり見たりした等の経験はあるだろうか。

 これは世界規模で起こった現象のひとつが語源であり、都市伝説としても語り続けられている。

 マンデラ効果とも呼ばれ、事実と異なる記憶を持つ人間が複数(多数)存在すると云われている。

 事の起こりは、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ氏が、反アパルトヘイト運動により投獄され、事実である釈放後に大統領に就任し、退任後に天寿を全うした記憶を持つ者と、それとは異なり投獄中に死亡した記憶を持つ者が現れたという話から始まった。

 時を同じくして、世界的にインターネットの普及促進に伴い、世界中からの情報収集が可能になる中で、様々な異なる記憶を発信している者達が台頭し始めた。

 集団で誤った思い込み、記憶違いや勘違い等だと評価されているが、個々の現象が様々なSNSで発表されている今日、オカルトじみた都市伝説とは一概には言えないとも限らない。ともすれば、精神疾患を疑われてしまう嫌いもあるが、彼等はマンデラエフェクトを自覚し、経験を持ち、日々情報収集に努力を惜しまず、常に全神経を集中させて過ごしていると言っても過言ではない。

 彼等は自らを「マンデラー」と呼んでいる。

 また、マンデラエフェクトを経験した者達は、得てして平行世界……「パラレルワールド」をも認知している。

 マンデラエフェクトを自覚した彼等は、パラレルワールドを無自覚で移動している。それは自身の肉体ごとか、はたまた精神体のみの移動かは定かでない。物的証拠が残せないからである。彼等は、自らの記憶のみを頼りにパラレルワールド、世界線を移動しては様々な現象に行き当たり、そこで自らの記憶と擦り合わせて目の前の現実を受け入れる努力をしている。

 自身の記憶のみが武器であり、記憶力との勝負である。

 ある日突然過去や歴史や地理が一変する。いつもの見慣れた風景や建物がいきなり変化してしまう。また、時を置かずに元に戻る。自身の肉体が異なる。癖や嗜好品の変化、体内部の異変、家族や友人との記憶のすれ違い。また、周囲の人間関係の変化。書類や写真の異変、ネット上の異変。枚挙に暇がない。

 

 これは、マンデラエフェクト、パラレルワールド、世界線等があらゆる方向から絡んで起きた事件である。

 都市伝説として片付けられてしまう現世界線では、法的には証拠が残せない為に事件はお蔵入りか、当事者が精神疾患と見なされて受診を勧められ、投薬治療を行う結果になることは言わずもがな、目に見えている。

 世界中でこのような現象が認知されたならば、現行の数多の法律や刑法にどのような変化がもたらされるのであろう?

 また、精神疾患と認定された人々は如何様にして異なる扱いを受けることになるだろうか……。現時点では全ては霧の中である。




 ××年六月十三日、ディスカウントショップで盗難事件が発生した。

 犯人は、平日の定休日を狙い、人通りの少ない立地条件を活かして白昼堂々と盗みを働いた。

 通行人が複数居合わせていても、平然と通りすがりを装い、店の裏口から出て、わざわざ表の店の近くに停めておいた盗難車で逃走したほど堂々としていた。

 店内の防犯センサーを予め切っておき、合鍵を使い侵入したらしい。背後に手引きをした者がいたと伺える。

 しかし、防犯カメラの位置の確認を怠ったことと、犯人の自宅近くで盗難車を調達したこと、また、現場からそう遠くない個人経営の管理が甘い月極駐車場に無断で自分の車を停め、その近くで盗難車を乗り捨て、そのまま車を乗り換えて自宅へ戻ったことがきっかけとなり、目撃者も数名現れたことも相まって、直ぐさま逮捕に繋がった。

 目撃者の証言と防犯カメラの映像と、盗んだウェブマネーや商品券のネットを通してのオークションを含む転売履歴から個人を特定され、任意同行の後に自供し逮捕となった。

 事件は即時解決されたと誰もが思っていた。

 犯人と、目撃者三名の内のひとりがあからさまな事実と異なる発言を繰り返したと報告が挙がり、警察署内の一部は不穏な空気に包まれた。


 

「なんだって?まだ言い張っているの?」 

 いきなり真後ろから言葉を投げられ、振り向くと上司が立っていた。

 隣の個室で簡単な事情聴取をしている一部始終をモニターで見ていた垣沼諒一かきぬまりょういちは、ヘッドホンを着け集中して聞き耳を立てていた為、ドアをノックする音や上司が入室する雑音が全く耳に入らなかった。気配を感じろ、とは良く注意される彼である。

 「あ、係長。はい、他二名の目撃者はカメラ映像と同じ証言だったのですが、この川浦早苗かわうらさなえさんだけが……あ、いえ、ホシ本人もなんですが。正反対へ逃走した、と言い続けています」

 「垣沼よぉ、斉木さいきはなんでこっちの個室で聞き取りやってる?あっちのオープンスペースでやるのが普通だろ?」

 係長、と呼ばれたのは、青南せいなん署刑事課の八木橋恭やぎはしやすし警部補で、聴取を行っているのは後輩の斉木孝太郎さいきこうたろう巡査長である。

 普段は簡単な事情聴取ならば、ドアが無く大きなテーブルと椅子やソファしかないオープンスペースで調書を取る。関係者には奥まった場所に着席して貰うが、ロビーや廊下が直接見えて、閉塞感がなく、安心感を与えることが目的だ。

 が、刑事課のみならず別の課の署員も絶えず行き交い、客や同様な立場の者同士が微妙にすれ違い出入りする光景を目の当たりにする為、落ち着いた環境とは言い難い。気が散ることもある。どちらにせよ、万が一逃げようと画策されても周囲に多数の眼が光っているので署員としてはチェックし易い。

 「はい、最初はあっちだったんですが……。なんか、彼女がビクビクしちゃって。誰かが視界に入る度に無口になられては、ってことで、急遽こちらへ移動したそうです」

 「ふうん。音、出せる?俺も聞きたい。隣だろ?小さくすれば大丈夫じゃないか?」

 八木橋係長に言われ、諒一はヘッドホンセットを外して、プラグを抜いた。

 すると、多少声の高めな斉木の声が聞こえて来た。

 「ええと、もう一度整理しますね。この略図に描いてもらったこの建物が被害に遭ったビルでしょ、容疑者はその表通りに面した店の出口附近に停めておいた車に乗ったのでしたよね?」

 「……はい、お店の横の路地から出て来たと思います。前の方に停めてあった車に乗りました」

 目撃者の三名の内のひとりである、川浦早苗が小さな声で、だがしっかりと答える。

 「これが道路だとすると、どの辺に車が停まってたか、覚えてます?」

 早苗は図面を眺めて、「この辺だったと思います……」と指を差す。

 斉木は図面にペンで白まるを描く。

 「この辺ね、よし。で、色は何色だった?」

 これも再三受けた質問である。

 「……白でした……ナンバーは覚えていません……その時、私はこの先のフラワーショップから職場へ戻る途中でしたので……この辺りにいました……」 

 ふぅ、とため息をついて、しかし要点だけを明瞭に伝える。既にこの刑事とは複数回行われたやり取りになるのだ。

 斉木は「ここら辺ね」と、花丸を描いた。「可愛いでしょう」

 「……はぁ」

 (こんなことなら、白い車を見ました、なんて言わなきゃよかったなぁ……まるで私が悪いことをしたみたいじゃないの……いつになったら終わるのかな……)

 早苗は生まれて初めての事情聴取に、疲れと苛立ちとを感じていた。

 物事に白黒付け、正確に記録しなければならない側にとってはごく当然な話であるが、一般市民にとってはいい迷惑だと言える。

 「疲れちゃった?ごめんね。もう少しで終わりますからもうちょっとお付き合い下さい。僕らもこれがお仕事なんで……ちゃんと働かないと『税金泥棒』って言われちゃうんですよ。てか、その前に鬼上司に怒られるんです」

 斉木がおちゃらけて話すと、幾分かは早苗の表情が和らいだ。

 斉木は空気を変えようと更に続ける。

 「でも僕は可愛い女の子の聞き取り担当で良かったです。さっきチラッと他の部屋を覗いたらさ、お相手に『刑事さん、頭悪くね?今言ったことくらい覚えてらんねえの?紙に書いとけよ!』って怒鳴られてたもんね」

 「あンの野郎~っ!」

 隣で静かにモニターから小さく漏れる会話を聞いていた諒一は小声で唸る。

 「なんだ、垣沼のとこだったのかよ?」

 「はい、午前中にホシ担当だったんです。斉木のヤツ、要らんことを!」

 隣の部屋に諒一が待機しているとは斉木は理解していない。何故ならば途中で要員交代を行ったからだ。

 ボソボソと小声で話しながら、モニターから聞こえる二人の会話に再び集中し直す。

 「では、サクサクと終わらせてしまいましょう。で、もう一度だけ伺います。その白い車は、

 早苗は指で図面を差しながら答える。こちらも既に何度もやり取りしたものであった。

 「その時……その車は、。少し車体が左右にぶれていたので、気になって車が曲がりきるまで見ていたので覚えています」

 「右折……?どういうことだ?」

 八木橋が諒一に問う。

 「なんですよ。おかしなことに、これ、ホシと全く同じ証言なんです。フラワーショップは現場から右折しないと行けない。右方向にある。緩やかなカーブの先にありますから。でも……」

 諒一はテーブルの上に置いてある、防犯カメラの映像データが入ったUSBメモリをつまんだ。

 「には真逆、左折して逃走するホシの車が映っているんです。残り二名の証言はと一致していました」

 モニターからは、ため息をついて表情を曇らせた両名……斉木刑事と犯人に最も近かった目撃者の押し黙った映像が流れている。

 本日何度目かの膠着状態であるのだ。

 「……おい、垣沼、あの子さっきT字路って言った?」

 「言いました。もホシと全く同じなんですよ……気味悪ぃったら。だってあそこは」 

 「T字路なんか無い。行き止まりだよな?T字路なんか無かった……よな?」

 調査中の部屋も、その隣の部屋もフリーズしたように静まり返ってしまった。

 「これ、どうすんだよ?斉木アイツには無理じゃん?」

 「知りませんよ。斉木でダメなら係長が代わりに調書取って下さいよ」

 「ばーか、そりゃお前の仕事だろうが。だから持ってスタンバってるんだろ?」

 と、USBメモリをつついた。


 八木橋は笑っていたが、諒一は笑えなかった。何かが胸の奥で引っ掛かっている。その正体不明のモヤモヤが、後輩を手伝い助けることにブレーキをかけているのだ。


 隣室で待機していた第一の理由は、証拠映像と明らかに異なる証言を言い続けるに、現段階では異例な『防犯カメラの映像を二人に見せても宜しい』と、新井課長が上にかけ合って許可を取ってくれ、必要に応じて実行する為であった。

 

 単なる思い違いが偶然重なった上での発言であるだろう、と初めは誰もがそう思っていた。

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