第15話

 茜色の空が広がり始めた頃。

 すっかり人が少なくなった市場で、カルラとアレンはリアに頭を下げられていた。


「ほんっとうにありがとうございましたっ!!!」


 この時間はもう店仕舞いだ。

 周囲で一緒に出店を出していた人達も撤収するために黙々と片づけを続けている。

 その中で、いち早く店を畳んだカルラ達はこれから帰ろう―――そう思っていたのだが、どうやらリアは言いたいことがあったらしい。

 というのも、当初「期限は一週間」と具体的な日時を決めていたから。

 もうカルラ達が手伝うことはない。だからこそ、最後の最後にお礼を……そういうことであった。


「そんな、気にしなくてもいいのに。私はただ一枚噛ませてもらっただけなんだから」

「謙遜ですね、お嬢。素直にお礼を受け取ったらどうです?」

「だって、これはビジネスなんだもの。慈善事業をしたわけじゃないわ」

「はいはい、そういうことにしておきますよー」


 何よ、と。頬を膨らませるカルラ。

 その姿はどこか可愛らしく、若干の照れ隠しなのだということが少しだけ伝わってきた。


「でも、カルラさんがいなければこんなにも繁盛しなかったです! いっつもクッキー余っちゃってたのに、今は完売ですよ完売!」


 カルラ達が来る前は閑古鳥が鳴くほどの状況だった。

 それが生地すら足りなくなるほど売れ、余ることがなくなった。

 どう考えてもカルラ達のおかげだ。それが分からないほどリアは落ちぶれてはいない。


「でもこれからよ? 今のペースで売り続けてもいいけど、拡大するか縮小するかはちゃんと見極めなさい。それこそ、看板を置かせてもらって接点ができたお店の人とかに聞いてみるのもいいかもしれないわね……じゃないと、私達がいなくなった途端に赤字になるとかあり得るわ」

「そうですね! もしこのまま続くようなら人も雇わなきゃいけなくなるかもですし、聞いてみます!」

「ふふっ、頑張って」


 そう言うと、カルラはリアに背中を向けて歩き始めた。

 長居するわけにもいかない。早く帰らないと、茜色が黒に染まってしまう。

 そう思っていると、カルラの背中へリアは最後に呼びかけた。


「あの、カルラさん!」


 そして、振り向いたカルラに小袋を手渡した。

 お金は返してもらったんだけど、そう思いながら受け取ったカルラだったが、袋の重さで「違う」と理解する。

 封を開けると、中にはびっしりとクッキーが詰め込まれてあった。


「これは私の気持ちです! 本当はお金をいっぱいお渡ししたかったんですけど……」

「お金は投資分も報酬分ももらったからいらないわ」

「……って言うと思ったので、クッキーにしました!」


 なるほど、よく分かっている。

 やり取りを聞いていたアレンは小さな拍手をした。


「……ありがと」


 自分の考えが読まれていたことにカルラは思わず驚いてしまう。

 だが、すぐさま小さく口元を綻ばせた。


「これが一番嬉しいわよ」

「えへへっ、そう言ってもらえると本当に嬉しいです!」


 お金よりも、気持ちの籠ったものを。

 カルラはお世辞抜きでリアのクッキーは美味しいと思っている。いちファンと言っても過言ではない。

 故に、こうして感謝の印として渡されたクッキーにはお金を渡された時以上の嬉しさを感じてしまった。


(なんか、働いて手に入れたって感じがするわね)


 賭博でもなく、お小遣いでもない。

 投資分を上回った利益はもらったが、それはビジネス上の対価だ。

 実際に働いて得られたものというのは、人生の中でこれが初めて。それが新鮮で、感慨深いものだった。


「是非、またうちでクッキーを食べに来てください! その時までには、もっと繁盛させてみせますから! あ、アレンさんもですよ!」

「おう、また食べにきますわ」

「……えぇ、また来るわ」


 今度こそ、カルラ達はリアに背中を向けた。

 後ろではリアがずっと手を振っている。アレンは手を振り返したが、カルラは未練を残さないようにと一人前だけを向く。

 そして、リアの姿が小さくなる頃にアレンは手を振るのをやめてカルラの横を並んだ。


「お疲れ様でした、お嬢」

「あなたもお疲れ様。悪かったわね、付き合わせてしまって」

「そんなことは。なんだかんだ新鮮な体験ができて楽しかったですよ」


 カルラはリアからもらった小袋の中からクッキーを取り出して、一つをアレンに手渡した。

 アレンは受け取り一口だけ齧る。カルラも一つ取り出して、歩きながら齧った。


「いかがでした、初めての商売は?」

「えぇ、充分ね。ちょっとだけ成功したんじゃないかしら?」

「ちょっとだけ? あれの、どこが、ちょっとだけ???」

「……何よ、その目は」


 カルラは頬を膨らませてアレンの横脇を突く。

 それが面白かったのか、アレンはニシシと子供らしく笑っていた。


「それにしても、お嬢は本当に何をやらせても才能を発揮しますよね。商売も初めてだったでしょう? それなのに、よくもまぁ他人の店を使って宣伝しようとか思いつくもんで」

「私からしたらどうして他の店とか商会がやっていないのか不思議なのだけれどね。何を使っても利益を出す―――それが商売の鉄則でしょう?」

「それが簡単にできたら苦労しないんですって。そうだったら、今頃億万長者がそこら辺を徘徊してますよ」

「となると、私の天才っぷりが発揮されただけってことになるわね……」

「だからそう言ってるじゃないですか……っていうか、今のマウント?」

「お姉様には負けちゃうでしょうけど」

「んな馬鹿な」


 初めての商売で初めての試みをして成功させるという芸当を、果たしてソフィアはできるだろうか?

 横を歩くアレンは「カルラだからこそできた」としかどうしても思えなかった。

 この無駄に姉を上に押し上げるこのスタンスはなんなのか? どれだけ姉が好きなんだと苦笑いを浮かべてしまう。


「でも、意外と楽しかったわ。資金もあることだし、本気で商売を始めてみようかしら?」

「おっ、いいですね! どこまでも手伝いますよ、お嬢!」

「ふふっ、ありがとう」


 力こぶを見せてアピールするアレンを見て笑みを浮かべるカルラ。

 アレンがいるなら、きっと何をやっても楽しそうね。そう思った。


「あ、お嬢。ちょっとどっかで飲み物買ってきてもいいですか? なんかほしくなっちゃって」

「そうね、後味はよくてもやっぱりクッキーだし。私はここら辺で適当に待っているから、行ってきなさい」

「お嬢の分も買ってきますから!」


 アレンは片手を上げて「じゃ!」と言い残すと、物凄い速さで来た道を戻っていった。

 もうどこも店を閉めているのに飲み物は買えるのだろうか、と。今更ながらに思ったカルラだったが、とりあえず近くのベンチに腰を下ろして休むことにした。


「結構忙しかった一週間だったわね……」


 座った途端に疲労感が押し寄せてくる。

 それでも充実した一週間であったのは間違いない。この疲労も、満足感からくるものだと分かっているので妙に心地のいいものだった。

 アレンを待ちながら、カルラは髪を靡かせてくるような風に身を預ける。


 その時───目の間で、フードを被った女の子が横切った。


 小柄で、顔はフードでよく見えなかったが、どこか焦燥が滲んでいるような様子。

 その証拠に、少女の後ろには何人もの男がこちらに向かってやって来ているのが見える。


(……追われている、ね)


 少女の姿はもう先にある。

 男との距離はまだあるだろうが、追いつかれてしまうのは時間の問題だろう。


「……ごめんなさい、アレン」


 何を思ってアレンに謝罪したのか?

 カルラは立ち上がって、少女の向かった方向へと走り始めた。

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