第16話
カルラが少女に追いついた頃には、辺りは薄暗くなっていた。
といっても、視線の先には茜色の空が見え隠れしている。暗くなったという表現は、恐らくカルラが現在立っている場所が起因しているのだろう。
「こんなところに逃げ込むなんて、あなた馬鹿じゃないの?」
じめじめとした路地裏。
遮蔽物だらけの場所は一方通行で、正面は大きな積荷らしきもので塞がれていた。逃げ込むなら、先程みたいな大きな路地で走り回ればよかった。何せ、誰かしらの目はあったのだから。
しかし、こんな場所に人の目などあるわけもない。
荒い息を吐きながら、カルラはゆっくりと奥へと進む。
その先には、前を通り過ぎたフード被っている少女が立っていた。
「……あなたは?」
「たまたま見かけただけの女の子よ。それぐらい分かるでしょ」
少し苛立ちが隠し切れない様子でカルラは少女に近づくと、徐にその手を掴んだ。
「何をするんですか? いつ鬼さんはこのような美しい女性を雇ったのですかね」
「別に鬼側に回ったわけでもないし鬼ごっこに参加したわけでもないわよ。とりあえず、まずはこんな場所から出ましょう。どっちが悪いとか正義があるとか分からないけど、逃げているんだったらもう少しマシな場所へ行かないと」
この時点で、カルラは少女の手を取る行動が正しいかどうかは分かっていない。
もしかすれば少女は盗みを働いた悪党かもしれないし、借金を踏み倒して逃げているだけなのかもしれない。
客観的に見れば追われているこの子を助けることが慈善という名の正義かもしれないが、その真実は分からなかった。
(それでも足が動いちゃったんだから仕方ないじゃない……)
昔は嫌がる姉を叩いていた。
その時は間違いなく自分が悪だっただろう。その罪滅ぼしをしたかったのか? 悪に手を染めた自分を正義で薄くさせたかったのか……それは自分でもよく理解できていない。
「あの、理解ができません。あなたは先程から私を助けようとしていますが、私は顔も知らない赤の他人ですよね? 助ける義理や理由などどこにもないはずですが」
ごもっともな言葉だ。
しかし───
「私にだってよく分かっていないわよ。ただ……ここであなたを見て見ぬふりすれば、私は胸が痛むの」
今まで感じてきた胸の痛みが。
姉を虐げてきた時と同じような胸の痛みに再び襲われそうな気がする。
だからこそ足が勝手に動いてしまったのだと思っている。
「……お優しいんですね」
「優しくないわよ。そうでなきゃ、私はこの場にいないわ」
「……なるほど《・・・・》」
カルラの言葉を理解できたのか、少女はカルラに掴まれている手の力を抜いた。
それが分かった瞬間、カルラは急いで路地裏を出ようとする。
しかし───
「おい、嬢ちゃん。その子は置いていきなよ」
ぞろぞろと、唯一の出口から男の姿が何人も現れた。
追いつかれてしまったか、カルラは軽く舌打ちをする。
「依頼主から嬢ちゃんを連れてくるように言われてんだ、邪魔されるとお兄さん達もちぃと手荒なことをしてしまいそうになるぜ」
「手荒ねぇ……生憎と、どんなことをされるか全然分からないわ。馬鹿でごめんなさい」
「随分と威勢がいい嬢ちゃんだ。それじゃ、ゆっくり説明するわけにもいかねぇし……早速体に教えてやらねぇとなぁ!」
男の一人がカルラに向かって突進する。
「あのっ、逃げてください!」
少女は背中を見せるカルラに向かって叫ぶ。
この人は関係ないから、そう願ってのものなのだろう。
でも、カルラは逃げることはしなかった。その代わり、懐から金の入った小袋を取り出して宙に放った《・・・・・》。
「……は?」
いきなり何をしているのか?
男は突然の行動に思わず視線を金の方に向けてしまう。
その時───
「てめぇ、何がしたい……がッ!?」
男の顎に強い衝撃が走った。
目の前にはいつの間にかカルラの姿が迫っており、振り抜かれた足を見て蹴られたのだと理解する。
故に「何しやがるんだ」という怒りが男に拳を握らせた。
でも、それは少し遅かった。
振り抜いた足は一度回り、そのまま勢いよく男の脳天へとめり込む。
「あ……?」
何が起こったのか、男はよく分からなかった。
その答えは未だ理解できぬまま、男はそのまま地面へと倒れ込む。
「……凄い」
後ろでその一連の流れを見ていた少女は、思わず感嘆とした声が漏れてしまった。
(お金を放ることによって男性の意識を逸らし、その隙に懐へと潜り込んだ……騎士でもない女性がまさかこのような芸当ができるとは)
一見、カルラは華奢で美しい令嬢に見えた。
それが男を一瞬で倒せるほどの芸当をするなど、少女は想像すらしていなかった。
だからこそ驚きを隠しきれない。
一方で───
(さてと、騎士の真似事をしてみたのはいいけど……流石にここからは難しいわよね)
カルラは奇襲に成功しただけ。
ルルミア侯爵家にいた騎士達の体術も見よう見真似で行っただけであり、筋力に差がある相手と正面から堂々と戦って勝てるとは思っていない。
加えて、向こうはまだ何人も残っている。一斉に襲われでもしたら、流石に勝てるわけもなかった。
どうしたものかしら、と。カルラの顔に焦りが生まれた。
しかし───
「っつたく、目を離した隙にこれかよ」
バタバタッ、と。
後ろにいたはずの男達が一斉に倒れ始めた。
何が起こったのか? カルラも、後ろにいた少女すらも理解できなかった。
しかし、倒れた男達の場所からゆっくりと一つの人影が現れる。
それは───
「ア、アレンっ!?」
「よぉ、お嬢。流石に今回ばかしはちょっと怒ってますよ、俺」
姿を見せたアレンはカルラへと近づいてくる。それに対して、カルラは倒れた男とアレンの姿に驚きを隠し切れなかった。
「あなた、あの数を一瞬で倒したの……?」
「そりゃ、お嬢の執事ですから。お嬢を守る術ぐらいは身につけてますよ。そんなことより───」
アレンはカルラの額を指で思い切り弾いた。
かなりの強さに、カルラは「いたっ」と声を上げながら涙目で額を押さえる。
「無茶すんじゃねぇよ。お嬢の身に何かあったらどうすんだ、少しは自分の体を大事にしろ」
いつもの崩れた敬語ではなく、低い声音と冷たい口調。
いつも見せないアレンの言葉にムッとなったカルラは少し拗ねたように唇を尖らせた。
「私だって戦えるわよ……ほら、天才だし。さっきだってちゃんと一人倒せた───」
「そういう問題じゃねぇんだよ、馬鹿」
アレンはカルラの顎を持ち上げて、真っ直ぐにカルラの瞳を見つめる。
「お嬢になんかあったら俺が嫌なんだ。少しは俺の気持ちも考えやがれ」
眼前に迫ったアレンはいつになく真剣な表情だ。
加えて、自分を大切にしてくれているのだと分かる言葉が何故か頭に響く。それらが全てがカルラの胸の鼓動が一気に早くさせる。
(な、なにこれ……っ!?)
アレンの顔から目が離せない。というより、どこか逃げ道を塞がれているような感覚。
それと、責められているはずなのに心の底から嬉しさが頭の中を支配した。
申し訳ない罪悪感が、異様な感情を一気に掻き消されていく。
「……は、はいっ」
絞り出せた言葉は、そんな可愛らしい返事。
顎を持ち上げられて初めて抱いた感情に、カルラは自然と顔に熱が上っていった。
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