第10話

 アレン・アルバートはアルバート王国の第二王子だ。

 といっても、幼少期の頃に王位継承権を兄に譲り、裏方に徹してきた謎が多い人物。

 存在こそ国に知れ渡っているものの、その素性や顔、性格などは全て王家によって隠されてきた。

 ひとえに、全ては裏方に徹するため。要らぬ勘繰りを受けないためにも、社交界に顔を出さず『留学』という体裁で周囲を納得させる。

 裏方に徹してきてからこれまで、アレンは国に蔓延る膿を除去するために活動してきた。

 貴族の懐へと潜り込み、悪事を確認、王家へ直接報告。いざとなれば、自分で裁くことだってある。


 ある日、アレンはルルミア侯爵家を調べることになった。

 黒い噂が多く、現在に至るまで誰一人として不満をあげることがなかった異質な家。黒か白か、そして黒であれば容赦なく落とす。

 そう思い、アレンは王子としてではなく一介の執事としてルルミア侯爵家へと潜り込んだ。

 そこで、アレンは一人の少女の下で働くことになる―――


「ふぅーん……あなたが、今日から私の専属執事になる男ね」


 不遜にも足を組み、見下すような瞳を佇むアレンに向ける女の子。

 癇癪が多く、姉を虐げ、令嬢を纏め上げては小さな社交界でトップを築いた悪女。アレンがこの時出会ったカルラに抱いていた印象は、そんなものであった。

 ルルミア侯爵夫人や当主自体もいい話を聞かなかったため、愚直に共にするカルラに対しても自然とそういった印象が浮かんでしまう。


「アレンです。今日からよろしくお願いいたします」


 いくら王子として育ったとはいえ、全ては裏方。

 一介の執事としての作法や仕事内容は大方頭に叩き込んである。胸に手を当て、頭を下げる所作は完璧の一言であった。

 そんなアレンを見て、カルラはつまらなそうに笑う。

 まるで自分以外は全て塵芥とでも言わんばかりの顔。アレンがカルラに抱いている印象が、より一層悪い方へと進んでいった。

 だが―――


「ねぇ、あなたには何か目的はある?」


 唐突に、カルラはそう口にした。

 カルラの部屋にはアレン以外には誰もいない。つまりは自分に向けられた言葉なのだが……いきなりどうしたのか? アレンは内心で首を傾げる。

 でもこのまま何か言わないと主人の怒りを買ってしまうかもしれない。


「私は、守りたいものがあります」


 この時のアレンは正直に口にした。

 昔からずっと、王位継承権を放棄したあの時から、アレンはこの国にいる国民を守るために行動してきた。

 よりよい生活と、さらなる発展のため。そのために、優雅な王子の人生を捨ててまでこうして膿を取り出そうとしている。


「そう……いい目標じゃない」


 何を、誰を? それすらも聞いていないのに、カルラは呟いた。

 顔を上げたアレンは驚く―――呟いた少女の表情はさきほど見せたつまらなさそうなものではなく、心の底から褒めてくれているのだと分かる柔らかいもの。

 こんな顔もできるのかと、アレンが驚いたのはそこであった。


「ついでにもう一個だけ聞かせてちょうだい」

「……なんなりと」

「執事と主人は信頼し合わないといけない。何せ、家族よりも身近に主人をサポートし、主人は執事のサポートを信じてこの先の道を歩いていかなければならないから。それは分かるでしょ?」

「承知しております」

「じゃあ私達が互いを信頼するに足る根拠ってなんだと思う?」


 この質問はなんだ、と。アレンは勘ぐる。

 話の流れに嚙み合っているようで噛み合っていない質問は、果たして素直に受け取ってもいいのだろうか?


(カルラ・ルルミアは俺のことを信頼したいのか? それとも、俺が傍に置くに値する執事か見極めたいのか?)


 我儘で癇癪を起こし、姉を虐げてきた悪女———なんてイメージが少しずつ剥がれていくような感覚。

 頭の中では真意を図るために目まぐるしく回るが、結論は一言二言交わした程度では出なかった。


「……契約、ですか?」

「ふふっ、そんなことをしてしまったら「疑っていますよ」って言っているようなものじゃない。不正解ね」

「でも、契約を交わしてしまえば信頼はできます」

「そんなことを言い出したら、あなたは雇用契約を交わしてここにいるじゃない。主人のためにっていう契約をって。でも、あなたは私を信頼していないでしょ?」


 ぐぅの音もでない言葉であった。

 元より、アレンはルルミア侯爵家を疑ってここまできた。雇用という契約を交わしていようが、疑ったままであり悪女と呼ばれる主人に信頼など寄せていない。

 初手からしくじったか? そう思ったアレンだが、すぐに顔を引き締める。

 それは真っ直ぐに、カルラがアレンの瞳を覗き込んでいたからだ。


「でも、私は信頼することに決めたわ」

「……は?」

「何せ、私とあなたは対等・・だから」


 カルラはゆっくりとアレンに近づいていく。


「人が最も信頼に足る根拠とは『対等』よ。支配でも地位でも権力でも信仰でも金でも友情でも愛でもない───この人は私と同じだ、同じ目的を持っている。そう思える人こそ、人は信頼するし信頼できる」


 上下関係など必要ない。全ての要素に、一方的なものが含まれてはいけない。

 一方的なものが含まれてしまえば、人は疑念や疑問を抱き関係にヒビが入る。

 でも対等であれば? 同じ目標に向かって突き進まんとする人間であれば、人は裏切ることができるだろうか?


「私は大切な人を守りたい。あなたも守りたいものがある───それを聞いた瞬間、私はあなたを信頼することにしたわ」

「…………」


 悪女である女の子が何を守りたいのか?

 この時のアレンは分からなかった。


「これ以上は私一人では限界があった。だから私はあなたを雇ったの……これから私はあなたに理由が言えないことをやってもらうかもしれない───」


 でも、アレンは近づいてきたカルラの瞳を見て疑問を止めた。

 あまりにも真剣で、強く、揺るぎなく、どこか窮屈で苦しそうなカルラの瞳に……目が、吸い込まれてしまったから。


「でも私は救うわ。この身がどんな未来を辿るとしても、対等である目的だけは揺るぎない」


 ───アレン・アルバートは、この時初めてカルラ・ルルミアという少女という人間と出会った。

 思っていた人間とは違った、自分と同じ目的があり、全てが道化なのだと理解させられた。

 それは心を動かす。

 アレン・アルバートが、誰よりも『対等』である人間を見つけたような気がしたから。


 アレンはすぐに頭を下げる。

 王子などという立場も、執事という立場も関係なく。

 頭を下げ、膝をついた。


「改めまして、お・・の専属執事となりましたアレンです───この身、本日よりあなたの手足となりましょう。最も、信頼のおける人間として」

「私はカルラ・ルルミア。これからよろしくお願いするわ───最も信頼のおける執事さん」


 この日から、アレンの心はずっと変わりない。

 目的を果たした彼女であっても、アレンは彼女こそが最も信頼のできる相手なのだと。


 ───だからからか、同じ目的でなくなったあともアレンの心の中にはカルラ・ルルミアが残り続けている。

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