第8話

(見ていた……あいつら、カルラ・ルルミアのことを見てやがった)


 宿にチェックインをし、一度風呂に入ったアレンはタオルを頭に被せ少し考え込む。

 室内には大きなベッドとソファーが一つずつ。あとは小さなテーブルが置かれてあるぐらいで、全体的に質素なものであった。

 まぁ、泊まるだけの宿であればこれぐらいのものだろう。


 本音を言えば、ここに来るまでかなり窮屈で不憫な場所ばかりで寝ていたのでカルラのために豪華な場所にしたかったのだが、当日取れる宿でお高い場所などない。

 こんな場所ですら一部屋しか予約ができなかったのだ───結果は火を見るより明らか。


 室内にはカルラの姿はない。食事を済ませ、アレンと同じように風呂へと向かったのだろう。

 だからこそ、アレンはこの機会にと今日のことを頭の中で整理し始めた。


(っていうより、公国の公爵家の人間がどうしてカジノに……いや、問題はそこじゃねぇな)


 ゲームをしていたわけではないアレンは、カルラのゲームを見ながらも周囲をよく見ていた。

 当然、カルラに危険がないか警戒するためだ。

 その時、カジノの二回でカルラを興味深そうに見つめる二人の人影を見てしまった。


(あの目は単純な興味。普通、貴族であれば有望なフリーの人材を確保しようと思う。だったら、カルラ・ルルミアと接触する可能性は高い)


 密な計画でシナリオ通りに姉を救ったという事実を知っているアレンだからこそ分かる。

 今は片鱗だけかもしれないが、カルラ・ルルミアという少女を知れば知るほど、彼女の才覚は露見してしまう。

 カジノに来たのは初めて、ブラックジャックも齧った程度。なんでもそつなくこなし、人一倍の結果を見せるその才能は、どこに行ったって重宝される。


 これが一介の平民だったらまだよかっただろう───しかし、カルラは元侯爵家の令嬢。社交界の知識や立ち回り、礼儀作法、教養すら身に付いている。

 そんな人間が目の前にいれば、公国の公爵家はカルラをヘットハンティングするに違いない。


(問題はカルラ・ルルミアにもう縛り《・・》がないってところだ。王国に対しての未練も、家も立場も何もない───簡単に言ってしまえば、これからの人生は全てが自由なんだ)


 一端の平民として生きるにしろ、商売を初めて成り上がるにしろ、誰かの懐に収まるにしろ、全てはカルラの自由。

 もし公爵家が迎えに来てしまえは? カルラは公国の人間として公爵家で働くことになるかもしれない。


(そうなってしまえば、カルラ・ルルミアを王国に連れ戻すのは難しくなってくる。逆にこの国への未練を残すことになってしまうからな。しくった……まさかこんなにも早く目をつけられるとは思わなかった)


 アレンは天井を仰ぐ。

 別に、アレンの目的は使命であって義務ではない。

 故に、どっちにサイコロが振られようとも誰からもお咎めを……なんてことにはならないだろう。

 しかし、そうなってしまえば王国は優秀な人材を一人失い───


(どこかでカルラ・ルルミアと別れなくちゃいけなくなるんだよなぁ)


 それがどこか寂しくなる。

 アレンとカルラの付き合いは短い。それでも、いつも傍にいたような関係だ。

 別れることになる……そうなれば、寂しさを感じてしまうのは当たり前の話。

 一方で、カルラには自由で望む人生を送らせてやりたいとも思っている。


 ───何せ、姉を救うためだけに今までを費やしてきたのだから。


(俺がついてきたのはカルラ・ルルミアを王国に連れ戻すこと。だが、果たしてそれは正解か? お・・は、それで幸せだろうか?)


 今更ながらに、そんなことを思ってしまう。

 カルラの計画を知った瞬間に諦めさせれば、国外追放が決まった瞬間に踏み留まらせれば。

 引き返せる場所も、強行できるタイミングも過去にあったのだ。

 今にして思えば、自分もどこかでカルラ・ルルミアという少女の幸せを考えていたのかもしれない。


「はぁ……こんなんだから、俺は未だにこのポジションで甘えてんだろうなぁ」


 捨てきれない情と、頭では分かっている理屈。

 その板挟みでどちらかに身を委ねられないからこそ、アレンは自分が情けないと思った。

 ベッドに仰向けになり、思わず目に手を当ててしまう。

 その時、ふと部屋の扉が開かれた。


「お、お風呂……入ってきたわ」


 白いネグリジェを纏った自分を抱くようにして現れたカルラ。

 その頬はほんのりと蒸気しており、風呂上がりだからどこか色っぽい。

 アレンは思わず息を飲んでしまう。この一ヶ月間元主人の湯上りなど何度も見てきたのだが、こうして互いが同じ部屋で同じ空間で見るというのは初めてであり、目が離せなかったからだ。


 一方で、カルラは───


「あ、あなた……ど、どどどどどうして上を着ていないのよっ!」

「あ」


 ───上半身が裸のアレンに驚いていた。

 もちろん、すぐに顔を逸らしたが。ほんのりと染まった頬は盛大に真っ赤だ。

 カルラ・ルルミアは婚約前の状態で国外追放された。

 故に、男に対しての反応は誰以上にうぶなものとなる。


「すんません、服着ます」

「早くしてっ!」

「いえすまむ!」


 アレンは急ぎ近くに脱ぎ捨てていた服を着る。

 その間、カルラはそっぽを向いて立ち尽くすのみ。落ち着いて余裕のある女の子風に「払えるものは私の体だけ〜」なんて言っていた女の子とは思えない姿だ。


(お、男の人の裸……初めて見てしまったわ)


 ドキドキが収まらない。

 いや、決してやましい考えをしているわけではないのだ。これはただの事故……事故? いや、服を着ていなかったアレンが悪いのだが、それでも不可抗力だ。自分は殿方の裸を見て興奮しているわけではない。

 でも何故かアレンの裸が脳裏から離れなかった。服の上からは分からないぐらいの引き締まった体、色っぽく角張った骨。

 それら全てが頭から離れてくれなかった。


(こ、こんなことなら相部屋を許可するんじゃなかったわ……)


 ここに来るまでずっと、アレンとは別室だった。

 たまに野宿もしたが、その時も寝る場所は別々。

 だからこそ、こうして同室になることはなかった。


(……よく考えてみれば、私って異性と同じ空間で寝るって初めてなのよね。嫁入り前の令嬢が誰かと一夜を共にするってあり得ない話だったし)


 傍にいた人間だからこそ、大体はアレンがどういう人となりをしているのかは理解しているつもりだ。

 アレンが手を出してくるとは考えにくい。カルラも、自分が思った以上に大事にされているということは一緒についてきてくれた時点で理解している。


 それでも、可能性がまったくないかと言われればそうじゃないわけで。

 アレンは顔立ちも整っているし、逞しい体をしていた。

 求められてしまえば自分はどうなるのだろうか? そんな考えが浮かび上がり、カルラは熱を冷ますかのように無理矢理首を横に振った。


(アレンは凄くいい子。私がお姉様の次に信頼している《・・・・・・》人。大丈夫よ、そんなことはないわ!)


 頬を叩き、自分に言い聞かせるカルラ。

 その様子を服を着て傍から見ていたアレンは「お嬢、ついに奇行に走る!?」などと失礼なことを考えていた。


(そ、そもそもアレンが私に好意を抱いているわけでもないんだし、そんなことあるわけないじゃない。馬鹿な考えをしたわ、私)


 ふぅ、と。心が落ち着いたカルラはいつもの様子で堂々とアレンの横に腰を下ろした。

 同じく風呂上がりだからか、アレンから仄かに甘い匂いがする。


「……そういえばお嬢、聞いておきたかったことがあるんですけど」


 横にいるアレンが少し神妙な顔で尋ねる。


「何かしら?」

「お嬢はこれからどうするつもりなんですか?」


 ───これから。

 そう聞かれた瞬間、カルラは言葉に詰まった。


「どうしようかしらね……ぶっちゃけ、あまり考えていなかったのよ」


 ずっと姉を助けることばかり考えていて。

 当面のお金を稼げればいいだろうという考えしか持っていなくて。

 これからの自分の身の振り方など、本音を言えば考えていなかった。

 でもアレンが横にいる。自分なんかについてきてくれた人がいる以上、流されたまま生活するのはよろしくないだろう。


(アレンも家族がいるでしょうし、いつかは別れることにはなるんでしょうけど……それでも、アレンを安心させるぐらいの基盤は整えておいた方がいいわよね)


 だったら考えなければ。

 今まで考えてこなかったことを、今更ながらカルラは考え始める。

 その時、アレンは───


「国に帰りたい……そういう考えは、ありませんか?」


 脈絡もなく、そんなことを言い始めたのであった。

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